――ぼんやりとした、温度もない、感覚もない空間。
ああ、夢を見ているのだな、とトーマはどこか他人事のように自分の状況を把握した。
ゆらゆら、覚束ない視覚で、まどろむような夢を。
暫くして浮かんできたのは鳥かごのような檻と、その向こうに見える愛しい少女の姿。
(―――名前)
そっと、優しく彼女の名前を呼んでやった。それが声になったかは分からなかったけれど、彼女の綺麗な翡翠の瞳がこちらを向いたのだからきっと届いたはずだ。
名前がふわ、と笑う。
その顔は自分のよく知ったもののようで、けれどどこか違った。
日々成長をしていく名前はもう昔のままではない。
彼女のことはもう何でも知っている、と胸を張って言えなくなっていくこの状態はトーマにとっては堪らなく苦痛であった。
(お前はそうやって、俺から離れていくつもりなの、名前)
ぎゅうと胸が締め付けられるようだ。
妹のように思う彼女が兄離れしようとするのも、自分が彼女に対して抱いている気持ちが「妹」に向ける親愛だけではないということを知るのも、嫌で嫌で仕方ない。
我ながらなんて女々しいのだろうとは思うが、この感情はどうしようもないのだ。
ゆらり。
鳥かごが揺れる。
(こうやって、お前を閉じ込めておければ良いのに。そうして俺だけがお前をとびきり甘やかして、誰よりも近くで守ってやれれば)
そうしていたら
こんな こと には、
「――――ッ!!!」
がばっ!とトーマは勢い良く跳ね起きた。
夢から急に現実に引き戻された意識が不快感を感じる。
はあ、と一つ呼吸を置いて再び寝転がれば、感じるのは布一枚越しに硬い感触。
そうだ。自分は床の上で寝ている。
ちらりと視線を向ければ、そこには銀色に鈍く光る檻があった。
夢と同じ鳥かごではなく大型犬用のケージだが、その中に眠るのは、やはり。
「………名前…」
ずるりとけだるい身体を引きずってケージまで近寄り、眠る名前を見つめる。
月明かりに照らされたその姿はどこか神聖だ。
夢とは違って、彼女は自分に笑いかけてはくれない。この先一生それはないかもしれない。だってこんなに酷い仕打ちをしているのは自分だから。罵られたって仕方ない。
それでも、彼女が守れるのならば。
「………トーマ…?」
「!?」
その時、急に中から声が聞こえてトーマは思わず目を見開いた。
翡翠の瞳が、薄く開いてこちらを見ていたのだ。
「あ……あー、起こしちゃったか。ごめんな、寝てて良いよ。何もしないから」
「……トーマ…」
「…何?」
「…泣いてるの?」
「…、泣いてないよ。いきなりどうしたの」
「わからないけど…夢かな…トーマが泣いてた気がして」
「…」
うつらうつらと話している名前には警戒心がない。
寝ぼけているのだろう。きっと自分がどんな状況に置かれているのか忘れている。
それの様が愛おしくて、トーマはそっと彼女を閉じ込める檻に触れた。
こんなに固くて冷たいモノの中に閉じ込められているというのはどんな気持ちなんだろうか。
守りたいという願いに反して、自分はとても酷いことをしている。
(それでも俺は、お前を守りたいから)
「―――大丈夫。泣いてないよ」
誰に――シンにだって、名前にだって――批難されたって構わない。
決めたのだ。誓ったのだ。名前を守ることを。幼い頃からずっと。
何も見なくていい。知らなくていい。怖いものは全部自分がなくしてやるから。
「だから…お前は心配しないで、お休み」
願わくば優しい夢の鳥かごのように、穏やかに。
叶わぬことと知って、トーマはそっと願った。
歪んだ愛に染まる
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