小説 | ナノ

睡みの日常


「さぁて、次はどんな所かな」

色取り取りの世界が横目に過ぎ去って行く中で、魔法使いの男は緊張感のカケラもなくそう口にした。

「次の世界にもサクラちゃんの羽根、あるといいねー」

合いの手も要らぬとばかりに語る男は、それでもやはり何者かの反応が欲しいのか仲間内唯一の青年の顔を覗き込んだ。青年は是と頷き固く拳を握り締める。
コレが何時もの此処での遣り取り。其れが何時も通りの会話。黒い男はむすりと口を結び、少女は眠たげに舟を漕ぐ。そうして女は次の世界でも上手く生き延びれるよう、無い頭を巡らせる。

この話は世界を股にかけ旅をするちぐはぐな彼等が立ち寄った、語られなかった世界の物語である。

安堵の既視感と不思議な違和感の狭間を見事に貫いた風景を前に、沙羅はぬか喜びの末に辿り着く圧倒的絶望感に呆気なく膝を折っていた。

「揚げたてだよ!食ってきな」

外のがやがやとした喧騒の中にそんな呼び声が聞こえる。戸に遮断された空間では外の全ての音がぼやぼやと薄膜を貼り、脳に響くような突き抜ける音は聞こえてこない。しかし、それでも映える商売人の声に耳を傾ければ、冬眠間近のリスの如く日暮れに急き買い物に勤しむ市井の賑わいが窺えた。冬の盛りともあればおでんが専ら人気な様で、中でも大根が格別に美味いらしい事は名を呼ばれる回数から見て取れる。しんと静まる部屋の中では殊更おでんに対する人気振りが壁向こうまで伝わるばかりに、跳ね返った余波が沙羅含めた旅の仲間の腹時計
をちくちくと刺激した。

「なんか、またお腹空いてきちゃったねー」

長い足を折り続ける事が苦痛であったのか、もぞもぞと動き回り、果ては畳へと突っ伏して項垂れる魔法使い。長い胴体は今世界の仮宿で伸ばすには少々邪魔臭い。沙羅は膝をかすっていった長細い足が黒い大男の胡座の間に着地し、尚且つ腹パンを決めたのを見届けると、長過ぎるのも考えものだと独り言ちた。

「モコナもお腹空いた!だいこん食べたい!」

はんぺん!こんにゃく!ちくわぶ!

魔法使いの独り言は一番拾われてはいけない生物にしかと聞こえたらしい。少年の腕に包まれていたはずの白い生命体は皆が囲む机の上に陣取ると荒ぶるシャーマンのように奇怪なダンスを披露した。勿論、その間に呟かれるのは祝詞でも呪詛でも人名でもなく、おでんの具である。
白い物体が机の上でなんやかんやと騒ぐ度、立て付けの悪い机はガッタガッタと音を立て、そのうちごろりと畳を這っていたひょろ長い男も一緒になって騒ぐものだから、机下を温めていた布団がはためき沙羅は身震いを1つこぼす羽目になる。しかし彼等に物申せる程に気の強い性格ではない沙羅はこれ以上身から暖かさを逃すまいとしてぐんずと膝上ではためく布団をひっ掴んだ。

「お前らいい加減にしろ!」

けれどもそうする事で堪忍できる者も居れば、緒がプッツリと切れてしまう者もいる。時限式爆弾の様に秒読みの予兆が有ったにしても、余りにも大きな声で爆発するものだから、びくりと寒気とは無関係の震えが沙羅を襲い、より一層ぐんずと布団を握り締める事になる。
沙羅は察していた。こうなってしまったらこの男等が止まらぬ事を。知らぬ存ぜぬ触らぬ神に祟りなし、そっと目を逸らし直ぐにでもやってくる男同士の騒ぎ合いを黙殺する事でしか終わらぬ、出来ることなら見慣れたくはない日常であった。
こんな狭い仮宿でどんな騒ぎを起こすやら。壁も床も薄いものだから、内輪の騒ぎに留まらず怒鳴り込みのオヤジでも来てしまったらどうしようかとひっそりとため息を吐き、やってくるであろう喧騒に構えた。
しかし沙羅の感は今にも二次爆発を起こしそうな男がぶるりと身を震わせたことにより外れる事となる。そう長い時を共に過ごしている訳ではないのだから外れたとて大して驚く事ではないのだが、この時ばかりはひょろりと長い男も、白い擬きの生命体も、そうして人の良い少年等も空気が固まった様に静まり返り、件の男を見つめた。
件の男は屈強である。見た目通りに粗野で武骨、口の悪さと直ぐに手が出る性格を武人という言葉を隠れ蓑に大の大人になるまで直そうとしてこなかった様な男である。そんな男が身震いを1つ。戦地にいるわけでも、風邪に見舞われている訳でもない今この時にしたのだ。思い込みとは激しいもので、その様な屈強な男が寒がる訳はないとどこかで思っていたが故に旅の仲間全員が一様にして男を見つめたのだ。この男ですら寒さを感じるのだと。
男を人ではない何かの様に感じていた沙羅は殊更に驚き、目をまん丸に見開いた。
しかし奇妙な沈黙も数秒の事。まるで白い生命体の様にめきょりと目を見開いていた沙羅と屈強な男の視線が交わってしまった事でその奇妙な均衡は容易く崩壊した。びくりと肩を震わせおずおずと布団の中へと身を潜めていく沙羅に対し男はガンを飛ばす。ガラの悪い声を付けて。すると何時もの様にひょろりとした男が茶化しその場が元の空気へと帰化していく。先程の出来事がまるで無かったかの様な雰囲気に誰もがあれは見間違いだったのでは思い始めていた。ぬくぬくとした気力を根こそぎ奪うような布団に包まれて、夢現の幻を見てしまったのだと。

「お前等いい加減に」

そんな時であった。男が遂に二次爆発をしようという時、その男の熱量は違う形で破裂した。旅の仲間全員で居座るには手狭な部屋に大きなくしゃみが響いた。霧散しかけていた幻を男は己の手で連れ戻してきたのだ。こうなると旅の仲間は先程の身震いが見間違いではなかったとようやく気づく。そうして滅多にない男の不調の予感に茶化していた男も、側でそわそわと様子を見ていた少年も、そうしてくしゃみを耳元で聞ききーんと体を強張らせた白い生命体も前のめりに件の男を見やった。そうして勿論、布団に埋もれていた沙羅も斜め前に座る男をそっと見やる。

「風邪?」

炬燵だなんて小さいスペースに身を寄せ合っているものだから、普段よりも近くにあった男の顔色を見た沙羅はポツリと言葉を零した。一度そうかも知れないと思ってしまうと、そうであるような気がしてならなくなるのが人間というもので、なまじ弱み等を見せない様な男のくしゃみやら身震いを見てしまった沙羅は、男の顔色が心なしか赤くなっているように見えてならなかった。
そうして一度発した言葉というのは最早留め置けるものではなく、自然と部屋に広がり仲間へと拡散されていく。それが真実であるかどうかの確認は必要とされず、あの黒鋼が風邪をひいたかもしれないという驚きだけが部屋の空気を席巻していた。兎角彼を寝かせなければ。あの屈強な男が身震いまでしたのだから、きっと凄い熱があるに違いないと、良識ある少年は早とちりをし、慌てた様に部屋内をわたわたとしだした。
しかしあまりにも狭いこの部屋には、風邪の時に最も必要な道具が存在していなかった。そう、布団である。家主に一晩だけと無理言って間借りした部屋には勿論想定人数分の布団しかなく、現在その布団は深い眠りにつく姫が使用している。無一文に等しい彼等に布団を用意する手立て等なく、今夜は炬燵に身を寄せ合って過ごそうと先程話がまとまったばかりであった。故に少年は立ち上がり先程探索したばかりの箪笥やら押入れの障子戸を無意味に開けて何もない事を再確認する事しかできなかった。

「布団、もう一枚あれば良かったんだけどねぇ」
「風邪ひいた時は飯だ!おでん!だいこん!」

そうしてそれを見ていた男と白い生命体は呑気に言葉発する。 慌てても仕方ないと思っているのか、大男が風邪をひいていないと分かっているのか、兎角マイペースであった。そんな一人と一匹を横で見ていた沙羅も、彼等につられ上げかけていた腰をそっと下ろしほっと息を吐いた。別段心配していない訳ではないが、ここは存外自分の世界に似ておりさしたる危険もないと理解していた事も相まってか、中々に腰が重くなっていたのだ。

「炬燵で、横になったらどうですか?」

その代わりとばかりに沙羅は申し訳程度の代案を提示した。風邪をひいた身で炬燵で寝るなど悪化の一途を辿りそうであるが、少なくとも座っているよりマシであるし、なにより全身を包み込むような暖気が心地良い代物である。彼ならばそれで休めば直ぐに治るかもしれないと、沙羅はおどおどと声をかける。

「俺はべつに風邪なんて」

まさかそんな提案をされるとは思っていなかったのであろう。男は一瞬の間の後に赤い瞳を細め、提案を袖にしようとした。しかし、またしても男の言葉は途中で途切れてしまう。それは大きなくしゃみでも、身震いでも無かったが、沙羅は目の前で起こったマジックのような出来事に先程よりも驚き、思わず声を上げた。

「え」

大男を見上げていた沙羅は気付かなかったのだ。いつの間にか寝転んでいた男が起き上がり、剰え大男の足を思い切り引っ張った事を。ひょろりとした肢体からは想像も出来ない程力強い力で引っ張られた男は、畳の目を上手に滑り炬燵の中へと引き込まれていった。沙羅からしてみれば突然するりと男の背が縮んでいき、遂には見えなくなったものだから、突然背後から脅かされた時のように心臓がびくりと縮み上がった。驚きと予期せぬ事に滅法打たれ弱い沙羅は、暫し唖然と何もない虚空を見つめ、やがて脳が追いつくとそろそろと目線を下に向け、仰向けにされた男を見下げた。
男は男で咄嗟に崩された体制を立て直そうと肘をつこうとして失敗したのか、景気良く背中を打ったらしい。流石は武人であるからして、頭を打ち付けていない事実に沙羅は感心と安堵でそっと吐息を漏らした。まさかこんな安全そうな世界で一番の屈強な男が負傷の危機に見舞われるとは流石の沙羅でも用心していなかった。

「てめぇ」

しかしそっと息を吐いたのも束の間、ぷるぷると震え、まるでラスボスの様にのっそりと起き上がった男の人相を見た途端、沙羅はひゅっと息を吸い半身を仰け反らせた。どうやらガチ切れの模様である。

「えー、だって布団なかったしー」

炬燵に入った方が良いって、沙羅ちゃんがー

そんな鬼を諸共しない男は軽く言い訳をする。そこにちゃっかり沙羅へと罪をなすりつけようとする真意が見え隠れどころではなくおおっ広げにされた沙羅は、再度びくりと肩を怒らせふるふると首を振った。私は提案しただけであって、実害を与えたのはあっちですと恐怖で声を出せない代わりに強い意思をもって大男を見やった。やるならあっちに。顔面蒼白になりながら首を振る。しかし元より男の怒りの矛先は此方には向いてはいなかったらしい。手元に刀でもあれば斬って捨てる勢いで実害を加えた男を睨みつけていた。

「だって黒さま、寒そうにしてたから、あっためてあげようと思って」

俺ってば優しい。

男はどんな歴戦を潜り抜けてきたのであろうか。一切の怯みもなく剰え白い生命体と「ねー」なんて声を揃えて顔を見合わせている男にとって、大男の威嚇等取るに足らない物らしい。物ともせずまた、悪怯れもしない姿は見ていて最早清々しくも感じられるが、この男がする場合、それは大男の起爆剤に成りかねないと沙羅は知っていた。そうしてその事をこの男も理解しているはずであるのにと、沙羅は驚く。男の心臓には毛が生えているに違いない。

「わー、黒さまこわーい」
「こわーい」

鬼の目を更に釣り上げようとしているのか、男は何時も通りに鬼を茶化した。そこに合いの手なんて入ってしまったものだから、沙羅はそっと目線を横にやり目の前に広がる現実から意識を逸らす。もう知らない。此処まで来たのならば後はなる様にしかなるまい。鬼に慄く事すら放棄した沙羅はいつの間にやら捲れてしまっていた布団をぐんずと掴み上げ、肩まで覆う勢いで炬燵に身を埋めた。
そうしてホッと息を吐く。ぬくぬくとした暖かさに強張った緊張がじわりと解けていく。途端、部屋の騒ぎがぼーっと遠くなって行き、やがて外の喧騒に紛れていった。
外では未だにおでんと叫ぶ親父の声が元気よく響いている。大根にはんぺん、竹輪麩に蒟蒻。色取り取りの具材の中に、時たま子供の喧嘩の様に混じる見知った声。騒動の起きる前の平穏が戻ってきたような心地がした沙羅は、机に頭をくっつけ、人知れずそっと呟くのだった。

お腹が空いた、と。



▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
長編水魚の交わりの主人公と仲間が立ち寄ったかもしれない世界での日常を切り取ってみました。