小説 | ナノ

なほになほなほ


「自来也しゃま、自来也しゃま」

何が楽しいのか、其奴は良く儂の名を呼んだ。舌ったらずな幼い声で、小さな手のひらをうんと伸ばして儂を呼ぶ。自慢の長い髪を引っ張られては大変とその手が余計なものを掴む前に抱き上げて高く持ち上げてやれば、きゃっきゃと楽しげに笑った。高い所が好きなのだろうと思った。子どもは何かと高い所へ登りたがるのはいつの時代も変わらないのだなぁと、物思いに更けた。三十になればもう立派なジジイだと綱手に言われたのが思いの外こたえているのかもしれない。彼奴の場合見た目のみでならトンボ帰りにならない事を分かって言ったのだろう。なんて性根の悪い奴だ。
小さい頃こそ身長に悩んでいた時期もあるが、二十歳を迎える頃にはその悩み故の努力も見事に実っていた。何かと張り合っていた大蛇丸の顔もいつの間にか見下げるようになっていたのだから、時が経つのは何と早いことかと感慨深くなったことをよく覚えている。

「自来也しゃま、たかいたかーい」
「わかったわかった、そぉれ」

まだまだ現役の忍、それも働き盛りの三十手前。幼子の体重など羽の様に軽くて、力を誤ればそのまま天へと放り投げてしまいそうだった。一等高く登った幼子は一際大きな声で笑う。空でも飛んでいる気分なのだろう。青い空に大きな鳥が飛んで、その影がすっぽりと儂を覆うものだから、これはなんと具合の良い日陰だろうと笑った。

「沙羅、お前は空が好きだのぉ」
「うん、だーい好き!」

ぴんと両の手を伸ばして気持ち良さそうに飛んでいた幼子は、儂の問い掛けに機嫌良く返事をする。清々しい物言いは見ていて心地良かった。

「自来也しゃま、わたしね、将来は鳥さんになりゅのよ」

良かった、よかったと満面の笑みを浮かべていれば、沙羅は幼子独特の自由な発想で己の将来は鳥だと言うものだから、緩んだ頬が更にだらし無く垂れ下がった。

「そぉか!鳥か!」

夢がでかくてえぇのぉ!

空を飛んでいる沙羅は褒められた事に大層気を良くしたのか、元より笑顔だったその頬を更に引き上げた。そうしてぱたぱたと羽ばたく小さな手が一頻り鳥の真似をする。沙羅を支える腕がそれに揺さぶられてふらりと動く。見上げる儂の視界はまるで本物の鳥の様に、ふわりと空を舞う沙羅の姿で埋め尽くされた。
空に焦がれ飛び立つ鳥の様な有様に、ふと意識が飛ぶ。子どもの時分特有の夢や憧れ、期待や願い、輝かんばかりの未来、其れ等が酷く眩しく見えた。今の儂は、この子の様に強く未来を語れるのだろうかと。脳裏にチラつくのはずっと組んできた仲間の姿。スラリと蛇の様な姿形がだんだんと遠ざかって行く。待てと叫んでも止まりはしなかった。もう、儂の言葉は、共に語り合った未来は無いのだと、そう言われているようだった。

「お空を飛んでね、会いにりゅくのよ」

ゆらりゆらりと揺れる沙羅の姿が、突然強い光に変わる。大きく揺れた沙羅の体からはみ出した眩い陽の光が目を焼き、ふっと意識が浮上する。そうして、陽の光と同じ程の強さを持って幼子の声は儂の耳を通って脳に響いた。

「自来也しゃま、何時もお外に行っちゃうれしょ?」

だかりゃ、私から会いにりゅくのよ!

強烈な言葉だった。陽の光と、沙羅の言葉が己の目を、耳を焼いていく。空きっ腹に酒を満たした時の様な熱さが込み上げた。
体を駆け巡る血液と鮮明になっていく思考が言葉を体内へと取り込んでいく。取り込んだそれは血液と混じり合い、また指先足先の末端まで熱を灯していく。沙羅の言葉は、まるで光明のようだった。俯いた顔を上へと向かせ眩いばかりの光を浴びせて儂に言うのだ。会いに行くのだと。救われたような心地と、急き立てられるような叱咤に駆られて思わず目尻にも熱が灯った。

「そうか、嬉しいことを言ってくれる」

高く持ち上げていた腕を下げ、そっと沙羅を下ろす。途端ちんまりとなった沙羅と視線を合わせるようにしてしゃがみ込めば、じっと見上げてくる視線とかち合った。そうか、沙羅は何時も上を向いていたのだと気付いく。儂を見る時も、高く持ち上げられ空へと近付いた時も、沙羅は何処までも真っ直ぐに上を見上げていたのだと。

「なら儂も、沙羅が飛んで来れるように何処か遠くへ行かねばならないのぉ」

わしゃり。満面の笑みで見上げてくる幼子の頭を撫で、悪戯っ子の思い付きのように笑って告げた。沙羅と揃って笑う儂はもう、俯いてはいなかった。


▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
私の大好きな自来也様です。笑
今回は幼い女の子との心温まる物語を書かせていただきました。
小さい子の何気ない一言って大人にとってグッとくるものがありますよね。



砂の花嫁