Lust | ナノ

じっとりと滲み出る汗が、米神の辺りから流れて頬から顎へと伝い落ちてゆく。
暑さのせいか足取りが無意識のうちにだらけたものに変わっていたらしく、足を進めども進めども家までの道のりが遠い。
ペタンペタンと足音が響くのは、安いビーチサンダルが足の裏に打ち付けられるように音を立てているからだった。
コンビニからの帰り道、咥えていた煙草の長さは既に残り僅かまで来てしまった。
一度立ち止まって左脚のビーチサンダルの裏に吸い差しの煙草をを押し付けて火を消すと、馬場はその吸殻を指先に摘んだままで顔を上げた。
やっと目の前まで迫ったおんぼろのアパートを目に、疲れと安堵の入り混じったような溜め息が馬場の口を突いて漏れる。
彼女が来るのはもうそろそろだっただろうか。そんな事を考えながら錆びた外階段を上ると、馬場の目の前には見慣れた後姿が自室の玄関前で佇んでいるのが目に入った。


「なまえさん」
「あ、馬場さん。コンビニに行ってたんですか?」
「ええ…待たせてしまいましたか?」


少し大股で通路を進む間にも、なまえはニコニコと笑顔のままで二、三度首を横に振りながら「今着いたばっかりですよ」と答えた。
夏らしい涼しげな格好の彼女の姿が微笑ましく思う反面、露になった二の腕や太腿が直視し難かった。
汗ひとつかいていないなまえの傍に立つと、ふわりと香った爽やかな制汗剤の香りが馬場の鼻腔を擽る。
その香りに、少しだけ胸が息苦しくなった気がした。


「何を買いに行ってたんですか?」
「嗚呼、冷たいお茶を…。なまえさんが来るのに冷蔵庫に何もなかったんで」
「言ってくれれば来る途中に買ってきたのに」


くすりと笑う彼女に上手く返事が出来ぬまま、馬場はポケットから出した鍵を鍵穴に差し入れるとなまえを部屋の中へと誘った。
極端にものの少ない馬場の部屋の窓は開け放たれており、微かに入り込む外気が緩やかに室内の空気を掻き混ぜていた。
お邪魔します、と言いながら馬場の後ろを着いて室内へと上がりこんだなまえは、何故か馬場の後ろにぴたりとくっついたまま、そっと馬場のシャツの裾をその指先に掴んだ。
突然のなまえの行動に、馬場の動きが止まったのは言うまでもなかった。


「な…ん、」
「馬場さん、なんかいつもと違う匂いがしますね」
「なまえさん…?」


微かにシャツが引っ張られる感覚に戸惑いながら馬場が振り返ると、なまえがちょうど馬場の肩甲骨の辺りに鼻先を寄せているのが視界に入った。
すんすんと己の香りを確かめるかのように鼻先から空気を吸い込むその姿に、ぐらりと頭が揺さぶられたような思いがした。
固まっている場合ではないと馬場の頭が指令を出したのは、彼がその視界に捕らえていたなまえと視線がかち合った時であった。
ただでさえ汗をかいて湿っぽくなっているシャツに、このままなまえを触れさせていてはいけないという感情に駆られる。


「俺、今汗かいてるんで…あんまり近づかないでください」
「ん…それは全然感じないですけど、煙草かなぁ。変えました?」
「あ、ええ。安いのに変えました」
「じゃあそのせいかもしれないですね。なんだかいつもと違う匂いです」


こっちの方が好きかも。そう言いながら馬場の背中に抱きついたなまえは、ぴたりと頬を彼の背中へとくっつけた。
その姿を目の当たりにした馬場は、いつの間にか先ほどまで指先に摘んでいた煙草の吸殻を強く握り締めながらなまえから顔を逸らすだけで精一杯といった不甲斐ない状態に陥っていた。
先程彼女から香った制汗剤の香りを感じた時以上に己が息苦しさを感じている事に気づき、馬場はそこで漸く自身が無意味にも呼吸を止めていた事に気がついた。


「なまえ、さん…あの」
「はい?」
「その、お茶でも…入れますから」


なまえの手から逃れるように大きな一歩でキッチンへと移動すると、情けなくも震えた吐息が馬場の口から零れた。
キッチンの三角コーナーに握りつぶしていた吸殻を放り、そのついでに冷たい水で手を洗いながらちらりとなまえの様子を窺うも、彼女はまるで平素と変わらぬ様子で揺れ動くカーテンを眺めていた。
なんだかもったいない事をしたのかもしれないと思い直しても今さら遅く、今さら彼女の手で再びあの息苦しさにも似た感情を呼び起こしてもらう事は叶わない。
汗を拭うついでに己の肩口に鼻先を寄せて少しだけ息を吸ってみたものの、馬場にはなまえの言う香りの違いなど判るはずもなかった。
riechst so gut

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