Lust | ナノ

柏木が帰宅するのは、大概日付を超えた時間になる。
夜の濃い、静かで薄暗い時間。公共交通機関などはとうに最終運転を終えている時間である。
とは言え柏木は公共交通機関を利用する事は皆無であるため、帰宅時間が何時になろうとも不便を感じる事はない。
何時ものように黒塗りの車の後部座席を降りると、運転手の男がドアを押さえたままでお疲れ様です、と深々と頭を下げた。
適当に声をかけて男に背を向けると、柏木の足は自然と大股で目の前のマンションのエントランスへと向かう。


「すっかりすれ違いだな」


ぼそりと口に出した言葉は、柏木の虚しさを増徴させた。
起きている彼女と言葉を交わす時間は、朝の僅かな時間だけである。もう何日も、いや何ヶ月もまともに向き合っていないような気がした。
どんなに遅く帰ってきても必ずなまえと同じ時間に目を覚ますようにしているのは、ほんの僅かの時間だけでも彼女との会話の時間を持ちたいというささやかな気持ちの現れであった。
エレベーターに乗って辿り着いた最上階、なるべく音を立てないようにドアを開けると、室内は何時もと同じく真っ暗であった。
柏木の足は迷うことなく一直線になまえが眠るであろう寝室へと向けられた。
帰宅時と同じくらい慎重に静かに寝室のドアノブに手をかけると、暗闇の中であってもベッドの上に人影が横たわっているのが見えた。
足音を殺して近づくにつれ、その輪郭が浮き上がる。そっと覗き込めば、あどけなさの残る寝顔が薄っすらと唇を開いて眠っていた。
まるで、眠り姫を迎えに来た王子にでもなったような気持ちだった。


「ただいま、なまえ」


囁きかけるその声は、深い眠りの中にあるなまえには届いてなど居ないだろう。そんな事はもとより承知の上であった。
それでも毎夜こうして帰宅後の日課として眠る彼女の様子を真っ先に見に来ることは止められず、同じく返事が返らない事を判っていても「ただいま」を言わずには居られないのだ。
本当は触れたいのだが、触れた途端に彼女が目を覚ましてしまっては申し訳ないという気持ちから、手を伸ばす事も憚られる。
そっと寝顔を覗き込み、ただいまを告げ、そして再び音を立てずに寝室を後にしてシャワーを浴びる為に浴室へと向かうというのは、既に柏木の日課になりつつあった。
今日も同じように名残惜しい気持ちを振り切るようになまえに背を向けて寝室を後にしようとすると、今日に限っては小さく呻くような声がなまえの唇から漏れた。
足を止めて振り返り、また忍び寄るようにしてなまえの眠るベッドの傍まで近づくと、柏木はそっと耳をなまえの唇に寄せた。


「っ、おい」
「お帰り、なさい…」


伸ばされた両腕に捕らえられた柏木の上半身は、ベッドに沈むなまえの上へと覆い被さった。
熱いくらいに火照った腕に触れられた箇所が全て心地良く、強く香った彼女の香りに一瞬全ての機能が停止したような不思議な感覚に陥った。
久しぶりに触れたその温もりが、柏木の中に熱を呼び起こしたのは紛いの無い事実であった。


「なまえ…」
「ん、っ」


ねっとりと絡まる舌先が、火傷をしそうなほどに熱い。
一体何時振りに彼女の唇に触れたのか、それすら思い出せないほどにその熱が遠い過去に置き去りになっているようで、それでも記憶を辿るよりも先に身体がその熱を覚えている事が至福だった。
舌先に感じるなまえの味に、自然と柏木の脈拍数が上がってゆくのが感じられる。


「なまえ、悪い…」
「ん…?」
「最近ちっともお前の事、抱いてなかったな」


逸る気持ちを懸命に抑えつけながら唇を離し、なまえへと言葉を発すると、とろりとした眠たげななまえの瞳が閉ざされ、柏木の耳元に先ほどまで貪りついていた唇が寄せられた。
柏木さんのエッチ。
くすりと甘い声で笑いながら囁かれた声に、柏木の喉仏が揺れる。
このまま少しでも長くなまえの体温を感じていたいという欲求に流されるままに、柏木は彼女の身体に馬乗りになった。
ひとつの夜の果て

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