華ヤカ哉、我ガ一族 | ナノ

第拾肆話 洋装茶人ノオ気二入リ


帝都の街並みが文明開化の文字通り花開く様を見るのが、本条院トキの楽しみであった。

「銀座もどんどん変わってくなぁ」

車窓から見える景色は年々刻一刻と変化していく。
今では随分と洋装の男女が増え、ハイカラなんていう言葉も流行っていた。
帝都は常に、何かの生き物のように進化していたのである。
それはトキの感性を刺激し、心を潤わせた。
洋装もハイカラも、帝都が文明開化に鐘を鳴らすよりも前に、トキはその全てを網羅していた。
誰よりも先に洋装を着こなし、ハイカラな食べ物や物事には一通り手をつけてしまっていたのである。
故に時代がトキに追い付くと、トキはやっと時代が自分に追い付いたとにんまり頬を緩めるのと同時に、我の時代此処に来たりとまで思ったのだ。
しかし、トキはなにも目新しいものに目を奪われるだけの人間ではなかった。
本条院トキは京都では名だたる茶道の家元、本条院千家閑記庵拾参世宗守、鉄斎の娘である。
茶道の腕前はあの宮ノ杜玄一郎を唸らせるものであり、トキの腕前に惚れた玄一郎はトキと師弟関係を結んでいた。
トキは時代の最先端を行きながら、伝統も守るという大正時代には珍しい温故知新の精神を体現する人物だったのである。
そんなトキが車に揺られ帝都の街並みを流し見てやって来たのは、これまたトキを退屈から遠ざけてくれる場所、宮ノ杜だった。
新緑が顔を出す並木を抜け正門へも辿り着けば、此処に住んではいないはずなのに帰って来たような気分になった。
きっと此処に愛する息子、勇がいるからかもしれない。
僅かばかりの郷愁を感じたトキは、相変わらずの使用人頭である千富の出迎えに宮ノ杜が変わっていないことを喜ぶのだった。

「トキ様、ようこそいらっしゃいました」
「出迎えご苦労さん」

クロッシェ帽を粋にかぶったトキはふと千富の横にいるはずの使用人の姿が無いことに気付いた。

「千富、あの子はどうしたん?」

トキの言うあの子。
それは宮ノ杜では風変わりを通り越して軽蔑の対象にまで見られている沙羅のことである。
何故トキが沙羅の存在を知り、千富の横にいないことを不審がったのか。
時は沙羅が使用人として働き出した六年前へと遡る。
本条院トキは玄一郎と離婚してからも、茶会が催されたり、何かの式典があれば宮ノ杜に顔を出していた。
その時はじめて使用人としての沙羅と出会ったのが始まりである。
トキは目を疑った。
いつか何処かで見たやたらと澄ましているような、それでいて何かを常日頃から憂いているような白蓮の瞳を持つ涼城家の御令嬢。
それがどうしてだか宮ノ杜の使用人としてトキに頭を下げていたのである。

「あんさんは......」

そう驚いた声にも、沙羅は深々とお辞儀をするだけだった。
思わず玄一郎に問えば、涼城家を買い上げた時の預かりものなんて言う始末。
預かりものなんて可愛い言い方をして、結局のところは力にものを言わせて連れ去って来たのだろうとトキは予感していた。
玄一郎の奇行は、第二婦人のトキといえどおいそれと分かるものではなかった。
ただ連れて来たからには何かがあるのだろう。それぐらいならばトキでも想像することが出来た。
財閥の娘が使用人になる。
きっと勇や他の兄弟が聞けば荒波が立つだろうと思っていたが、それは案の定。
使用人になったばかりだという沙羅を、勇も含め兄弟たちは目の敵にしていた。
その様子にあんたたちな、と呆れにも似た溜息が溢れたのである。
何故なら、トキにとって沙羅は中々に面白い存在であり、トキの好きな部類の人間だったのだ。
本条院トキは身の程を弁えない人間が大嫌いだった。
しかし、自分の立場を弁えている人間に対しては文句も何もなかったし、沙羅のことを言うのであれば、あれはトキの機嫌を取るのがたいそう上手かった。
令嬢から使用人へとなったのならば、使用人として振る舞うべきである。
トキの考えに、沙羅は全て見事に当てはまってみせた。
恭しく首を垂れ、宮ノ杜の人間には楯を付かない。
目を伏せ口を閉じ耳を塞ぐ。
使用人としてのあるべき姿を体現してみせたのだ。
そしてトキの必要な時には必ずと言っていいほどいの一番に駆けつけた。
トキが欲しいものを素早く手に入れ差し出したり、引っ込めたり。
涼しい顔をして、何処にそのきめ細やかな気遣いが詰まっているのか。
観察すればするほど、トキの興味を引いてやまなかったのである。
本条院トキは変革を好む。
時と場合によって己を変化させていく者こそが、時代を生き抜けると感じていたし、トキ自身がそうあるべきと心掛けてきた。
故に令嬢から使用人になったといえど、使用人としての在るべき姿へと己を変えていった沙羅に対してはこの上もない評価をしていたのである。
勇や兄弟たちにはそれこそ奇異の目で見られたが、本条院トキにとってはそんなもの痛くも痒くもなかった。
気に入ったから使う。
それが全てだとトキは確信していたのだ。
こうして沙羅は使用人一年目にして、本条院トキの一等お気に入りへと昇格した。
それからというものの、トキが宮ノ杜を訪れる際の世話係りは沙羅の仕事になり、出迎えには千富と共に控えるようにと伝えてあったのだ。
それがこの日、千富の側に沙羅の姿は無かった。
何かあったのだろうか。
それともついに辞めてしまったか。
色々と考えを巡らせたトキではあったが、千富の放った言葉を聞いて目を丸くしたのである。

「トキ様、あの子は食堂にいます。トキ様のいらっしゃる時間ですと昼食がまだだろうからと、料理長と共にトキ様をお待ちしているのです。お出迎え出来ずに申し訳ありませんと言っておりましたわ」
「あの子が?あはははっ!」

やっぱりあの子は面白い。
勇や兄弟たちを騙し抜いた時のような愉快さに腹からは大笑が湧き上がる。
ぐぐぐっと鳴るお腹の音に、よく気の利く使用人だと、また沙羅への評価を上げるのだった。

「ほなら、早速いただきまひょかね」

トキは荷物を千富へ預け、その身は休むことなく食堂へと向かうのだった。
そこにはきっと、本条院トキ一等お気に入りの使用人沙羅が、首を垂れて待っているのだろうから。





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