小説 | ナノ

菜ジュースの尊厳



執務室にうず高く積まれた資料と、カップラーメンの残骸。
ノック数回にゴミ袋を片手に溜息を吐くのはお決まりになりつつあった。

どうしてこう……

汚いのだろうか。
毎回の現状にそんな言葉をこぼそうかとも思ったが、机に伏したまま寝こける七代目火影を前にして出来るはずもなかった。
目元に出来た隈とやつれた頬。
大凡健康とは掛け離れているのだろう様子に口をへの字に曲げる。
どうしてこう火影とやらは不健康を絵に描いたような生活をするのだろうか。
どうしてこう役職という椅子に座らされた人間は身をやつすのだろうか。
いや、きっとそうならざるを得ないというのが正しいのだろう。
それでも。
私にとってこの光景は、亡き父母の姿を彷彿とさせるため胸がつかえた。

木ノ葉から波の国に向かう道中、森の中隠れるようにして存在する小さな村。
優しい母と少し神経質そうな父の間に生まれた私は、父母の農作業を手伝いながら日々を幸せに暮らしていた。
あの日までは。
最初は村の御長寿たちからの「村長になってくれないか」という一言から始まった。
少し神経質そうで、年功序列を重んじる父は渋りながらも仲間たちの声もあり村長の椅子に収まったのだ。
周囲からの無責任な担ぎ上げが身を滅ぼすとも知らずに。
小さな村は村長が代わったのをいいことに、他里や他の村から攻め入られるようになった。
もちろん自衛のための力など持っているはずもない村は少しずつ集団としての形を崩壊させていった。
村の先行きが怪しくなると共に、責任は村長である父へと押し付けられるようになったのだ。
頑張れとか、お前なら出来るとか担ぎ上げていた周囲の人間も、ころっと掌を返して父を責め立てた。
神経質な父がその重責に耐えられるはずもなし。
私が十五の誕生日を迎えたその日。
農作業に服をどろどろにして帰ってきた母と私の目の前で、父は天井高くから首を吊っていた。
意外にも青白い顔は、父が村長になってから初めて見せる穏やかなものだったと記憶している。
泣き叫ぶ母の横で、私は非情にも父はやっと村長という重責から解放されたのだと一人安堵した。
それから数日後。
みるみると精神を病んだ母は、父の後を追うようにして自ら命を絶ったのである。
一人残された悲しみや、父母の死を目の前にした恐怖より、二人がやっと本当の意味で救われたのだという思いが胸を包んだ。
それから村はあっという間に崩壊の一途を辿り、私はこの身一つで木ノ葉隠れの里を治める火影を頼ったのである。
女性でも目を逸らさずにはいられない美貌を兼ね備えた当時の五代目火影は、真剣な眼差しで私を精査すると共に、人を魅了してやまない尊顔をにっかりと緩めたのだ。
あの日からどれだけの時が経ったのかは、正直もう朧げである。
ただ木ノ葉に来て、この場所を終の住処として許された私には一つだけ分かることがあった。

火影は、集団の柱は、身を粉にするものだということ。

私の父がそうであったように、火影も粉骨砕身木ノ葉の平和のために尽力していた。
勿論、あの美しい美貌の五代目火影すら目元に似合わぬ隈を作るぐらいだ。
しかし、私がそう思うのとは裏腹に、父と火影では決定的に違うものがあることにも気付いた。
それは、隈を作り疲れに疲弊していても穏やかに微笑むということ。
村長になってからの父に、そんな微笑みは浮かばなかった。唯一の穏やかな表情が死顔だったほどだ。
けれど火影は違う。
いくら重大案件の矢面に立たされようが、その凛々しさや穏やかな笑みは絶やされなかった。
何が違うというのか。
その答えは木ノ葉に来て火影をこの目で観察することで理解した。
火影の隣には、いつも火影を支える誰かがいるということを。
五代目火影に医療補佐のシズネがいるように。
そして、現七代目火影に奈良シカマルという切れ者がいるように。
いつも誰かが火影に寄り添い、木ノ葉を守るために尽力している。
その姿に、私は空が落ちてくる心地がした。
集団を纏めるのは確かに柱だ。
けれど、柱一本では家は建たない。
その柱を支える木がなくては。
この時、柱という存在の何たるかを始めて理解した私は、父の周りに自分も含め村長としての父を本当の意味で支える人間がいなかったことを理解したのである。

それは、遅い後悔を心に植え付けた。

だからこそ、私は誠心誠意勉学に励むことを誓ったのである。
勉強して、いつか胸に巣食った後悔を火影を支えることで昇華しようとしていたのだ。
それが父に対する罪滅ぼしになると信じて。

そしてそんな私の努力を、笑わずに『頑張れ』と言ってくれた人がいた。
それが七代目火影、うずまきナルトである。
私の生い立ちを聞いても、彼は同情の言葉の一切を口にしなかった。
ただ応援してるとばかりに責任も重荷も乗っていない肩をポンと叩いたのだ。

『ナルトさん、もし貴方が火影になったら健康には気をつけて下さい』

第四次忍界大戦の折に英雄となった彼は、時期に木ノ葉隠れの里の七代目火影となるのだろう。
私にも、その他大勢の目にも、それはなんとなく察することが出来た。
だからこそ、私は自分の得た知を活かす場所と時を見計らい、七代目火影の役に立つと勝手に決めたのだ。
春の陽だまりの中で太陽の髪をした未来の火影にずずいと手にしていた野菜ジュースの紙パックを差し出す。
首を傾げる姿にこれまた勝手な宣誓を述べた。

『コレを飲み続けてくれるかぎり、貴方への信頼は揺らぎません。全力で、誠心誠意貴方の目指す木ノ葉のための力になります』

身勝手もいいところの宣誓に目を点にした彼は、次の瞬間気が抜けたとばかりに太陽のような笑みを覗かせたのである。

『ははっ、それは頼もしいってばよ。それじゃぁ、何がなんでも飲まなきゃな』

にっかりと微笑んだ表情とずずずっと音を鳴らして凹んでいく野菜ジュース。
その光景を見つめながら、私の中で燻っていた後悔が少しだけ和らいだ気がした。

それからというもの、七代目火影がうずまきナルトへと継承された今。
私は彼の執務室にゴミ袋を片手に野菜ジュースを届けるのが日課と化していた。





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