小説 | ナノ

恋ノ帰郷



老いと未練の夜に、盈月は良く栄えた。

「綱手、飲みすぎだよ」

しがない飲み屋のカウンターで肩を並べる。
もう何年来になるかも分からない同級の里帰りに、忙しい火影ともあろう御仁はほいほいと腰を上げたのだ。
十中八九飲みたいだけだったのだろうことはこの際棚に置いておく。

「いいじゃないか!久しぶりに沙羅が帰って来たんだ。祝わないとな!」
「あんたが飲みたいだけでしょ」

久しぶりに帰って来た木ノ葉は、やはりどこか空気が違っていて、まだまだ戦争の世であることを臭わせるように里のあちこちが崩壊と再建を繰り返していた。
おかげで随分と様変わりした景色もある。
馴染みだった店が潰れていたりしたのはとても残念だった。

「で?いきなり帰って来て、どういう風の吹き回しだい?自来也じゃあるまいし」

ぐびぐびと酒を水のように飲み干していく姿に、相当日頃の鬱憤が溜まっているのだろうことが窺える。
ここで無理に酒を取り上げれば綱手の機嫌は急降下。伝家の宝刀怪力の一発でも食らわせられる予感がした私は、そっと横目に見つめるだけに留めた。

「自来也と一緒にしないでよ。たまにはね。愛しい愛しい故郷に帰ってこよーかな、と思っただけ」
「なんだそりゃ」

けらけらと笑う綱手を横に冷酒をくいっと煽る。喉を通る刺激に微かな快感を感じた。

木ノ葉の里に帰って来るのは、もういつ以来だろうか。
修行と名付けて出て行ったはずだったが、のらりくらりと時が経ち気付けば故郷とは縁遠くなっていた。
別に帰りたくなかったわけでは無いが、帰る必要性を感じなかったのだ。
何故なら、そこに綱手が居なかったから。
綱手は、私にとって木ノ葉で忍として生きるための理由そのものだったのだ。
きっとそんなことを言えば、綱手は呆れたように「お前も馬鹿だね」なんて言うのだろう。
それでも、私にとっての綱手は忍として生きるための理由そのものだったし、命をかけるべきものだったのだ。
綱手が木ノ葉を去った日、私は飛び出すようにしてその後を追った。
三代目火影が里を出ようとする私の背に問いかけた言葉は、今でも記憶に残っている。

『どうしてそこまでして綱手を追う』

その問いに、私は答えることなく里を出た。
答えられなかったんじゃない。
答えても理解されないことを知っていたから、私は答えなかったのだ。

伝説の三忍として名を馳せた綱手は、私たち同級から見れば医療忍者のエースだった。
華のある容姿に加え、医忍として決して怠ることのない努力。そして、何者にも動じず物を言う姿は一種の革命だった。
故にやっかみを買うことも多々あったが、そんなことに気取られる綱手ではない。
言い掛かりを付けてくるような人間たちには鼻で一笑し、負け犬はそこで黙ってなと言わんばかりに実力で他を圧倒したのだ。
その姿は私の記憶と心に強烈なインパクトと、風格とは何たるかを植え込んだのである。
迷いなく伸ばされる手が怪我人を癒していく様は、まるで神でも宿っているかのような手捌きだった。
あんな医療忍者になりたい。
記憶と心に強烈なインパクトを残していった綱手は、私にとっての目標であり憧れになった。
そして時が経つにつれその気持ちは少しずつ膨れ上がり、綱手の側で綱手の役に立ちたいと思うようになっていた。
そのむずむずとした気持ちが後に何という名で呼ばれるのかを知った時、私の中で心の隙間が寸分の狂いもなく埋まることを感じたのである。
しかし周りに言ったところでライバルや友情、友愛なんて言葉で纏められるのは目に見えていた。だから私はこの気持ちを口にしたことは無いのだ。
たとえ三代目火影の前であっても。
理解されるものではないと知っていたから。
何より、誰かに理解してほしかったわけではないから。
ただ綱手を想い、側にいて力になることが私の望みだった。

「さぁ!じゃんじゃん飲みな!あたしの奢りだよ」

酒瓶を豪快に傾けて酒豪の名に相応しい飲みっぷりをする綱手に、落ちるのは時間の問題だろうと苦笑を漏らす。
杯をくいっと煽る手は相も変わらず美しい。
張りのある腕から、繊細な医療行為に従事する指が梅の枝のようにしなやかに伸びている。
自身のささくれ立った指先や皺の寄った関節が恨めしくなるほどに、その美貌は衰えを知らない。
艶やかな唇が酒を含む度に、ごくりと生唾を飲む。
欲情なんて下世話な話になってしまうほどに、久しぶりの綱手は美しさに磨きがかかっているような気がした。
これも歳のなせる業か。

綱手と共にいて、最初は憧れていたものが、次の瞬間にはその視界に入りたいと望むようになっていた。
そしていつの日か、綱手が木ノ葉で力を持った時、側に私を置いて欲しいと。
けれど、結局綱手が医忍として成長しても私を側には置いてくれなかった。
何故なら綱手自身が縄樹とダンの側に置かれる立場を選んだからである。
その選択に、私は自分勝手にも裏切られたような気持ちになったのだ。
私にとって、綱手は先頭に立つべき人間だと信じて疑っていなかったし、なにより私のために先頭に立っていてくれなくては困ったからだ。
だがほどなくして、縄樹とダンが死んだという知らせが耳に入ってきた。
その知らせを受けた私の心は、何かから解放されたように澄み渡る青空のようだったことを覚えている。
これで綱手が私を見てくれる。
私を側に置いてくれる。
そう思い込んでいたのだ。

けれど綱手は、私に何一つ告げることなく木ノ葉を去ってしまった。

喪失感。
私にとって忍であり続ける理由が無くなってしまった里は、まるで灰でも降っているかのように色もなく無機質な場所へと成り果てた。
木ノ葉の里への愛も、何もかもがすこーんと抜け落ちた場所に、未練などある筈がない。
あるとすれば、それは綱手へ抱いたこの気持ちそのものだろう。
迷うことなく、私は三代目を振り切って木ノ葉の里を出たのである。
最初は綱手を追いかけようともした。
しかし、時が経つにつれその行為が身勝手なものでしか無いことに気付いたのだ。
綱手が私に声を掛けなかったのは、私が必要無いから。
それに気付いた時、私はこの育ちきってしまった気持ちを抱えたまま生きていかなければいけないことを覚悟させられたのだ。
道中色々な場所で聞く”伝説のカモ”の名に、心が満たされて行くのと同時に、どうしようもない愛惜の念を感じた。

どうして、側に私がいられないのだろうかと。

長い年月をそうやって過ごしながら、老いていく体と付き合ってきたのだ。
年々と辛くなる修行に、気持ちだけがまだあの頃の感情を大切に育てている。その複雑なバランスは、吐き気を催すほどに私を蝕んでいた。
肥大化していく心と、老いる体。

そのバランスが崩れようとした矢先に、綱手が五代目火影に就任したという風の噂を耳が拾ったのである。
その知らせは、私にとって命をかけるべきものが木ノ葉の里に帰ったことを告げていた。
もういい歳だというのに、風の噂を信じ切った私は鞄一つを引っ掴み木ノ葉に帰ることを決めたのである。
綱手のために。

いいや、己の未練を昇華させるために。


「もーいっぱーい……」

うにゃむにゃと案の定あっと言う間に酔い潰れた綱手を見やる。
腕を枕にして机に伏したまま気持ち良さそうに眠る姿に、この歳になってもまだ綱手の新たな一面が垣間見れることに心は穏やかな歓喜の声をあげていた。
何口目かも分からぬ酒を飲み干し、些か熱い吐息が漏れる。
いつまで経っても美しい金髪が滑らかな腕に掛かっていた。
視界を過る己の皺くちゃな手が、若さと老いのコントラストを楽しむように伸びていく。
艶やかな金髪を指に絡め取れば、触れたことの無い気持ち良さにまた欲が顔を出した。
随分と老いたものだと思いながら、この想いは老いてなどくれないのだと観念する。
ふっと鼻で笑い、くるくると弄んだ髪を一房掬い上げた。

この髪の毛一本一本からでもいいから、私の気持ちが流れ込めばいいのに。

そんな願いを込めて、そっと口付けを落とす。


そろそろ、私を側に置いちゃくれないだろうか。

「このままじゃ、死ぬに死ねないよ」


▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
今作は私の人生初の百合小説になります。お相手はなんと綱手様!笑
正直書いたことが無いので、どんなテイストが正解なのだろうかと探り探りで書きました。いかがだったでしょうか……?
自身の老いと恋に振り回されるというのはどんな気持ちなんでしょうかね(^^;
また、アンケートにて百合小説をとコメント下さった方、ありがとうございました。新たなことに挑戦する機会を与えてもらえてとても幸せでした。