それはほんの出来心だった。
『君、トーマの彼女なんだって? なら、知ってる?』
 トーマが勉強している教室のある棟まで足をのばした時だった。
 同じ授業を取っているという男の人から聞かされた事が、どうしても気になってしまった。
 その人は妙に馴れ馴れしくてニヤニヤ笑っているのが嫌な感じがして、早くトーマが来ないかとそればっかり考えてひたすら俯いていた。
『トーマのケータイのアドレス帳、女の名前がズラーッと並んでるんだぜ』
 けれどその人から聞かされた言葉はとても無視できるものじゃなくて思わず顔をあげると、笑っている男の顔に悪意が透けて見えるようで、体が強張った。
『しかも、メールボックスも着歴も女の名前ばっかでさ。ありゃスッゲェよ、嘘だと思うならアイツのケータイ今度見てみたらどうだい? ホントかどうかわかるから』
 その後すぐその人は去って行ったけれど、どうしても気になって仕方なかった。



 大学の授業が半日で終わった今日、私はトーマの家に自然と足を運んでいた。
トーマの家の合鍵は貰っていたし、いつでも来ていいって言われてたから私は躊躇うことなく鍵を開けて部屋に入った。
 トーマはいつも通り一日授業だから帰りは早くとも夕方になるだろう。
 部屋の中でおとなしく待っていようかと考えていた私の視線の先に、トーマのケータイが映った。
 おそらく、トーマが珍しく忘れていったのだろうけどそれより、先日聞いてしまったことが頭の中に響く。
『メールボックスも着歴も女の名前ばっかでさ。ありゃスッゲェよ、嘘だと思うならアイツのケータイ今度見てみたらどうだい? ホントかどうかわかるから』
 コクン、と小さく息を呑んでゆっくりと近づいてケータイを手に取った。
 悪いことだと分かっていた。
 けれど、一度浮かんだ疑念は簡単に消えてくれない。
(ごめんなさい……!!)
 心の中でトーマに心から謝り、ケータイを開いてメールボックスを開いた。
 その中身を見た瞬間、体が強張った。
 中身は学校関連のものが多かった。男の名前もあったけれど、女の名前がかなりあった。
 それもメールタイトルに一緒に遊ばないか? 飲みに行かないか? 付き合わないか? といった内容ばかりだった。
 しかも日付を見れば、私と付き合いだしてからもそうした誘いのメールが入っていたことに衝撃を受けた。
 私は居てもたっても居られなくなって、気づいたら大学まで走っていた。
 心臓の音がドクドクと煩いくらい耳に響く。
 あの時はトーマに会いたい、驚くかな、勝手に来たことを怒るだろうかそれとも笑ってくれるだろうかと胸が高鳴ったが、今は違うドキドキに体が強張る。
 この棟ではまだ授業があるせいかしんと静まり返っていて、教室の中から教師の声だけが廊下に小さく響いている。
 どうしよう。行きたくない、逃げ出したい、帰ってしまいたい。
 他の女の人と一緒にいるトーマなんて見たくない。
 けど、同じくらいトーマを他の女の人に取られるのが嫌だった。
 私は意を決してトーマの教室の前まで足を運んだ。
 教室の扉が半分ほど空いていたから、そこからそっと中を覗いてみる。
 中では男女数人ずつで向かい合って何かの話し合いをしているようだった。
 トーマは真剣な顔で、時に笑ったりしながら話し合ってる。
(トーマ、何だか楽しそう……)
 私の知らない所では、あんな風に笑うんだ。
 トーマだって他にもいっぱい友達がいて、付き合いがあって当然なのにそれを今まで知らなかったという事実に、何だか胸が苦しくなった。
 やっぱり帰ろうと考え出した時、ちょっとしたやり取りの中での何気ない仕草だったけれど、視線の先に映った光景に息を詰まらせた。

 トーマの腕に女の人の手が、触れた。

「やっ……!!」

 嫌、嫌、嫌。

 トーマが、他の女の人といるなんて嫌。
 トーマが、女の人と仲良くするのも嫌。
 トーマが他の女の人に触れられるのは、もっと嫌。

「トー……マ!!」
 気づいたら、私はそう呼んでいた。
自分でも信じられないほどか細い声だったから、当然トーマには聞こえなかっただろう。
 けれど呼んだ数秒後、不意にトーマがこちらに気づいて驚いた表情を浮かべた。
 私の姿を見とめた瞬間優しげな笑みを浮かべたけれど、すぐ訝しげな表情に変わった。
「っあ……」

 見られた。
 ヤダ、見られたくない。
知られたくない。
こんな、こんな汚くて醜いモノでいっぱいのこんな自分。

 気づけば私は踵を返してその場から走り出していた。
 トーマの呼ぶ声が聞こえたけど、待ってなんかいられなかった。
 私は走って走って、人気のない場所を探してがむしゃらに走った。
 やがて人気のない所にたどり着くと目についた扉の中へ入って閉め、大きく乱れて苦しくなった息を吐きながらその教室の床に座り込んだ。



 冗談抜きに心臓が止まるかと思った。

 名前が俺の教室まで来てたってだけでも驚いたのに、酷く辛そうな顔をして―――泣きそうだった。
「名前っ!!」
 俺は授業中だということにも構わず声を上げ、立ち上がった。
「え、トーマ?」
 この授業の中で俺たちは課題について話し合いをしていた。
 その途中で突然立ち上がったからクラスメイト達が驚いたような声を上げていたけれど、そんな事どうでもかった。
「どうしたんです? 突然」
「すみません、この授業早退させてください! そっちだけで進めてて!!」
「は? どうしたんだよ、おい!」
 それだけ言って騒ぎ出す同級生たちを振り切って教室を飛び出した。
 目の前に見えたアイツの背中は既に小さくなって、その背中も角を曲がって消えた。
 ただがむしゃらに走る背中をひたすら追いかけて、そうしたら人気のない棟に入って足音が聞こえなくなった。
 どこかの教室に入ったのだろうと見当がついて、他の教室に手をかけたが当然カギが掛けられていた。
 その中でカギが掛ってない教室の中で、椅子にも座らずしゃがみこむ小さな背中があった。
 扉を開けた音に驚いたようで、細い肩がビクリと肩が震えた。
「見つけた……っ」
 深い安堵と焦りが思わず呟いた声に滲む。
 振り向いたその顔は大きな驚きと不安と涙に濡れていた。
ゆっくりと歩み寄る俺に顔を見られたくないのか、焦った様子で背を向けて目元を擦るのを見て足を速めた。
「ああ、こら、擦っちゃだぁめ」
「や、やだ、見ないでっ! いま、ひどい顔、だからっ」
 両手で顔を隠そうとしたけど、優しく頭を撫でてその手をやんわり包んですと、大きな瞳にまた涙が浮かんでいた。
「どうしたんだ? 何があったのか、教えてくれないか?」
「っく、トー、マ、やだ……っどっか、行っちゃやだ、他の女の人とっ、仲良くしちゃやだっ……ほ、他の女の人と一緒にいるの、やだっ……」
 泣きながら途切れ途切れに語る言葉に思わず首を傾げた。
 ものすごく情緒が不安定なのが見て取れたが、何が不安にさせているのか訝しんでいると、名前の横に俺のケータイが転がっていてピンときた。
「……もしかして、見たのか?」
 何を、と聞かずともわかったらしく、名前は小さく頷いた。
「こ、この前、トーマの教室の、近くまで行ったらね。トーマの、友達だって男の人が話しかけてきて、それで、トーマのケータイの中は女の人の名前でいっぱいだよって、見ればわかるからって」
 しまったと考えると同時に“男の友達”という単語にざわりと頭の一部が冷えるのを感じた。
「そっか、見ちゃったか……」

(―――誰だ、余計なことを吹き込んでくれたのは……!!)

 黒く冷たい怒りを滾らせつつも、決して表には出さず名前を優しく抱きしめる。

 何人か思い当たる奴はいるが、確証はない。
 嫉妬してくれたのは嬉しい。頭の中がドロドロに蕩けてしまいそうなほど嬉しくてたらない。
 しかし、こんな辛そうな顔で泣かれるのは本意ではない。
 ましてやそれが余所(よそ)の男の入れ知恵となれば、腹の底がグラグラと煮え立つほどの怒りが湧いてくる。
 だが今はそんなことより、彼女を慰めねば。

「やだったけど、でも、それよりね、こんな、ドロドロで、欲張りで、嫌な自分が見られるのが、知られるのがもっと嫌で、こんな、こんなの、トーマに見られたくてっ……き、嫌いになられたらすごく、いやって……」
 こいつは気づいていないのだろうか。

 こんなにも、俺は嬉しいのに。
 こんなにも、俺は好きで好きで堪らないのに。
 冷たく燃え滾る怒りすらあっさり塗り替えるほどの感情が、俺の中にあふれていることに。

「いーよ」
「……え?」
「もっと欲張っていいよ」
 今、俺はどんな顔をしてるかな。
 優しく笑えてるかな。
 デレデレに緩みまくったニヤけた顔じゃないといいけれど。
「もっと欲張りになって良いんだよ。お前は俺の彼女なんだから、ヤキモチなんて当たり前だろ。誰かを好きになったらさ」
「……嫌わない?」
「誰に言ってるんだよ」
 不安げに揺れる瞳を正面から見据えて、額に唇を寄せた後、コツンと合わせた。
「俺はどこにも行かないし、どんなに泣き虫でも弱虫でもヤキモチ焼きでもお前が好きだよ。それだけは自信を持って言える」
 その言葉に名前はようやくふんわりと笑ってくれた。
 こんなにも俺のことで泣いて、嫉妬でぐずぐずになっているコイツが、愛しくて堪らない。
 涙の跡が残るほほをその手で撫でてやるとすり寄ってくるのが可愛くて、もう片方の手でゆるゆると髪をすいてくと涙を残しながらも心地よさげに目を細めた。
(さて、と……)
 ほっと息をはいて優しく名前を抱きしめながら、俺はケータイを持ち上げてみる。
「お前が不安がるなら、これの中身全部消してやりたいんだけどな」
「うん」
「でもな、一応付き合いってのもあるから、そういうわけにもいかないんだよ、実際」
「……うん」
 頷きつつも悲しげな表情の名前が俯いてしまった。
それを見たトーマは、何か決めた様子で大きく頷いた。
「よし、もう一つ買おう」
「え?」
「だからさ、ケータイをもう一つ買う」
「え? え?」
 わけがわからない様子できょとんとした顔で見上げる様子も可愛いな、なんて見つめながらトーマは続ける。
「それで、そっちはお前用にしよう」
 その提案にぱちぱちと瞬きを繰り返している彼女に構わず、にっこりと笑って見せた。
「そんで他の誰の電話が来てもメールが来ても、よっぽどの事じゃない限りはお前のを優先するっていうのはどうだ?」
 トーマの言葉に段々その内容を理解してきた彼女は、頬を赤く染めて勢いよく首を振った。
「ううん! すごくすごく嬉しい!」
 満面の笑みで告げると、トーマも笑顔を返した。
「じゃあ、今日の帰りにさっそく見てくか。お前選んでくれていいよ」
「え、でもそうしたら、カワイイの選んじゃうよ? トーマそれ使うの?」
「そうじゃなきゃ意味ないだろ? お前色にするんだから、ちゃんとストラップも選んでくれよ」
 その言葉にますます嬉しくなったようで、彼女はトーマの背中に回した腕に力をこめて体を密着させた。
「トーマ、だーい好き!」



(ああ……)

(ここが俺の部屋だったら良かったのに)

 嬉しそうな彼女を抱きしめて頭を撫でつつ、トーマは理性を総動員させてこの場で押し倒してしまいたい欲求を抑え込んでいた。






剥き出しの独占欲





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