小説 | ナノ

よこれゐとの日



”ちよこれゐと”なるものを手に入れた。

事の発端は朝早くからばたばたと一休に現れたアンコさんの一言からだった。

「沙羅、あんたにコレをあげるわ」

そう言って差し出されたものがぽすんと両の手に収まる。

「これは?」
「チョコレート」
「ちよこれゐと?」
「そ」

口の端を吊り上げて微笑むアンコは見慣れぬものを前にした私にそっと耳打ちをした。

「明日、これでカカシに美味しいものでも食べさせてあげなよ」

そう言うだけ言ってヒラヒラと手を振り去って行ってしまった背中を、ちよこれゐとと共に交互に見ては唖然とする。
そして今現在、台所の前でちよこれゐとなるものを前に唸っているのだった。
ぱきっと端を折り恐る恐る口にすれば、あっという間に蕩けてしまう甘さに口元を手で覆ってしまった。

「美味しい……」

食べた事のない味に料理人としての好奇心がむくむくと顔を出す。
そうなれば動き出さない手はなかった。
着物の裾をぐっとたくし上げふんっと気合いを入れる。
こんなにも美味しい食べ物、はたけさんにも美味しく食べてもらいたい。
でも……。
はたけさんは甘い物が苦手なのだ。
さて、どうしたものか。
始まって早々ぶつかった課題に溜息をもらす。
けれどそれが料理人としての課題だと思うと俄然やる気が湧いた。
勿論、一番ははたけさんに食べてもらいたいという私の我儘が原動力ではあるのだが。
そんなやる気に満ちた私は、貰ったちよこれゐとをありとあらゆる料理へと変身させていった。
鍋に焦げ付いてしまったり、上手く固まらなかったりしたのは御愛嬌。
なんとか形になったちよこれゐとを前に満足感で一杯になった頃には、とっぷりと日が暮れていた。

「出来た……」

我ながらなかなかに良く出来たのではないかと自画自賛をしてみる。
はたけさんがこれを食べた時、どんな顔をするのだろう。そう考えながら作ったからか、初めて食べたちよこれゐとが口内で溶けた甘さはいつまでも消えなかった。
誰かのために。
はたけさんのために作る料理はとても楽しい。
喜んでくれるだろうかと想像する瞬間はちよこれゐとのように甘かった。

「早く食べてもらいたいな」

食べて貰える時を想像してどきどきと胸が高鳴る。
くすりと笑みが零れるのは、突如として手に入れたちよこれゐとのおかげなのだろう。


「俺に?」
「はい」

ちよこれゐとの神様が味方をしてくれていたのか、次の日の朝早く。お店に暖簾を掛けようと外に出たところで偶然にもはたけさんに出くわすことが出来た。
これは神からの思し召しかもしれない。
そんなことを思った私ははたけさんを呼び止めた。
おはよう。そんな柔らかな声で返ってくる返事に今日も素敵な一日がはじまることを予感する。
時間に余裕があるというはたけさんを、まだ寝起きの店内へと招き入れた。
何だ?という顔の前に、作ったちよこれゐとをおずおずと差し出せば目を点にするはたけさん。

「そうか、2月14日か……」

なんてぼそりと呟かれた言葉に首を傾げれば、いやこっちの話と右目が緩やかに弧を描いた。

「アンコさんにちよこれゐとを頂いたので、作ってみたんです」
「へぇー、良く出来てるじゃない」

しげしげとちよこれゐとを見つめるはたけさんに褒められ、まるで飼われた犬のように尻尾を振りたくなる。
さぁどうぞ!と言わんばかりにはたけさんを見上げれば、その口にそっとあの甘く甘く蕩けるちよこれゐとが運ばれていった。

ぱくり。

「……これって、お団子?」
「はい!お団子にちよこれいとを絡めてみたんです!」
「それに甘じょっぱい」
「それははたけさんが甘い物が苦手だと仰っていたんで、少し塩を入れてみたんです」

もぐもぐと咀嚼が繰り返されるはたけさんを前にごくりと喉が鳴る。
美味しいと言ってくれるだろうか。
そんな不安が過ぎった。
しかしそんな不安は杞憂に終わったのである。
ぱくり、ぱくりとお皿に乗ったちよこれゐと団子はみるみるとはたけさんの口に吸い込まれ、気付けばあっという間にお皿は空になっていた。
最後にごくりとはたけさんの喉が上下に動くと、そっと両手が合わせられる。

「ご馳走様でした。すごく美味しかったよ」

その一言にじんわりと胸が温かくなる。
優しい微笑みが向けられたことに心がふわっと羽のように軽くなった。

「ありがとうございます!」
「お礼を言うのは俺の方だよ。ありがとう。きっと他のお客さんにも喜んで貰えるよ」
「え?」

思わぬ言葉に思考が追いつかない。
はたけさんは何を言っているのだろうか。

「あの、他のお客さんって……」
「あれ?2月14日限定で出す物の試作品か何かじゃないの?」

お互いの顔を見合わせて、お互いが首を傾げる。
そんな奇妙な空間。

「いえ。これははたけさんだけに作った物です。それに、アンコさんに頂いたちよこれゐとは失敗したりしてもう無いんです。だから、これははたけさんだけの物で……なので、皆さんには内緒にしてほ……しい…です」

最後まで言葉にしてみたものの、見つめたはたけさんの瞳がみるみると丸くなっていくことに言葉尻がふわふわと途切れていく。

「俺だけ……?」
「はい」

確認するように呟かれた言葉に肯定の意を示す。
そもそもちよこれゐとを貰った瞬間からはたけさんにも食べてもらいたいなということしか考えていなかった。
ましてやお店の試作品なんてことは到底考えてもいなかったのである。

あの、私何かしてしまいましたか。

そう問いかけようとした。
まさか見つめた先のはたけさんの瞳が見たこともない程に穏やかな色を帯びてくしゃりと皺を作っていようとは思ってもいなかったのである。
何一つ言葉に出来なかった私へと伸びてくる腕も見つめることしか出来ない。
あまりにも優しさを具現化したような表情に見惚れていた私は、頭へと伝う大きな掌にまたハッとさせられたのだ。

「ありがとう。嬉しいよ、本当に……」

やわやわと撫でられる頭の感触に心がむず痒くなる。
この「ありがとう」は、はたけさんの心からの声だと確かめなくても分かる。
自然と緩む頬に、やっぱりはたけさんのために作って良かったと思った。
想像していたよりもずっと大きな幸せを貰えたことに、こちらこそありがとうを沢山伝えたくなった。
きっと、これから先も私ははたけさんのために料理をしたいと思うのだろう。
そして、この甘やかなちよこれゐとのような微笑みを貰いたいと思うのだろう。

そっと口内で溶けたちよこれゐとが、私の想いを伝えてくれるようにと願った。


後で知ったのだが、2月14日は甘い甘いちよこれゐとを女性が好きな男性へと贈る日でもあるらしい。

あれ?
そうしたら私の渡したちよこれゐとは……


▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
今夜は聖バレンタインデー!皆さんはちよこれゐとを好きな方に贈ることが出来ましたか?
余談ですが、今作は「会いたくて」の番外編になっております。