小説 | ナノ


レル。


誰かが言った、"戦え"と。
それは神かもしれなかったし襲い来る睡魔かもしれなかった。
ただ一つ言えるのは俺が戦うべきものの対象が何よりも凶悪で美しいことだった。

「……」

真白の布団に散る黒髪がまるで和紙に染みる墨汁のようであり、まだ熟れた果実のように赤い唇は今にも口付けを強請りそうなほどに蠱惑的であった。
理性と戦わざるを得ない状況に溜息など溢そうものなら、眠り姫の薄い瞼に止まる蝶が羽ばたいて夜空の星を散りばめたような瞳が開くのだろう。
それを願っているような、いないような。

『カカシは甘いもの苦手だよね』

甘いものは苦手。間違っちゃいないけれど勝手に決め付けるその性格は俺の前でしか通用しないからね、といつも釘を刺してやるのがお決まりだった。

『じゃあ貰ったチョコレートは私が食べてあげるね』

まるで感謝してねと言わんばかりの言い草にそれこそ肩を竦めるしかない。
起きて、とは言わないけれど。
この甘ったるいものたちを処理するのはお前の役目だよ、なんて面倒を押し付けられなくなってしまうのは困る。
栗鼠みたいにチョコレートを頬張るお前の顔は誰も見たこともないぐらいに不細工だと、知っているのはきっと俺だけだ。
今年もこんなにチョコレートの山があるんだよ。
言葉にせずともむせ返りそうになる甘ったるい香りが室内を犯して、もしかしたらお前を起こすかもしれないと思うとちょっとだけ期待した。
でもいつまで経っても起きないから俺はたまらずに適当に転がっていた包みを拾い上げてりぼんを解いた。
早くしないと俺が食べちゃうからね。
ほら、早く。
摘んだチョコレートが指の体温で溶けていく。
蠱惑的な唇の先へ。熟れた赤と茶色のコントラストが理性の牙城を崩していく。
微かな焦燥が指先を震わせた。
ほら、早く目を覚まさないと。
早く。
チョコレートが溶けて指からするりと落ちていく。それはまるで己の手から大切なものがすり抜けていく、あの絶望感に似ていた。
ぺたっと、薄い唇に落ちて、ずるりと頬を滑り真白の布団を汚す。
眠り姫の蠱惑的な唇は紅を引きずったようなチョコレートの痕も様になるから、思わず乾いた空虚な笑みが浮かんでしまう。
眠り姫は美しいまま。
なぜそんなにも美しいままなのだろうか。
神は、眠気は、俺に"戦え"と。それは"戦い続けろ"ということだろうか。
この凶悪なまでに美しいヒトを前に。
布団に転がったチョコレートは歪な形のままだ。
眠り姫も、やはり美しいまま。
伸ばした手が少しばかり我儘な言葉を囀るはずの唇に伸びる。チョコレートの痕を拭えば、その唇は想像以上に冷えていた。

「そうか、お前、死んだんだっけ」

これ、どうするのよ。
そんなぼやきも出来ぬまま、俺は"戦え"と言った何ものかの言葉に反し美しき眠り姫の横でチョコレートの海に溺れた。
溺れて、二度と目覚めなければいいのにと願った。


▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
遅れましたが、バレンタインらしくないバレンタインのお話を書かせていただきました。
ネタはtwitterの診断メーカーから頂戴したものになります。