「伊東さんはいつかえってくるの」
きょうのおやつをもってきてくれた山崎さんに問う。ここでのおとまり も、多少なれてきた。それでもまいにちおもうひとは変わらないし、心地好いとかんじるじぶんを叱りたくもなる。山崎さんは、縁側にねころぶわたしのそばにお盆をおいた。ことんという音と振動が、ダイレクトに耳にとどいた。跳ね起きてみると、まるいお皿には色とりどりのちいさな和菓子がのっていた。どれもお花のような、かわいいかたちをしている。ひとつひとつの名前なんて、わたしにはわからないけれどおいしければいい。にがいお茶といっしょにたべるのが、甘みとの絶妙なバランスを味わえるからまたいい。晋助におしえてもらった、ことだ。
「うーん、伊東先生はいそがしいからなあ」
「伊東さんはせんせいなの?」
「まあ、そうかな。真選組の参謀だから局長がそう呼んでるんだよ」
さんぼう。武市さんみたいな位置のひとだろう。でも武市さんがせんせいなんていわれてたのは、きいたこともみたこともない。むしろよくわからないことばで、たぶん罵られているきおくしかなかった。聞き返さないわたしが意外だったのか、山崎さんはおどろいたかおをしていた。わたしはももいろの和菓子をひとつ菓子箸ではんぶんに割った。
「参謀っていうのはね」
「作戦とかかんがえるひとでしょ」
「バウムクーヘンはしらなかったのに…今時の子はわかんないや」
「おしえてもらったの」
晋助はたまに、わたしのぎもんに、まじめに答えてくれることもあった。まじめというのは、わたしのなかでむつかしいことを説明するという意味合い。晋助のいうことはほとんどロマンチックだから、たまに なのだ。けれどもそのロマンチックの、どれがほんとうか、うそなのか、そんな二択はよぎらない。ぜんぶ、ぜんぶ、晋助のいうことを信じていた。いま、わたしがねこに変身しないのも、晋助がまほうをかけたから。
「お兄ちゃんね、なんでもしってるの。伊東さんより、ずうっとすごいよ」
「優美ちゃんのお兄さんかあ」
山崎さんがしみじみとつぶやく。お兄ちゃんなんて、うそ。でも伊東さんよりすごいのは、わたしのなかでほんとう。
「今頃さみしがってるんじゃないかな」
「……」
「はやく仲直りできるといいね」
「そしたら、もうおまわりさんたちに会えなくなっちゃうよ」
「そんなことない、いつでもあそびにおいで」
おしごとは、とか、そんな空気のよめないことばは頭のかたすみに追いやられた。晋助のところへ帰ったら、きっとここのひとたちとは会えない。会えたとしても、こんなふうに居心地のいいくうきは生み出せない。どちらにしても、ここにいても帰っても、わたしのなかにはぽっかりと空洞ができてしまう。
「お兄ちゃんとなにをはなそう」
「バウムクーヘンをはじめてたべたこととか、はなしてみたら?」
「ええぇ〜」
「会話なんてささいなことでいいよ」
「そうかなあ」
「たくさん勉強した優美ちゃんみたら、お兄さんびっくりするって」
バウムクーヘンをひとつ知ったことで勉強のなかに入るらしい。そういうものなのか。晋助のことばだったら納得できるものの、山崎さんやほかのひとでは基準とか、考えてしまうし、歯痒くもおもう。わたしの悶々としたきもちに全く気づかない山崎さんは、急須をもちあげてお茶をそそいだ。こぽこぽ、素朴な柄のそれから、小気味いいおとがした。
「わたしが、なんにもしらなかったことをはなそうかな」
山崎さんとお茶したことも。なまえもしらない、はんぶんに割った和菓子をようやっと口にいれた。このももいろの子のなまえもきいておこう。わたし和菓子のなまえ、ひとつおぼえたんだよ。晋助ほめてくれるかなあ。