小説 | ナノ


直者の部屋



この場所でしか貴方に会えない。
だから私は......。

春の日差しが容赦なく降り注げば、そこは暖かいを超えて暑くなる。
そんな襟元をパタパタと仰ぐ仕草をした人々で溢れる木ノ葉の里に、その女はやってきた。
暗部数人に囲まれるようにしてあうんの門をくぐれば、当たり前のように好奇の瞳があちこちから向けられる。
そんな中だというのに、両の手を後ろに捕縛された女は暑さに眉ひとつ動かさず、まるで一人森の川辺にでもいるような涼やかな顔をしていた。
きっと誰も、女が心にこの暑さよりも燃え上がる情熱を秘めていようとは、この時誰も気付いていなかったのである。
その情熱が牙を剥いたのは、捕縛された者が一度は入るのだろう室においてのことだった。
『正直者の部屋』
この一見陰湿な空気を纏うその部屋を、室の番人を含め周りは皮肉と信頼を寄せてそう呼んだ。

「ようこそ、正直者の部屋へ」

室の番人が待ち受けるそこへと、半端押し込まれるようにして背を押される。
後手に縛られていたために咄嗟のバランスを取り損ねた体は地を打った。

「手荒ですまない」

つかつかと無機質な足取りで歩み寄る番人は、地に伏せた女をそれはサディストの名に相応しく化けの皮を剥ぐことに躊躇などしないといった瞳で見下ろした。
歩み寄るくせに決して手を貸そうとしない番人に、女は分かっていたとばかりに器用な身動ぎでその冷たい瞳を見上げる。

「......ほぅ」

番人にとってこの室に入れられた者が見せる表情はパターン化されていた。
一つは尋問にかけられることに恐怖した者が見せる、瞳孔が不安に揺れるもの。
もう一つは決して口を割らないと決めた、敵意に眉目が強張るもの。
そして挑戦的に唇を歪め薄ら笑う者。
他にもいくつかのパターンに分けられると経験上察していた番人ではあったが、目の前の女が見せた表情はそのどれにも当てはまらなかった。
故に新しいパターンが増えた番人の脳には、女を屈服させたいという単純な欲が湧き出しその口元から感心とも言えぬ吐息を吐き出したのである。
室に一脚しか用意されていない椅子を引き寄せ、女の前で悠然と腰掛ける。

「ここは正直者の部屋だ。お前には全てを吐いてもらう」

そう告げれば、この室で見たことのなかった女の顔はまたみるみると形を変えた。
まるで何かに根刮ぎ心を奪われでもしたかのような恍惚としたそれに、番人は自身の重さで椅子をぎぃっと鳴らす。

女には、全てを吐いてもらわねばならない。

「お前、どうして此処に来た」

深い息継ぎの後にずいと女へ顔を寄せる。
互いの静かな息遣いすらも飲み込める距離に、恍惚とした表情は尚一層の艶を増した。
番人は知っているのだ。
問いの意味するところを、女は正確に汲み取ることが出来ることを。

「貴方がいるから」

情熱が牙を剥き、爆ぜる。
恍惚の奥に潜む艶美がしかと番人を捕縛すれば、夢のような女の声音が木霊する。
まるで正直者の部屋で唯一の真実を告げているのだと言わんばかりに。
早鐘の如く鼓膜を震わせるそれに平衡感覚が持っていかれそうになった番人は、張りのある薄皮を纏った女の唇だけを見つめていた。

「貴方がいるから此処へ来たの」

番人は気付いていた。
唇が象るものの正体を。
薄皮を纏う女のそれは、かつて一度だけ貪ったことのあるそれであると。
喉元を過ぎる熱さを嚥下しようと喉を鳴らすが、女の爆ぜた熱量は簡単に飲み込ませまいと喉元を漂うばかり。

「お前は自分のしたことを分かっているのか」

番人として誰しもに問うてきたこと。
そして数多の人間がこの問いには否定的だ。答えるも答えないにもかかわらず。
しかし目の前にいる女は違った。
見上げられた瞳には体の隅々から集めたであろうありったけの情念が込められ、乾きつつある唇は何てことないように肯定を告げたのである。

「えぇ、勿論。密書を奪ったことも、木ノ葉の忍を殺めたことも」
「何故だ......」

ふいに漏れる番人らしからぬ呟きに、女は初めて嬉々として唇を引き上げた。

「何故?貴方がそれを言うの?」

その問いにはっと息を詰めたのは番人。
まるで思わぬところを突かれたといった瞳は、またらしからぬほどに見開かれた。

「貴方が言ったのよ。此処にいるって」
「......」

番人の脳裏に過るのは、ある一夜の出来事。
情欲に貪った女の唇に吐き捨てた記憶のある己の居場所。
木ノ葉の忍であると告げ、身体中に出来た傷痕の理由を問う言葉に己が尋問なんてものに関わっていることを零した記憶が蘇る。

「思い出した?」

さわさわと女の吐息が唇を撫でた。

「私は貴方に会うために此処に来たの」

繰り返される言葉に目眩を起こす。
女の告げた言葉に偽りは無い。だからこそ言葉を失った。
番人は己の仕出かしたことの末路を、この時初めて知ったのである。
女に灯してしまった炎が木ノ葉の危機を招いたことに。
誤算は一つだった。
女がこんなにも純粋で無垢な狂気と紙一重の情熱を持っていたこと。
こんな所まで己を追って来るなんて。
それも人を殺めてまで。
ごくりと喉元を漂う熱量を飲み込む。
それは鳩尾を過ぎ腹の奥深くへと落ちていった。

「此処は正直者の部屋なんでしょう?」

更にずいと腰を上げた女は番人の耳元へと唇を寄せる。

「私は貴方に会いたくて此処まで来たの」

吹き込まれた言葉の真実が脊髄を震わせ脳を犯していく。
あの一夜の記憶と感覚があっという間に身体中を駆け巡れば、少しばかり距離を取った女はそれを見計らったように再び距離を縮めそっと唇を合わせた。
記憶にあるものと寸分違わぬ乾いた薄皮の感触。
正直者の部屋で唯一の真実は番人の口から言葉を吸い取り、女の情念をその唇へと刷り込んだ。
音もなく離れていく唇をただただ見やる。
女に火を灯したことがいけなかったのか。
それはいくら誘導尋問のスペシャリストの番人と言えど、おいそれと分かるものではなかった。

「ねぇ、貴方は?私に会いたくなかった?」

まるで無垢な何も知らぬ少女のような声音にどくんと胸が鳴る。
嚥下したはずの熱量はやはり腹の底で女に呼応するように息を吹き返した。
傷痕だらけの手を伸ばしていく。
己が何をしようとしているのか。
それを知りながらも、番人の手は言うことを聞かぬ生き物のように女へと伸びていった。

「此処は正直者の部屋だ」

まるで己に言い聞かせるように呟いた言葉に、女はこの時初めて後手に縛られたままの手を解こうと身じろいだ。
求めて、求めて。
此処まで来るのにあらゆる手段を使ってきたのだと訴える瞳。
番人の伸びた手はその瞳に争うことなく女の頬を包み、あの記憶の底にある一夜を体現するかのように唇を貪った。

此処は正直者の部屋。
誰もが己の心に従う場所なのだと、番人は食らいついた女の恍惚に浮かされた表情を見て思うのだった。

たとえ、この部屋から出てしまえば二度と戻らぬ関係だとしても。
この時の女と番人には、そんなことどうでも良かったのである。


▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
今回はイビキさんのお誕生日ということで、初イビキ夢を書かせていただきました。
心はめちゃくちゃ祝っているけれど、内容が祝っていなくてごめんなさい。笑。