ここでだけ咲く花
 朱智斗さんにしては珍しいものを持っているな、と思った。煙草である。パールの女性らしいパッケージでこじんまりとしているが煙草は煙草だ。どこかぎこちない様子で煙草を一本咥えて、火をつける。ひと吸いしたとたん、げほげほと咳き込んでしまった。朱智斗さんはすぐに煙草を備え付けの灰皿で潰して押し込み、残った煙草の箱をくずかごにまるっと投げ捨てた。
 その一連の行動を、ぼんやりと、待ち合わせ相手の俺は声も掛けずに見つめていた。

「あ、独歩くーん!」
「は、はひっ!」

 見つめていたら、気づかれてしまった。ぼんやりしていた俺は、突然声を掛けられたショックで変な返事と共に肩を跳ねさせてしまう。手を振りながら近づいてきた朱智斗さんは、苦笑しながら俺の顔を覗き込んだ。

「ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだけど」
「い、いえ、ビビった俺が悪いので……」

 そう言って俯き頭を掻く俺の額を、つん、と朱智斗さんの人差し指がつつく。

「まただよ」
「え?」
「け・い・ご。また敬語になってる」

 少し悲しそうな笑顔で言われて、慌てて直す。

「ごめん、気を付けるよ。朱智斗さん」
「ホントならさん付けもしなくって良いんだけど……まぁ良し」

 悲しげなものから一転、ふわりと暖かな笑みに変わる。どきりとしながらも、ああ、これが朱智斗さんの本当の笑顔で、俺にだけ向けられているものなんだと思うと、ちょっと頬がにやついてしまうのを止められない。間抜け顔をしているであろう俺の姿に、優しい彼女が触れるはずもない。その優しさに甘んじて、そっと話題を変えることにした。

「あ、そう言えば朱智斗さん、煙草吸ってた……?」
「え? 匂う?」

 すぐに自分のスーツをくんくん嗅ぎ始める猫みたいな朱智斗さんの様子に和みながらも「いや、見てたんだ」と返すと、ああ、と納得したように彼女は頷く。

「たまーに吸ってみたくなるんだよね。でも相性良くないみたいで。毎回お金無駄遣いしているようなもんだよ」
「どのぐらいの頻度?」
「んー、月イチくらい?」
「確かにたまーにだ」

 朱智斗さんが煙草を吸いたくなる心理って何だろう。苦手なのに、お金の無駄なのに、わざわざ手を出してしまう理由って何だろう。そこまでは窺い知れなくて、自分の力不足を痛感してひとり落ち込む。どうせ俺なんてそんな小さなことひとつ解決できやしないんだ。何か確実に抱えてる彼女に寄り添ってあげられないんだ。俺じゃ解決してあげられないんだ……。でも、でも。話を聞くことぐらいなら俺にも出来る。

「何か、悩みでも?」
「……うーん、最近仕事が立て込んでて独歩くんに会えなかったとか」

 じっと熱のこもった眼差しに、つい頬が赤くなる。からかわれてるのかと最初は思ったけれど、彼女は本気でこういうことを口にするのだと最近ようやく学習した。学習したけれど、慣れたわけではない。クールでサバサバした雰囲気といった印象が先走るけれど、中身は結構情熱的で乙女なのだ、朱智斗さんは。今まで甘えられる男性に出会えなかった、と言っていたことを思い出しては彼女を『護りたい』と思う俺である。

「今日は会えなかった分、いっぱい話したりしようね」
「ああ、うん……! 朱智斗さんの気が済むまで、存分に!」

 朱智斗さんが嬉しそうに俺の手を取った。恋人繋ぎ。細く滑らかな朱智斗さんの指が俺のくたくたな指を確かめるようになぞって絡んできた。そのくすぐったさだけで、妙な心地になってしまう。いけない、いけない。しっかりしなくては。

「あー……独歩くんの手、ほんと落ち着く」

 俺の手を握り締め、心なしが寄り添いながら、朱智斗さんが呟く。

「そ。そっか」
「すき」

 〜〜ッ! あ、朱智斗さんッ! そういう甘えた声は反則ですっ! しかも唐突に! 思わず反射的に手をぎゅっと握り締めてしまっていた。痛くは無いと思うけれど驚かせたに違いない。ちらりと朱智斗さんの顔を窺うと、無邪気な子供のように歯を見せて笑っていた。ま、眩しい。普段はテキパキビシバシキャリアウーマンなのに、どうして俺と一緒だとこうも邪気なく警戒なくなってくれてしまうんだろう?

「独歩くんはね、独歩くんが思っている以上に頼りがいがあって素敵だからね」
「そ、そんなこと……」
「あるよ」

 俺の腕にぴったりと朱智斗さんが寄り添った。ふわふわで柔らかなものが腕に押しつけられて、心臓がバクバク飛び跳ねる。

「じゃなかったら、好きになってないから。でも私、独歩くん大好きだから。そういうこと」
「よく分からないけれど……もっと自信を持てってこと、か?」
「うーん、まあ、そんなとこ!」

 朱智斗さんの笑顔を見て俺は思った。俺なんて、俺なんて、と自分を卑下していては、こんなに信頼してくれている朱智斗さんに対して失礼じゃないか? 少しずつでも良いから、俺は自信を身につけなきゃならないのではないか? 護りたいと人知れず誓うような相手の想いを無碍にしてはいけないのではないか?
 ……そうしなきゃ、朱智斗さんに相応しい男になれないのでは。

「俺、もっと自信つけるよ。いきなりは無理だけどさ……」
「どうしたの、急に」
「いや、朱智斗さんの為を思ったら、そうしなきゃって」
「私の為? ……そっか、ありがとう」

 朱智斗さんは俺に寄りかかって呟いた。

「それじゃあ私も独歩くんに相応しい女にもっともっとならなくちゃね」
「これ以上磨かれたら俺どうしたらいいんだよ……」

 変な虫とか馬の骨がつくじゃないか! と頭を抱えたくなる俺に、「守ってね」とハートがつきそうな囁きを朱智斗さんは零した……。
back
- ナノ -