ほんとうは真っ先に、変わらないきもちをことばにしたかった。それを伝えたかった。
晋助にも、胸のまんなかを苦しくさせるものがあるのなら、今度はわたしがおんなじように取り払ってあげたかった。
それなのに、わたしは晋助の問いにしばらくなにも返せずにいた。恨むなんて、どうなっても有り得ない考えが生まれることが、さっぱり分からなかったから。どうしてだろうという感情がまず先にこころの中でぐるぐる渦巻いて、早く答えたいというのに邪魔をされてしまっている。
晋助の目がふっとゆれた。きれいなまつげの動きが、まるで自分の目の前で起こったことじゃないようだった。

「何故こんなことを訊くのか分からねぇってツラだな」
「うん……、わかんない」

お願いだから、かなしい想像をしないでほしい。そして、そうさせない為にもわたしはさっきの問いかけに早く返事をしなければいけないとおもった。

「わたしのすきが、これからどんどんおおきくなることはあっても…消えちゃうことなんて…ないのに、」

況してそれが、憎悪に変わることなんてぜったいにない。今度はわたしがそう言い切れるのに。

「真っ当に育ったからなァ、おまえは」
「…そうでもないよ」
「俺みてェな碌でなしの傍に居たってのに、」
「そんなことない」
「きれいに育ったもんだよ」
「… そんなことない、」

最初はすこし、ばかにされているのかと感じてしまったけれど、晋助のひとつの目がただただ真剣なものだったから、わたしも晋助のくれることばにちゃんと本心を返していった。

「世話になったんだろう。伊東にも真選組にも」
「……ぁ、」

そこでやっとわたしは、晋助の言わんとしていることにひたりと気づいた。
腕に巻いてもらって血の滲んだ総悟くんのスカーフが、ひじかたにもらった飴玉の包み紙が、近藤さんと一緒にみた山茶花がひとつひとつ、どれも鮮やかに頭を過ぎる。
そして伊東さんにもらったおにぎりの味をおもいだすと、途端にすっかり忘れていた二の腕にある傷口の痛みまでも戻ってきた。

「今回の騒ぎは鬼兵隊も関わっている」
「…うん」
「伊東がああしたのは、あいつの意思だ。いつかは仕出かすことだった。そのいつかが偶然、今日だった」
「…ん」
「それでもおまえは納得しねェだろう」

晋助が、わたしのほっぺたやまぶたの上にゆびをのせて、感触を確かめるようにさらさらと撫でていく。
ことばや声色は、責めているようにも問いかけているようにも感じない。ぽつぽつと紡がれていくそれらはどこかひとりごとのようだったけれど、わたしは聞き溢さないよう耳を傾けた。

「奴等に情が湧かない訳があるめーよ、おまえはそういう奴だ」

たくさん涙を流した。だれも怪我をしないでほしいと、目の前で起こった状況に必死になった。それは絶対に本心だった。
それでも、今日のばくはつした列車のなかよりも息ができないくらいの苦しさに襲われた出来事のひとつが、わたしにはあった。

「…わたし、生きてて何かを恨めしくおもったことなんて一回きりだよ」
「…そりゃ初耳だ」
「だって言ってないもん」
「十年以上そばにいるってのに思い当たる節がねェよ」

そうだろうとおもう。かなしいとか辛いとか、きっと 憎たらしいとかも。そういう、どろどろを背負うような感情がわたしのなかで生まれたりしないよう、晋助は今日の列車のなかのようなせかいをずっと、わたしから遠ざけてくれていただろうから。
けれども一度だけ、心の底から全てを憎いとおもった、憎いなんて表現すらも軽々しいとおもうような。そんなどろどろに支配されたことが、わたしにもたしかにあった。

「晋助のせかいが半分になったとき」

ぴたりと、髪を撫でていたゆびの動きが止まった。晋助が、ほんのすこし開いた目をわたしに向ける。
真夜中のようにしずかな、いつだってやさしいその右目を見つめ返した。

「なにかを恨んだことなんて、あのときが最初で最後」

うっすらと赤の滲んだ包帯、まぶたの開かなくなった左目の刀傷と項垂れる晋助の横顔を見つめ、幼かったわたしのなかに湧き起こったものは、今日のものとおなじだとは到底言えなかった。

「伊東さんとさよならすることが、ぎんちゃんたちが怪我をすることがもし先に分かっていても…… わたしはあそこに行ったよ。晋助に会うために、」

ものすごく非道いことを言っていると自覚はあっても止められない。これも、本心だったから。
流れているくうきは切羽詰まっているわけでもなく、声にする一歩前で、一瞬考える時間があるくらいには落ち着いているのに、ことばは止まらず出ていってしまう。

「わたし、きれいなんかじゃないし、すごく欲張りになった」

どうしようもなく、晋助の胸に飛び込みたい衝動がそわりと駆けて行った。
自分のことばで自分をひどく追い込んでしまった。欲深さだけでなく、更に非道さまでもはっきりさせてしまって、耐えられず助けを求めてしまいそうになった。

「でもわたし、晋助についていきたい」

今、わたしがわたしでいられる頼りは、きょうもあの夜にも晋助が言ってくれた、きれいな目をしているという言葉だけだった。否定をしても結局それに縋ってしまっていた。
きれいごとが全部、こころから剥がれ落ちてしまったような気がする。

「そばにいたい…いさせて、」

しんすけ、と何度も呼んだ名前を、そのよっつの文字をひとつひとつ、刻むようにくちにした。すると、ぶわりと静かに荒む風が通り過ぎていったような気がして、それが区切れになったかのようにわたしのこころはみるみると落ち着いていった。
やっぱりだ。くちにするだけで、どんな怖いものも忘れさせてくれるのも、切ないくらいのだいすきを溢れさせるのも。そんなひとを、やっぱりわたしはひとりしか知らない。
深い息を一度吐いて、またくちを開く。

「…すきだよ」

堪えられなかった一度のまばたきが、涙をひと粒流し、ほっぺたを伝って顎からわたしのおきにいりの寝巻きに落ちていった。
すこしして、晋助は無言でわたしの肩を抱き寄せ、かおをわたしの首筋にうめていった。
それだけでわたしは、晋助がわたしのすきを突っぱねず、またいつものように どこか困ったかおで躱すこともせずに、ちゃんと受けとめてくれたんだとわかって、晋助の背中に回した両腕をふるりと震わせてしまった。
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