小説 | ナノ


愛に依りて



「寒い。寒いわ」

燻りを抱えた炎をじりと見つめる。
視界の隅で貴方が居心地悪そうに身動きしているのを、やたら気にする私がいた。




貴方に出会ったのは本当に偶然。
お互いのあずかり知らぬ所、思いもよらぬ鉢合わせのすえに巡り合った2人。

すっかりと日も暮れた森の中、
お互い積もる話もあろうと野営に誘ってきたのは貴方なのに、
腰を下ろした途端、口を閉ざしてしまった。




きっと貴方は未だに後悔しているの。
私を引き止められなかったこと。
私を助けられなかったこと。
だからほら、こんなにも。


こんなにも近くに私がいるのに、
敵意1つ見せやしない。




大蛇丸様について行こうと決めたのは私。


そして、


大蛇丸様と私を引き合わせたのは貴方だった。

それをずっと、未だに引きずってこんな女に情けなく尻込みしている貴方は、昔と変わらない。






変わらなすぎて。





「自来也様、風が冷うございます」

1つ体を震わせ態とらしく貴方に身を寄せた。
ぴくりとその大きく逞しい体が震える。
次いで頼りない唸り声が頭上から微かに聞こえ、その熱い吐息がさわりと伝わってきた。
それにまた、私は体を震わせる。


「お変わりございませんでしたか」


昔のようにそっと寄り添って貴方に尋ねるのは、
久し振りの逢瀬には程よい、月並みの言葉であった。




「……お主も元気そうじゃのぉ」

暫しの黙りを決めこまれるかと思いきや、
貴方はそう昔と変わらない声でそう呟く。

甘く優しい、
甘露のようなその声に、
ぞわりと皮下に血が巡る。

この感覚が、堪らなく愛おしいと感じてしまう私も、きっと昔と何1つ変わってなどいない。
だからこそ、私は貴方の元から去る決意をしたのだけれど。



「綱手様…





綱手様はお元気ですか」



「相変わらずの怪力女ぶりだ」


「左様にございますか」



ポツリポツリと互いに口を開く。

当たらずども遠からず。
はっきりと、それでいてボヤかすように、切り込まなければならない話題を掠めるようにして。

その話題が上がってしまえば、今この時、比の中、差し当たってのこの関係が牙城を崩すものになり兼ねない。
それを言われずとも感じ取っていた。






「会いとうございました」

ふっと口に出した思いに応える声は無い。
けれどその息を呑んだ音だけで十分に心がざわついた。

ほんのりとした期待。
先んじて芽吹いてしまった蕗の薹が、
雪解けを今か今かと待ち侘びるかのような長い冬時。

寒く凍てつく冬が何時かは健やかな春へと繋がることを知っているような、そんな期待。



貴方の胸にそっと手を当てそろりと見上げる。
そこには数年前よりほんの少し皺の寄った、けれど決して濁ることのない瞳を湛えた貴方がいた。



「自来也様」

蛇のように指先を這わせ貴方の頬に手を添える。
だんだんとその瞳が揺れていく姿を見るのが、私は好きだった。


貴方をそっと誘うように引き寄せる。
息遣いすら感じ取れるようなその距離を、
貴方は今も拒みはしないのだと、胸に熱が灯った。

その距離に、私がどれだけの狂おしさを抱いたか。
その距離に、私がどれだけの苦悩を抱えたか。

貴方はきっと知らない。
そして、私が何故大蛇丸様のもとへ下ったのかさえ、貴方は知らなくていい。




「自来也様」

じっと見つめせがむ。
口にはできないその言葉を、誰もがわかる程に瞳に孕ませた。
口に出してはいけない言葉。
それを貴方に伝えることはこんなにも簡単なのに、
欲しい言葉を引き出させるのはとても難しい。
きっとそれは私にはできないこと。


それをわかっているからそこ。





煮え切らない貴方は何時ものこと。
じりじりと焼けるような眼差しを向けてくるくせに、決して貴方は動いてはくれない。

頬を撫で擽っても、熱を抱えた瞳を向けてみても、甘えた声で誘惑しても、
その屈強な腕が私をかき抱くこともなければ、荒々しく唇を塞ぐこともなかった。

けれど瞳は何時だって熱を孕ませる。
その熱が私と同じものでは無いことに、誰も気づかなくていい。
貴方本人でさえ、気づかなくていい。


そうして言ってしまえばいいのに。
私の望む言葉を。
欲しくて堪らない言葉を、

私に囁いてしまえばいい。




そうすれば、私は。





「沙羅」


掠れた声が耳に届いた。
ゾクリと背が慄けば、そっと宥めるように添えられた大きな手。
ただそこに手を回しただけの、熱も力もこもっていないそれに、それでも私の心の臓はドクドクと脈をうつ。
その嗄れた声に微かな震えを感じた。
ゆらゆらと揺らめく熱を灯す瞳。



蕩けた声で返事を返す。


言ってほしいと瞳を瞬かせた。







愛してると、



そう告げてしまえば、きっと貴方は楽になれるのに。


そんな声で、そんな瞳で。
私を拐かすくせに、ほしい言葉1つ告げてさえくれない。
こんなにもドクドクと蠢めく鼓動を、こんなにも近くにいる貴方が分からないはずなどないのに。

どんなに化粧で取り繕っても、どんなに豪奢な衣服を身に纏っても、こんなにも透けて見通しのよい私の心を、貴方は何故奪い取ってくれないのだろう。
貪り尽くして、遂には無くなってしまえばいい。
そうすれば、私はこの不確かで危うい関係放り投げてしまえるのに。





「自来也様」

愛おしい腕の温もりを感じても、やはり貴方は何もしてくれない。
せがんでも、誘惑しても、貴方はそうやって瞳に熱を燻らせるだけ。
どうもしてくれない貴方が狂おしい。





もう夜も更けてしまった。
貴方は日も昇らぬうちに私を置いて行ってしまうのだろう。

私から何も奪わず。

私の心が歓喜に震えることも、衣服が乱れ甘美な世界を感じることもなく、またこうして朝を迎えるのだ。







ああ、なんて人。






ひたと貴方の瞳を見つめる。
貴方は何もくれない。
何もしてくれない。


頬に添えた手がそろりと垂れていく。
熱を孕んだまま、貴方に添えられた手が離れ、体が離れた。
背中にあった温もりも、何の抵抗も感じることなく貴方の元へと戻っていく。

互いに見つめあったまま。
瞳ばかりが燻り煽る。



そう、貴方はそういう人。





「おげんきで、自来也様」


火も燃ゆる盛り、ユラユラと揺らめく中。
もう夜更けも大分過ぎた。



何もない。



何もない。




微熱ばかりが残るなら、
私は貴方にそう告げるしかないの。

そうしなければ私は。






「おげんきで、自来也様」



伸ばされる手も、吐息の漏れる音も聞こえない。
背中に微かな熱を感じるだけ。
私を遮る声も、掻っ攫う腕も。

欲しい言葉1つ、
私は貴方から奪うことができないの。

だから、






「おげんきで、自来也様」