「ぎんちゃん」

もう夜更けだってのに弱々しい声で俺を訪ねてきたのは、怖がりで、まだ厠にもひとりでいくことのできない優美だった。

「どうしたんだよ、こんな時間に。高杉はへやで寝てんのか?」

優美はふだん高杉のそばを、しかもこんな暗がりのなかであれば余計離れたことなんてなかったもんだから、予想だにしない訪問に一瞬固まってしまった。いまにも泣きそうな彼女をあわてて自室へ迎え入れる。こんなとこ高杉に見られたら俺が泣かしたとか部屋へ来るよう誑かしたとか誤解されかねない。あいつ優美のことになると見境いも聞く耳もないから。

「ぎんちゃん、ぎんちゃん」

懇願するように俺の着物をゆるく掴み、あまりにも痛ましいこえでなまえを呼ぶ。幼いこどものそんな様子に胸が痛くならないわけがない。ちいさな手をそっと包みこんだのを引き金に、優美は限界だったのかポロポロとなみだの粒をひとつふたつと流した。月明かりに照らされる優美の泣き顔とこの状況に、なんだか俺は、月に帰らなければならないと泣きながら打ち明けたお姫さまの、おとぎ話をおもいだす。そう感じさせるほど、このときの優美は不安定で危うげだった。手の中のぬくもりから、今の戦乱の世だからこそ、なくしてはならないと思わせるちいさないのちを感じた。

俺はここ最近のあいつの違和感と、どこか陰をひそめる表情をおもいだしていた。俺ですら気づいていたのだから、優美が感じ取らないわけねーよな。泣き顔にどうしたと問いながらも、原因なんてなんとなく予想はついている。暗がりが苦手な優美が、真夜中にひとり、あいつから離れてまでここへ来た理由なんて、ひとつしかない。

「しんすけが  、このままじゃしんすけが、どこかにいっちゃう…どこか、とおくに」
「、優美」
「ぎんちゃん、どうしよう たすけて。 しんすけを、たすけて…」













「ちょっとォォォちょっとちょっと!!!おまっ、こんなとこで何してんのォォオ??!!」

おどろいた。たぶん一生分くらいおどろいた気がする。いっちょまえに暗殺されそうだとかいう真選組のゴリラを確保するため、ロックのかかった扉にバズーカをぶちかませば、見知ったかおがゴリラの下からむくりと出てきたものだから。むかし、ぎんちゃんの髪ふわふわできもちいいねと、この自前の天然パーマをほめてくれた女の子だ。

「一刻も早く優美からどきやがれ腐れゴリラ!!優美ーーー!!おにいちゃんはそんなふしだらなマネ許した覚えはありませんっ!」
「ふし……? えっ、 ぎんちゃん?!」

死体になったかとおもわれたゴリラは生存していたようだ。ふしだらなカンジになっちゃったのテメェのせいだからァァアとこちらに叫び返しているものの、俺は煤のついた目のまわりを拭う優美に釘付けだった。俺や高杉と過ごした、チビだった頃の面影を残しながらも、すこしずつだがおとなへ成長しつつあるかおつきを見て、戦が終わってから月日が経ったんだなあと感慨深くなる。が、おもいでにひたってる場合ではなかった。なんでここにいんのおまえ高杉といっしょにいんだから真選組はやべーだろ、と焦りも生まれる。もしかしてこいつらがおまわりさんだってこと知らないとか?ありえる。加えておとなの階段もふしだらの意味もまだわからないってどんだけ過保護に育ててんだ高杉は。いやべつにそこは知らなきゃならねーもんでもねーけど。たしかに優美にはまだそういうのはえーけども。たぶん、優美はずっと純粋な子でいてほしいとおもってるであろう高杉くんのきもちもわからんでもないけど。なんのはなししてんの?

「えっ、てかおまえら知り合い?優美ちゃんあいつ、万事屋のこと知ってたんだ?」
「よろず?ぎんちゃんのこと?ずーっとまえにね、ぎんちゃん一緒に暮らしてたんだよ」
「は?!万事屋テメェこんな幼気な女の子を連れ込んでナニした?!」
「うるせぇえよゴリラだまってろ頼むからだまってろ。今俺も混乱してんだ」
「! ひじかた、ひじかた!!」

優美の跳ね上がったような声に、神楽や新八のこいつナニやらかしたんだ一体という視線を削ぐことができた。いつのまに真選組のやつらと、名を呼び合うまでなかよしさんになったのか問い詰めたかったが、あいにくそんな時間はなかった。あちこちで雄叫びや爆発音が鳴り響いているなか、優美が目になみだを溜めて奴の名をくちにする。真っ赤な目と鼻先と、ほっぺたには涙のあと。泣き虫なのは変わってないようだ。

「近藤さん!ひじかたが来てくれたよ!」
「そーだよ、万事屋銀ちゃんが依頼引き受けたからにはなァ、きっちり連れてきてやったよ。遺言でな、こいつの」
「遺言?!」
「妖刀に魂、食われちまった。今のこいつはただのヘタレたオタク、もう戻ってくる事もあるめェ」

優美が目をぱちくりさせ、ようとう?とくちを動かした。ヤツはなにもいわず、相変わらず全身を震わせているだけだ。優美のほうはどこまで理解したのかわからないが、さっきとは打って変わりどんどんふたりのかおから表情がきえていった。いままでの面影なんて見つけられなかったのだろう。ゆれうごく優美のまなざしから、ヤツは逃れるようにさらに縮こまっていく。

「トシ、」
「真選組護ってくれ、ってよ」
「…ひじかた」
「優美ちゃん、危ないから下がって」
「面倒だからてめーでやれってここまで連れてきた次第さ」
「……っもう、」
「優美?」
「……、もう  ひじかたと会えないの?」

縮こまるそいつを追いかけるように、優美は列車から身を乗り出してそう言った。そぼくなその声が、ヤツも含め、今この場にいるみんなのくうきを変えたのが、俺にはわかった。
ゴリラが優美の肩をささえようとしたときだった。おおきな爆発音が、優美たちのいる車両からしたのは。

「優美ちゃん!こっちに隠れて!!」
「! 神楽!!」

俺の声に神楽は、ゴリラをねらったパトカーに向けてすばやく番傘をむけた。あいつら黒い隊服を着てやがる。裏切り側についたヤツらか。もうどれが味方か裏切りもんなのかわかんねーんだけど。おなじパトカーから、再度狙いを定めたバズーカが構えられたが、神楽の打った弾丸がその手を攻撃し、直撃を外させた。

「!あっ、っだめ !!」

弾かれたようなこえ。みんながそこに目をむけたとおもう。優美をつかもうとしてんのか、空を彷徨うゴリラの手が視界に入る。目に映ったもんがスローモーションになって、まるで映画の編集がかかったような光景。さっきの衝撃で、優美の着物の袖口からなにかがこぼれ落ちた。風に吹かれたそれを追って、身を乗り出し、宙に飛んだ 優美。








なあ優美。まだおまえが、うんと幼くて泣き虫だったとき。それでも ちっせぇ身体で、つたないことばで、あいつのことを護ろうとはじめて俺をたよってくれたとき。いっこだけした約束あったよな。もうあれから何年も経って、おまえもきっと高杉のそばを離れられるくらいにはおとなになったんだろうけど。おぼえてっかな。



















「優美!!!」

彼女のなまえを呼んだのは、俺のこえじゃない。立ち上がり、運転席に身を乗り出して、ボンネットまで転がるようにすがたを現した黒。見慣れるのをとおりこして見飽きた、黒服。腰にあるのは刀。

「ふざけんなよてめぇ」
「ひ、じかた」

ふたりして、優美のほそっこい手首と腕を手繰って、列車の風圧にとばされそうな身体をこちらに引き寄せる。

「寿命縮んだわ、まじで」
「、うん。ごめんなさい」
「おとなしくしとけっつの」
「会いたかったよ」
「……ばかやろ」
「優美ちゃん?ねえ俺もいるよ?」

足にちからが入らないのか、俺とやつにもたれかかるその身体はやっぱりまだちいさいけれども。

「ぎんちゃん、ありがとう。やっぱりぎんちゃんはぎんちゃんだね。ヒーローだ」
「あったりめーよ」

俺のしってる泣き虫な優美が、もう泣いていなかった。飛んでいってまで追いかけた、なんの変哲もないいちご柄の包み紙なんかを空にかざして、へにゃりとわらっていた。

「おまっ、それ…んなもん持ち歩いてたのかよ」
「うん。あのときすっごくうれしかったから 捨てられなくて」

なにふたりのせかいに入っちゃってるんですか。この回きちょうな俺目線なんですけど。それにね、と優美がていねいに折られた包み紙を見せて言う。

「これがきっと、ひじかたのところまで連れていってくれたんだよ」

あいかわらず夢見がちなことを言うのは、みなまで言わずともあいつの影響だろう。ヤツの髪のすきまから、赤くそまった耳がみえた。トッシーだったのか、そうでないのか、それはだれにもわからないけど、柄にもなく見て見ぬ振りをしてやろうとおもった。着物も髪もぼろぼろの優美が、こんな状況でもあまりにまぶしく笑っているから。たばこの香りが、ヤツが戻ってきたことを証明していた。
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