このせかいを壊すと豪語する男に、もうひとつの顔があることを世の人間は知る由もないだろう。その姿を目にすることを許され、与えられ、せかいへ向ける憎しみの深さと同等、もしかすると それ以上に大きな愛情を一心に受ける人物が、此の世にただひとり、いることを。
その者は剣術に長けている訳でも、戦いの知識がある訳でもなかった。少女の名は、優美といった。









「しんすけまだかなあ」
「船に戻って真っ先にむかってくるのは、考えずとも優美のところに決まってるでござるよ。そう焦るな」
「…はぁい。万斉さんも、ねむくなったらおやすみしていいからね」

むかしよりも、ずいぶんと気を許してくれるようになったでござるなあ、と苦笑する。鬼兵隊がふたたび結成されて間もない頃のきおくをたぐりよせれば、彼女はすでに我等の頭領のそばにいた。それとも、頭領のほうがこの少女のそばにいたのか。どちらが正しいのか、それはふたりだけにしか分からない。きっと 正しさなどあのふたりにとってはナンセンスなものなのだろう。

少女の登場に些か動揺していた我等へ、晋助が表立ったことばをくれることはなかった。しかし晋助は自身の脚にしがみつくまだちいさかった優美を抱きあげることで、彼女の存在を自らの軍に知らしめた。戦がおわった後は彼女を取り巻くものがいままでと打って変わったのだろう。初めて出会ったとき、まだ年端も行かぬこどもだった優美は不安な表情を全面に出し、あらたな鬼兵隊の顔ぶれと目も合わそうとしなかった。
そんな優美に晋助がやったまなざしを目にして、我等は悟ることとなる。その目と、彼女にふれる手つきの、なんとやさしいことか。
取るに足らない たったそれだけの行動、だがそれにより生み出されたふたりを纏う空気から、誰しもが悟らざるを得なかった。彼女はここでたったひとりの、傷つけることを許されない人物だ。晋助が鬼兵隊に、護ることを命じる存在 国を壊さんと揮うその剣で、唯一 護ろうとする存在。



ゆえにこうして、あるじの留守には拙者が彼女の護衛をしているわけだ。とはいっても晋助と彼女の部屋に侵入することはなんだか憚れるため、とじられた襖越しに話しかけたりなどして安否を確認している。護衛や安否などおおげさな表現をしたが、お守り、と謂えば彼女が反論するようになったので まあ雑談やあそび相手みたいなものだ。襖にからだをもたれさせ、部屋の中のちいさな気配をかんじながら曲や歌詞を生みだすこの時間はきらいではない。弦を弾き、おとを奏でれば中から歌声もきこえてくる。愛らしいその声はたいくつな暇を与えない。

さみしさからか、晋助のいない間の優美は、いつもふたりで過ごす部屋からあまり出ようとしない。夜のじかんは、とくに。逆に 晋助が彼女のそばに居るときは安心感があるからか、探検なりおにごっこなりと好き勝手に行動することがおおかった。それはのちに 優美曰く晋助のやきいも、という感情によってだいぶ減ることになるのだが。

「しんすけ、さみしいよう…はやく戻ってきてくれないと、わたしねこになっちゃうよ」

月日は流れ、あたりまえに優美も歳を重ねていった。こどもの成長はあっという間だった。育った環境が特殊だったのと、だれかさんの過保護により与えられるものが限られていたためか、年齢の割にかなりの世間知らずで夢見がちな少女と成った。それでも、自分のあたまで考え行動することはきちんと年相応に身に付いた。まだおとなとは謂えず、しかしこどもというわけでもない、曖昧な境界にいる彼女のかおつきは、日に日にきれいになってゆく。ちいさかっただけのからだも、華奢という表現が似合うつくりになってきた。

「! しんすけだ!」

とつぜん襖が勢いよく開き、優美は床に散らばった譜面や歌詞の書かれた紙を踏まぬようおそるおそるそれらをとび越えると一目散に駆けていった。むかしはこねこのように警戒心のつよかった彼女がいま、このときだけちいさな犬にみえる。だいすきな存在の気配をかんじとることができるのも相俟って。

「よぉ優美、ただいま」
「おかえりなさい!」

晋助のこんなにもやさしいかおを独占できるのは、此の世でひとり、優美だけだ。断言できる。彼女をみつめる隻眼はいつだって、慈愛に満ちていた。

「いいこにしてたか?」
「……」
「どうした」
「んーん、あんまり…」
「ほォ、そりゃまた何故」

晋助に、抱きつくというよりもぎゅうぎゅうとくっつき離れない優美のすがたを見て、未だ残る幼さに安堵の息をついた。ほんのすこしおとなの域に足を踏み入れたこの少女は、周りの隊士たちの視線を昔とは違う意味で集めるようになった。覚束ない足取りのちいさな存在が物珍しいのではなく、うつくしく成長をした少女に、ただ見惚れて。
そんな変化と、自分の彼女に対する感情も他の隊士とそう変わらない事実に、自分自身がまだついていけてない。そのため、昔のような面影を見つけられた日はひどく安らいでしまう。

「しんすけいなくて、さみしかったから…いいこにできなかった、かも」
「そうかい」
「ぅわっ」

歯切れ悪くうちあけた優美を両手でだきあげ、そのまま自室へと歩をすすめる当主のために道を空ける。むかしは、晋助の胸元にすっぽり収まっていたちいさかった少女が、いまやもう そのすんなりとのびた細いうでを晋助のくびに回すことができるようになった。そのようなおんなの仕草 どこで覚えたのか、はたまた晋助が教えたのか。

「さみしさに参って泣いちまったのか」
「…うん、」
「すなおに白状できるたぁいいこだな、優美」
「しんすけぇえ会いたかったあ…」
「世話かけたな、万斉」
「いや、後はふたりでごゆっくり」

言われなくとも。目がそう語っていた。昼間、室内からたまにひびく鼻をすする音には気づいていた。お通ちゃんの曲は以前、悪影響なもんを教えるんじゃねぇぞと禁止を敢え無くされてしまった ので、童謡をいくつか選んで歌ってやると、ちいさなすすり泣く声はそのたびに止んでいたし、彼女なりに気を遣ってくれたのか、たのしそうな声を返してくれていた。が、晋助を前にすればあたりまえにそんなものの効果はなくなる。ふたたび目をうるませ甘える彼女に晋助はかおを近付けた。

「優美、」

彼女のほおに残ったなみだの跡に、そっと己の舌を這わせる男。晋助のうでに抱かれながら 長いまつげを濡らす優美の表情は、まぎれもなくおんなのもので、心臓がどくんと鳴った。かとおもえば つぎの瞬間、名を呼ばれふにゃりとほころばせたかおは、むかしと変わらずあどけないまま。晋助はさいご、釘をさすような視線をこちらに寄越し、そして逸らすと しずかに襖をしめた。

一端の人間ですら、あの、時折みせるおんなの表情にはうっすらと感情を抱いてしまう。そして晋助はそれに気づいている。だから、まるで見せつけるかのように、晋助のことしか目に入ってない優美を隠そうとしなかった。
日々おとなへと育ってゆく彼女のことを、いちばんちかくで見て、感じとっていた晋助がなにをおもっていたのか、それは想像することしかできない。

そしてだれも知り得ない男の感情は、いつの日かを境に、少女にほんのすこし一線を引くことを答えとしたようだった。晋助が、あのときのように優美へふれることは、めっきり減っていった。











「どういう教育うけてんだてめっ、チャラチャラしやがって」
「…少なくともおとなの階段ということばをあの子のいる場で使うようなちゃらんぽらんよりはマシでござるよ」

ねぇ万斉さん、晋助とおとなの階段をのぼるってどういう意味?どんな階段なの?怪談なの?おとなのこわいはなしなの?
それをのぼるの?と穢れを一切らぬ両目をぱちぱちと瞬かせながら尋ねてきた優美に、だれがそんなことを言ったのかと問い詰めればぎんちゃん、と返ってきた。頭を抱えたきおくに蓋をし、目のまえの白夜叉を見据えればおなじように頭を抱えていた。

「いやいや優美だってさあ、もうお年頃じゃん?あれくらい合唱曲の歌詞にもなってるじゃん?だからついうっかり例えに使っちまったっつーか」
「名曲の歌詞とぬしの想像する階段をいっしょにするなどこの上なく不快でござるな」
「んだとてめぇ!!つーか俺はてめえらみたいな集団に優美が悪影響うけてねーか心配でカマかけただけだっつの。案の定なんのことかわかってなかったから安心したけどね!」
「彼女もそろそろ所謂そーいうものには敏感な年頃になってくるゆえ、主のようなデリカシーのない輩を周りに置いてはおらぬ」
「オイコラだれがデリカシーのねぇ卑猥な天パだって?!」
「白夜叉、おぬしのほうこそヘッドホンをつけてるでござるか?それも呪われた」

晋助は真選組をつぶすつもりでいけと言った。幕府の狗たちが集うそこに、一戦交えたかった相手の坂田銀時もいる。一石二鳥だ。

「おいタコ助。あのおとこ、てめーらの息のかかったもんのようだな。優美まで巻き込んで一体なに企んでやがる」
「彼女がこの場にいるのは我々にとっても不本意だ」

疑わしい視線をむける白夜叉に言い放つ。あたりまえだ。優美を傷つけることも、戦いの場に置くこともだれひとり望んでいない。伊東もなにかおもうことがあったのか、彼女だけは傷つけないよう計らっていた。

「まじで腐っちまったみてーだな。俺ァこんなマネに使わせるため優美をおめーらに託したわけじゃねーぞ」
「託した?戯言を。優美はもともと晋助以外の選択などなかったでござろう」

たとえ、行く先が修羅の道であろうと。晋助は彼女をそばに置き、自分自身で護ろうとした。
優美を手離すことなど考えなかったはずだ。彼女が、幼かったころまでは。




「……なっ!!」

突如ひびいた、仕掛けの爆発音に白夜叉が目を見開く。そして、おなじく自分も。つづく白夜叉のくちから零された名に、背筋が凍るような感覚。

「優美!!!」

なぜ、煙のあがったほうへ目を向けて彼女の名を呼ぶのだろう。伊東は真選組の一番隊隊長に護衛を任せていると言っていた。そんなこと、なんの確証にもならないというのに。白夜叉の足が列車へむかう。すべてを悟った拙者もおなじく。はやくそこへ向かって、脳裏に描くいやな結末を断ち切らなければならない。たったひとつだけの、我等が護る存在のもとへと。
走りながらおもいだすのは、優美がはじめて自分のそばを離れていったことについて零した、あるじの心のうちだった。



あいつがもし 堅気の、俺以外のせかいを選ぶことがあればそのときは見送ってやりゃあいい。優美のしたいようにさせてやれ。



自分以外の選択肢などいままでつゆほども与えなかった男が、優美本人にこれからを決めさせることを選んだ。それは、彼女をそばから突き放すよりも、重く ざんこくなことだと感じた。
それでも晋助が優美の出す答えにゆだねると決めたのは、彼女がもう幼いこどもではなく、晋助にとってひとりのおんなだから。そしてこのまま、白夜叉のいったようなてめぇらみたいな集団と共にいれば、彼女も血塗られた未来から免れぬというのに、晋助自身の選んだ答えで優美を手離すことは 依然として出来ないから。あのおとこも、人間なのだ。だいじな存在を どう護ればいいのかと、臆してしまう人間だ。そのような当然のことを教えてくれたのはおぬしだったでござるよ、優美。

「たのむ、無事でいてくれ」

晋助はああ言ったが、たとえ袂を分かつことになろうと 彼女が傷つくことだけは、それだけは望んでいない。それはもちろん、じぶんも。はやく無事を確認したいと、そして出来ることならまだそばで、晋助を人間にしてやってくれと、そう願うじぶんがいるのだ。
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