しまった、と思ったら、もうそれは遅かった。狭い、湿気の多い部屋に甲高い彼女の悲鳴が響き渡る。

ねぇ、ごめん


「雄介のばか!出てって!」
「あ、ごめ、ちょ、名前っ…」
「ばかばかーっ」


濡れた石鹸、洗濯バサミ、柔軟剤のボトル、俺のパンツ。それらが俺に向かって飛んできて、顔や頭に直撃する。彼女のコントロールの良さに驚き、それを躱せずにいる。

俺は、大きな失敗を犯した。
ぼんやりとしていて、名前がそこにいる事を忘れていた。そしてシャツを脱ぎながら、入ってしまったのだ。“そこ”、…脱衣所には裸の彼女がいるにも関わらず。


なんとか扉を閉め、ドキドキしている胸に手を当てて目を閉じた。
馬鹿か、俺は。名前の水滴を乗せた華奢な背中を思い出してしまう。


「名前…ごめん、」
「…」
「わざとじゃないんだ」
「………」
「ごめん、ね」

まだ手も繋いでいない。
それは自分が奥手なのも大いに関係あるのだが、……あぁ。


「雄介?」
「……はい」
「まだそこに居る?」
「うん、いる…」


扉の向こうで微かに物音がする。世界は静かで、いまこの瞬間、俺と名前の二人きりしかいない様だ。

何も考えないようにすると、思い浮かぶ湯気に包まれた彼女の姿。頭を振るが、消え去らない。
より一層色濃く、頭にはびこる。


( 神さま、俺は )


先程投げられた物が散らばる床にしゃがみ込んで、神に懺悔する。


( …罪深い、です、 )


深い、深い溜め息が出る。
憂鬱や不安が口から溜め息となって外の世界に溢れていくのだ。
もしも名前に嫌われ、捨てられるのだとすれば、俺はきっともう一生風呂に入ることが出来ないだろう。

からら、と引き戸が開く音がした。振り返ると、彼女が扉の隙間から顔だけ出していた。


「あ…名前…」
「すけべ」


立ち上がろうとした時の一撃。
ガツンと心に突き刺さる。
さぁ別れましょう、と突き付けらるのだと、込み上げる涙。


「雄介、涙目だよ」
「だって、名前…の裸、」


見ちゃったから。
手も繋いでないのに、キスもしてないのに、…こんなの順序が狂う。
俺は床に座ったまま、なかなか名前の顔を直視出来ずに俯いた。


「裸を見られたくらいで、雄介のこと嫌いになんかならないよ」


名前の優しい声が降り注ぐ。
一瞬その言葉の意味を理解出来ずにフリーズしたが、分かってしまうと止まらなかった。


「えっ、えぇぇ!」
「だって、彼女だもん」


隙間からするりと抜け出した名前は、俺の貸した大きなTシャツ一枚姿で目の前に屈み、そして、


「っ――!」


柔らかい、何かが唇に触れた。
温かな甘いボディソープの匂いを鼻腔に感じ、それから目の前にある彼女の小さな顔を見て、やっとこれは“キス”なんだな、と思った。


「…ちゅ、しちゃった、ね」


紅潮した頬を撫でながら、はにかむ彼女を見て自分はどうすべきか考えてみた、が、答えは出てこない。


「…名前、」
「なに?」
「責任は、取るから」


精一杯の告白のつもりでした。名前は笑ってありがとうと言った。何か勘違いされていそうだけど、今はまだこのままで良い。

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