小説 | ナノ




「消えちゃう」


そう呟いた娘の一言にハッとした私は、その無垢な瞳が見つめる視線の先を追った。








「こんにちは、沙羅さん」



兄、日向ネジの墓前に立つ凛とした横顔。

年に何度か訪れる墓参りの際には必ずと言っていいほど彼女と顔を合わせていた。

涼城沙羅さん。

以前はネジ兄さんと幾度となく任務を共にしていた仲だったということは良く知っている。
私がネジ兄さんとの稽古中、差し入れを片手にゆるりとした笑みを浮かべて日向家へ足を運んでくれていた。
来るたびに、

「あなたはまた……」

とか

「暇なんですか……」

などネジ兄さんの溜息と嫌味の応酬を受けるも、負けず飄々とした態度でするりと躱していく姿にくすりと笑みが零れたことを覚えている。



実はとても馬が合うのではないかと思ったことは私だけの秘密である。







「こんにちは、ヒナタさん。ヒマワリちゃんも」


優しい手つきで娘の頭を撫でる彼女。

ふわりと百合の香りが降り注いだ。

それが、彼女が持ってきたであろう花束から香っているものだろうと気付く。

以前墓前で同じように出会った際、訪ねてみたことがあるのだ。
「いつも百合の花束を持ってきて下さいますよね」と。
すると、彼女はそっと舞い上がる風に奪われるように遠い空へと視線を投げ呟いた。


「ネジくんには、きっと百合が一番に似合うから」

「……」

その横顔は思い出に浸り微笑んでいるようでもあり、また酷く切なさに歪んでいるようにも見えた。


第四次忍界大戦時、沙羅さんは後方支援としてネジ兄さんとは別行動をとっていた。

そのため、ネジ兄さんの最期を看取ることが出来なかったのだ。

当時は、私もネジ兄さんが目の前でナルト君を守り亡くなる姿を目の当たりにして悲しみに涙した。


しかし、後から思えば一番涙に暮れたいのは彼女ではなかったかと思う。


ネジ兄さんと共に戦えず、最期を看取ってあげることも出来なかった辛さは計り知れない。

私には今も隣で微笑んでくれるナルト君がいる。





けれど、彼女には今隣でそっと微笑みあう人間がいないのだ。




大戦終了後彼女と顔を合わせ、訃報を知らせた時の表情は今でも私の心に鉛の様に巣食っている。

「そう」

たった一言呟き、そっと目を閉じる姿は世界から自身を切り離そうとしているようで、心が騒いだ。

彼女が自ら生を手放してしてしまう泡沫のような存在に感じられたから。







「ねぇ」


頭を撫でられていたヒマワリがそっと沙羅さんの手を取る。
ネジ兄さんの面影があるヒマワリは、日向の家でもネジ兄さんの生まれ変わりのように父や日向の血族の者たちから可愛がられている。
彼女もそう思っているのか、ヒマワリにはいつもその端正な目元をすっと細めて朗らかに微笑んでくれるのだ。

そんな目元がヒマワリの呼びかけに「何?」と応える。














「消えちゃダメだよ」





「……!」





その小さな声は私と沙羅さんをハッとさせるのに十分な重さを秘めていた。




この子にも分かるのだろうか。




彼女が、今にも消えてしまいそうなことに。




「……」



朗らかな目元が見開かれ、黒曜の瞳がじっとヒマワリを見つめ返す様子を見ながら、娘の小さな一言が彼女の心に届けば良いと願った。




あなたは一人じゃない。



そう伝えようとして彼女の空虚な瞳に言葉を飲み込まざるを得なかったあの日の言葉。
言葉にしなくても伝わって欲しいと願うことがどんなに卑怯なことであるかは心得ている。
それでも、私が口にするにはあまりに無責任な言葉だったのだ。

だからヒマワリの放った言葉は私の代弁でもある。





いや、もしかしたら。






ううん。






きっと。





ネジ兄さんが伝えたかった言葉かもしれない。



ヒマワリは、ネジ兄さんにとても似ているから。





ふわりと風に乗せて百合と小さな向日葵の香りが舞い上がる。

彼女の瞳がそっと閉じられ、やがて陽だまりのように暖かな瞳がヒマワリを見下ろした。







「ありがとう」






心に負った傷は消えない。
それでも。
消えてしまうことを選択するのではなく、生きて自分のことを思い出して微笑んでくれることを、ネジ兄さんも望んでいるはずだ。




ヒマワリからゆっくりと視線をあげて私へと向かってくる瞳。


瞬間。





あぁ、もう大丈夫。

そう思えた。








「また、差し入れ持って行きますね」






彼女が、そう微笑んでいたから。


▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
この話は、実は「馬が合う」のその後の物語になっております。
戦争が人と人とを引き裂きながら、それでも時間と新たな命が主人公を救ってくれたらいいなという気持ちを込めました。