今日、優はイタリアへ旅立つ。
彼の飛躍を望むのは、彼自身やファンだけじゃない。私だって同じ。けれど、数ヶ月の別れは淋しい。


紙飛行機


「じゃ、行ってくるよ」


大きな鞄を肩に下げ、笑顔で手を振った。私も笑顔でそれに返すが、それは引きつっていただろう。


「見送り行くよ」
「大丈夫、寒いし」


即答しなくてもいいじゃない、と思いながら、私は口を閉じた。
少しでも多くの時間を過ごしたい、せめて空港まで、と思ってしまう。


「時差はどれくらい?」
「八時間あっちが遅い」
「そっか、気を付ける」
「電話なら気遣わないで」


永遠の別れじゃないことは分かっている。パートナーとして、優を最高の状態で送り出のが今の私の仕事なんだと理解しているつもりだ。


「そろそろ、」


腕時計に視線を落とす。


「行くよ」
「―…行ってらっしゃい」


優はじゃあ、と一言そう言うと、もう振り返らなかった。閉じきった扉はもう二度と開かないんじゃないかと不安になるほど静かで、

「……はあ」


リビングに戻ると見計らったかのように携帯がけたたましく鳴った。ディスプレイには優の名前があり、何か忘れ物でもあったのかと、慌てて受信メールを開いた。


『悪いんだけど、俺の机の上にある雑誌とか捨てといて!よろしく!』


拍子抜けしながら、優の部屋へ行きそして机の上を見た。山積みになった雑誌の上、二つ折りになった白い紙が乱雑に乗っていた。
何の気なしにそれを開き、思わず涙が込み上げてきた。

小走りでリビングに行き、携帯を開いて優の電話番号を探した。



「あれ、もう気付いたの?」


電話口の優の声は、どこか嬉しそうな調子だった。私は紙切れを持った自分の手が微かに震えているのに気が付いて、それを擦る。


「なに?あれ…」
「え?俺の気持ちだけど」


声を押し殺そうとすればする程、喉の奥が震えた。


「文字じゃ、分かんないよ」
「名前は我侭だなぁ」


不快感の感じられない声色に、優の優しさを見た気がした。私は涙や鼻水を押さえるため、ティッシュをいくつも引き抜いた。


「名前、俺がイタリアから帰ったら、すぐに結婚しよう」


紙切れを開き、嬉しさ二倍。
電話の向こうの彼に見える訳もないのに、私は力一杯頷いた。


「……喜んで!」




イタリアと日本の時差は、何時間だったかな。優の話、きちんと聞いておくんだった。私はベランダに出て空と紙切れとを交互に見つめた。

線一つ一つ、丁寧に書かれた、優のいつもより綺麗な文字。「帰ったら結婚しよう」の一言だけ。
雑誌を退かすと出てきた、既に彼の名前が書き込まれた婚約届。

晴れていく気持ち。これからは誰よりも近くで、サポートをしていく。優が帰ってくるその日まで、心も引き締めたままいこうと思った。

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