そうごくんが、さっきまでくちに押し当ていたスカーフをわたしの腕に巻いて、止血してくれた。わたしよりもだいぶ背の高いそうごくんを覗き見ると、むずかしそうに眉根を寄せていた。
「優美」
「…」
「悲しいか?」
見るからに痛々しい傷のことではなく、彼はそう、尋ねた。そうごくんのかおのほうが、悲しそうなんだけどなあ。そうごくんの指がほっぺたにふれる。かおも切っていたみたい。指先が、赤くなって、なんだかわたしよりもそうごくんが怪我をしてるみたいだ。訴えるように、わたしは彼のことばにぶんぶんとちからの限り首をふるう。それなのに、なみだは止まってくれない。
列車の中を走りながら、そうごくんとこんどーさんから話を聞いた。伊東さんが考えてること。伊東さんがやってきたこと。驚きはしなかった。むしろ私はほっとしてしまった。やっと分かったから。伊東さんの考えていたことが、いくつかは。
「伊東さんは、おまわりさんを乗っ取ってどうするの」
わたしの前を走るこんどーさんが泣きそうなかおで振り向いた。あそこのひとたちは、びっくりするくらい人情深い。だれかの手に踊らされるのも、頷けるくらい。伊東さんにこんなことをされて、わたしにも、騙されて。こんどーさんがほっぺたを掻きながらなにかいいたげにくちを開き、そしてすぐに閉じた。なんだろう。だれもくちを開かなかった。3人分の足音だけがバタバタと響く。わたしのくちからは、思考をしなくてもことばがぽろぽろと零れてくる。
「どうしてほしいものをほしいって言えなかったの」
「…そうだな」
「どうしてこんなやり方になっちゃったの」
「考えたっておめーの底抜けな脳みそじゃなにも出ねェよ」
「自分のものにしたいくらい欲しいのなら、他の方法だってあったはずなのに」
じぶんに言い聞かせるように、わたしはそのことばを吐き出した。こんなとき、じぶんのことばで気づかされるなんて。
「みんなの輪に入るだけじゃ、だめだったんだね」
伊東さんの、秘めていた欲とそこからの不満は、わたしとおんなじだった。彼のふっと目元を細めて笑う、やさしい表情をおもいだした。どうおとなぶっても、どこか親しみを感じてしまうあの表情を。
「…近藤さん」
「ああ」
「こいつ変なとこ似てるから腹立つ」
「え?」
だれに?よくわからないふたりのそのやり取りに、問いかけようとしたのと同時に、わたしは走るのをやめた。もうじき最後の車両に差し当たる。行き止まり。ふと気づけば、そうごくんの姿が見えない。代わりにさっきから何度も聞いてきた重苦しい音。ガラガラガラ、ガシャン。こんどーさんもわたしも、呼吸が止まった。
扉の向こうにそうごくんはいた。
「そうごくん!?」
「総悟!何やってんだ!」
「開けてそうごくん!」
「おい優美、おめーちゃんとわかってんだろーなァ」
ちいさな小窓を叩いてもびくともしなかった。扉は外側から鍵がかけられるらしい。開かないドアを叩くわたしとこんどーさん。さっきの爆発のときみたいに息が苦しい。ひゅうひゅうする喉のおくから、声をふりしぼって彼の名を叫んだ。
「近藤さんから離れんな」
「そうごく、」
「これ以上、俺をヒヤヒヤさせねェでくれや」
そうごくんから離れていく車両。わたしは、すべてがちぎれる音と、そうごくんのちいさな声を聞いた。ねえ、わたしが、だれに似ているの。まだ教えてもらってないよ。
「家族を失うのは、もう御免だ」