小説 | ナノ


も寝てはならぬ



利用出来る、そう思った。

「まさか貴方様が木ノ葉の三忍と名高い自来也様どしたか。噂には聞きんしたけど、実物の方が大そう美丈夫どすなぁ」
「美丈夫はちと言い過ぎかのォ」

ガサツな大笑が空気を支配する。
とくとくと酒を注ぎ足しながら、私はずっと水面下息を潜め機会を伺っていた。

「いいえ、私には美しく立派なお方に見えてはりますよ。その雄々しい立髪も、誰かを守り、誰かを殺めてきたその御手も、全て」
「......」

微かに片眉が上がる。
殺めること、死を連想させる言葉にとても敏感な忍だ。
大切なものを守るために、何かを殺めてきた忍。
だからこそ、私は彼を選んだのだ。

「自来也様」

そろりと手を重ねれば、埋み火のような仄かに熱を宿した瞳が返ってくる。
爆ぜもしない熱量だけを秘めた炭が懸命に灰の中で疼いていた。

「今宵一夜だけ、私の側で眠ってはくれませぬか」

その言葉に、ぴくりと重ねた指先が反応を示す。
美味い美味いと飲んでいた酒の力か、瞳の奥が揺らぐのをまじまじと見て、重ねた手に力を込めた。

「わしの何が欲しい」
「貴方様の、その幾人もの大切な方の亡骸を抱いてきた腕が欲しいのです」

重ねていた掌で少しずつ腕を這い上がる。
若草の衣装が不恰好にたくし上げられる様は、今生で見納めるにはいやに官能的だった。
横目に流し見られる視線も、観察しているようでいてその実飢えを耐える獣のそれに似ている。
雄々しい立髪の隙間から覗く肌色。
這い上がった手で首筋に微かに爪を立てる。
幾人もの女の嬌声を吹き込まれたのであろう耳元に唇を寄せ、見たこともない女たちがしてきたであろうことに倣う。

「自来也様。その腕を、私に」

水飴のような吐息を吹き込めば、多くの武勲を立ててきた屈強な身体がまるで室の端で微かに揺らめく蝋燭のようにゆらりと揺れた。
揺れた身体はぷつりと操り糸の切られた人形のらように膝の上へと倒れ込む。
膝に感じる確かな重みは、伝説の三忍の確かな命の重みそのものだった。
私はそれを、利用しようとしている。
私利私欲のために。

「自来也様」

そっと呼び掛けれどぴくりとも起きる気配はない。
酒に盛った睡眠薬が余程効いているのか、彼は穏やかな寝息を立てていた。
そっと膝に掛かる重みを畳みへと下ろす。
そろりと立ち上がりありとあらゆる扉を閉めていく。
これから行う行為は誰に見られてもいけないものであったし、見せたくもないものだった。
蟻一匹。一息の空気すら入らぬほどにぴったりと扉を閉めていく。
蝋燭と灯籠の灯りだけが支配する室は実に舞台としては御誂え向きだった。
隠していた練炭と七輪を取り出し、火を配る。
ゆらゆらと天井に昇っていく煙を眺めながら、ついに私は最期を迎えられるのだと安堵した。

好いた男に先立たれ、後に貰われた家では私のことを娼婦のように扱う男と、奴隷のように詰り罵倒する姑。
どうして好いた男は私を一緒に連れて逝ってはくれなかったのだと、佳月を仰ぎ見て思う日々。
月影に浮かぶ己の影は、まだ落命することを許さぬように色濃く浮かび上がる。
遣る瀬無さと哀憐と孤独。
行き過ぎたそれらは悲憤となって身体を支配した。
ぬうっと伸びる影の首を一瞥して手を伸ばす。
こんな影を絞め殺したところで己が絶命できるわけもないのに、絞殺せずにはいられなかった。
死ぬ勇気も無いくせに失意から生まれる怒りだけはやたらと素直で、自害の真似事に伸びた手は迷わず首を握り潰していた。
握り潰して、それでも消えぬ影と己が当たり前のように呼吸をしている事実に辟易とした。
今生に未練などないと思っていたのに、どうしてだか死への一歩が踏み出せない。
好いた男の後を追って自害すら出来ぬ己の未熟さに、嫌気がさしていたのだ。

「ん......」

彼の小さな身動ぎにはっとする。
煙る室に漂う独特の芳香。少しずつ満ちていくそれはまるでこの世からあの世への導きのように身体に纏わりついてくる。
眠る彼を見下ろせば、美丈夫と名付けた尊顔は未だ穏やかに夢の中を漂っていた。
その精巧な美しさに、今更になって微かな良心が疼く。
関係のない人間を巻き込んで良いのだろうか、と。
けれど湧き上がる煙は容赦なく室の隅から隅。畳の目の中まで浸透していく。蟻も、呼吸一つすらも通らぬ空間を作りあげたのだから。
迷っている暇も、良心に心を傾ける時間も無かった。
私に一人で死ぬ勇気は無い。
だからずっと、ずっと探し求めていたのだ。
一緒に逝ってくれる人間を。
人の死に様を見届け、幾人もの大切な人間の亡骸を抱いてきたであろう腕を。
私はその腕に抱かれて逝きたかった。
誰でも良かったのだ。
死と隣り合わせの人間であり、大切なものを抱き締めたことのある腕であれば。
それが彼だったというだけのこと。
そっと、彼が飲んでいた杯を手にする。
薬の混ざった酒はそんなものが入っているとは思えぬほどに純粋で透明だった。
これを飲めば私の望みが叶う。好いた男の元へ逝ける。
写り込んだ己の顔がやけに白っちゃけてぼやけて見えるのは、きっともうあの世への一歩に片足を踏み入れているからかもしれない。

「......っ」

煽った酒が舌奥にぴりりという苦味を伝えて喉を落ちていく。
ごくりと飲み込んだそれが管を通って臍の方へと落ちていく感覚は、異物を受け入れてしまった嫌悪感を連れてきた。
けれどそれでいい。
これで私はとうとう来るべき時を迎えるのだ。
決死の覚悟でいたせいか、酒を飲んでしまった今となってはぷつんと張り詰めていた糸が切れるように身体が言うことを聞かなくなっていた。
重だるい身体で横になるのは、尚も眠り続ける彼の腕の中。
片腕を持ち上げ、その広い懐に潜り込む。
覆い隠されるようになったそこは、終の住処としてはあまりに上等だった。
鈍くなってきた四肢は重く、意識はどこかへと引き込まれるようにして身体から引き離されようとしている。
聞こえる微かな鼓動の音は彼のもの。
こうして瞳を閉じて耳を澄ませていれば、きっと私はあの世へと逝けるのだろう。
微睡みはじめた意識はやがて、考えることを放棄して暗い闇夜へと落ちていったのである。





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