すすむ精霊化
 ――コゴール砂漠の上空、フェローのいた岩場。傷ついたフェローは弱々しく羽ばたきながら岩場の周囲を飛んでいた。その姿に、かつて彼と思考を交わしたジュディスは涙を堪えた。
 此方に気付いたフェローは岩場へとゆっくり降り立った。まるで彼女たちを呼ぶように。
 バウルに頼み岩場へと船を寄せ、降り立つ。
 ぐったりと地に伏すフェローに駆け寄り、ジュディスは何度も謝った。

「フェロー、フェロー。ごめんなさい。フェロー、私たちのために……」

 ザウデ不落宮で囮になってくれた彼の傷は深かった。それでも限界まで飛び続けていたのは、人の手に聖核を渡さぬためだったのだろう。封印が解かれ、星喰みが再び牙を剥き始めた世界を“守れなかった”と溢すフェローに、ユーリたちは精霊へと転生することを願い出た。世界はまだ終わっていない、これから救われるのだと。
「そなたらの心のままにするが良い」そう呟き、フェローの体は光となった。光の粒が収束し、大きな聖核が現れる。
 この地にかつて巡っていたエアルの流れを、ウンディーネの助力のもとエステルが手繰り寄せ、仲間たちはフェローの聖核へ精霊化の術式を施した。
 精霊化は成功した。フェローは、激しい炎のエネルギーに満ちた精霊へと転生することが叶った。
 かつてのフェローは漲る力に驚きながらも、かつての同胞・ベリウスであるウンディーネとの再会を喜んだ。
 エステルから灼熱の君を意味する名、イフリートを与えられ、かつてのフェローは熱気と共に空へと飛びあがっていった。
 ジュディスは笑った。世界を愛しているフェローならきっと協力してくれる。そう信じていたからこそ、生まれ変わって尚フェローが世界を守る力を持つことが、心の底から嬉しかった。
 水の精霊、火の精霊が生まれ、残る基本元素は地と風。ウンディーネはまだ世界に現存する始祖の隷長の場所を教えてくれたが、始祖の隷長が協力してくれるかは会ってみなくてはわからない。だが一行の心は、不安より希望に満ちていた。始祖の隷長時代から友好的であったベリウスだけではなく、厳格なフェローも世界を救う精霊への転生を認めてくれた揺るぎない事実が後押しをしてくれていたからだ。


 次の始祖の隷長に会うためにユーリたちはエレアルーミン石英林へ向かった。最近になって見つかったという、結晶化した大地である。菫色の結晶で埋め尽くされたその地は幻想的で、事態が事態でなければその美しさに見惚れてしまうところだ。
 結晶を観察しサンプルを採取するリタ。結晶を踏んで砕ける音にはしゃぐカロル。海賊の血をたぎらせるも運べぬ結晶の量に唸るパティ。神秘の島に対して様々な反応をしながらも、一行は島に入ってますます始祖の隷長の存在を強く確認した。これほどのことをしてのける存在など始祖の隷長以外にきっといない。
 だが島には先客がいた。ギルド〈魔狩りの剣〉だ。入口そばには傷ついたナンがおり、クリントらは奥にいる始祖の隷長と戦うため、迷いのあるナンを置いて行ってしまったらしい。

「魔物は憎い。許せない。その気持ちは変わらない。でも今はこんなとこにまで来て魔物を狩るよりも、しなきゃいけないことがあるんじゃないかって……。それを話したら……」
「置いて行かれたってか
「愚かね。この期に及んで生き方を見つめ直せないなんて」

 ユーリとジュディスに同調するようにカロルは声を荒げる。

「ひどいよ! ナンは間違ってないのに!」

 エステルの治癒術を受けたナンは立ち上がれるほどに回復した。しかしひとりでは危ないとカロルは当然のように彼女の手をとった。ユーリらも当然のように受け入れる。対峙したことがあるというのに寛容なカロルらの態度に、呆気にとられながらもナンはついて行った。
 一行が石英林の最奥へたどり着くと、かつてカルボクラムで戦った巨大な魔物……グシオスがいた。活性化したエアルクレーネを背後に、赤く色づくほど濃くなったエアルを吸収している。
 そのグシオスに、クリントたちが戦いを挑んでいた。だが明らかにクリントたちは苦戦を強いられており、グシオスの尾の一振りで吹き飛ばされてしまう。呻くクリントに思わずナンは駆け寄った。クリントはナンの存在と同時にグシオスの追撃に気が付いた。ナンを抱えて庇ったクリントはそれをもろに食らってしまった。
 ユーリは以前とグシオスの様子が違うと感じていた。動揺を抱える彼らの前に、ウンディーネとイフリートが顕現する。

「グシオス、そなた……」

 ウンディーネはユーリたちに告げた。始祖の隷長といえど無限にエアルを吸収できるわけではない。能力以上のエアルを取り込めば耐え切れず変異を起こし――星喰みになるのだと。
 ユーリは目を丸めた。

「なんだと!? それじゃ、こいつは世界を守ろうとして、あんなんなっちまってたのか!」
「グシオス……」

 カルボクラムでグシオスを逆結界から救ったジュディスは、沈痛な面持ちで彼を見つめている。いつでもジュディスの中には、始祖の隷長という世界を守らんとする者たちへの敬意が強くあった。フェローを通して、彼らの世界への愛をより深く感じ取っていた彼女にとって、いま目の前で星喰みになりつつある始祖の隷長を見つめるのは苦しく、辛く、いたたまれなかった。
 他の仲間たちも、グシオスの暴走に胸を痛めていた。

「救ってやってくれ。この者がまだ、グシオスという存在でいる間に……」

 イフリートの言葉に、ユーリらは力強く頷いた。
 ――限界までエアルを蓄えたグシオスとの戦いに辛くも勝利したユーリたちは、グシオスの聖核、そして、〈魔狩りの剣〉と相対していた。
 ティソンに支えられながらも剣を握り締め、聖核を砕くと宣言するクリント。彼は始祖の隷長の役目を知っていてここまで来ていた。過去に始祖の隷長によって家族を殺されたこと、ギルドのメンバーのほとんどが魔物に大切な者を奪われたこと、『奴ら』を憎む気持ちは、役目を知ろうが知るまいが変わらないのだと激昂した。

「……それでも間違ってるよ」

 しかし、カロルは言った。

「そんなこと続けたって、なにも帰ってこないのに」

 旅の中、少年は多くのことを見、学び、経験してきた。
 沢山思い返すことはあったけれど、なんとなくノアのことを思い浮かべてみる。
 アレクセイに大切なものを奪われて、アレクセイを殺したいほど憎んで、それでもアレクセイを助けてしまった不思議な仲間。ユーリやパティたちがすごく驚いて、悩んで、それでも、みんなでノアの決断を受け入れた。
 ――多分、ノアがここにいたら、こう言うと思うんだ。「私なんかにも出来たんだから〈魔狩りの剣〉の人にも出来るんじゃないかな」って。
 カロルはじっとクリントを見つめていた。
「あの戦争で身内失ったのは、あんたらだけじゃないでしょ」レイヴンが言う。
「そうね、それでも前向きに生きようとする人もいる」戦争を知るジュディスも。
 バティも「憎しみだけでぶつかっていっても、誰も……自分も救われないのじゃ。それより残った者を大切にしたほうがいいのじゃ」と頷いた。
「街を守って魔物と戦う。立派なことだと思います。けど……」言い淀むエステル。
 ユーリがクリントを睨みつけた。

「世界がどうにかなりそうってな時だ。意地になってんじゃねぇよ」
「今更……生き方を変えられん」
「どうしても邪魔するってんなら……ここで白黒つけなきゃなんねえな」

 ユーリに答えず、クリントはカロルを見た。以前会った時とはまるで違う。怯えて他人の評価を求める背伸びしたがりな少年の面影はなく、幼いながらも自身の決断をしっかり胸に抱えた、真摯な眼差し。
 クリントは傷ついたメンバーたちに声を掛け、エステルが治療をと止めるのも聞かずに一斉に引き返していった。
 ……残ったユーリたちは、グシオスの聖核へ精霊化の術式を施した。滞りなく術は済んだものの、新たな姿に生まれ変わったグシオス――淡い茶色の毛に覆われた小さな獣のようだった――は、固く瞳を閉ざし、丸まったまま、起きる気配がない。エアルの過剰摂取により意識を呑まれかけていた影響で眠っているのだとイフリートは語った。
 司る属性が地であることから、エステルにより彼は、根を張る者……ノームと名付けられた。
 精霊たちが姿を消すと、リタは沈んだ声で溢した。

「……星喰みがエアルを調整してくれようとした始祖の隷長の成れの果てなんて」
「まったく人間ってやつは本当に自分の目で見えることしか分からないもんだな」

 嘆息するユーリ。

「んで、巡り巡って結局一番悪いのは人間ってか……。笑えないねぇ」
「いつだってなにかやらかすのは人間なのじゃ」

 目を伏せたレイヴンへパティが言う。厳しい一言にレイヴンは肩を竦めたが、聞いていたエステルは一層活気に満ちた顔をしてみせた。

「じゃ、なおのことがんばらないといけませんね」
「……そうだな。その通りだ」

 ユーリも気を取り直す。
 もはや疲れている暇すらない。立ち止まることは何より己の心が許さない。
 自前の花畑で傷を癒している仲間もそろそろ燻っていることだろうと思うと、不思議と笑みが浮かんでいた。


*****


 花畑の中で、白狼は、世界が少しずつ作り替わっていくのを感じていた。
 水と火、そして地に、新たな力が巡っていく。それはかつて知り合った始祖の隷長たちが率いていて、ノアは何だか懐かしさを覚えた。
 ――そろそろ、みんなのところに行かなくちゃ。
 精神を統一して変身を解く。精霊が世界のエアルを導いているのを感じて、しかしそれを上回るものが空にはひしめいていて。いよいよこの旅も終わりに近づいている気がした。
 隣で同じく空を見上げていたアレクセイは、ノアへと視線を移す。

「ノア、と呼んで構わないか」
「はい。……どうしましたか?」

 アレクセイは首を傾げる少女に、十年前の面影が変わらずに在ることを確認した。改めて、記憶を取り戻した彼女がすべてを知った上で自分を救ったのだと知る。仇を見るにはあまりにも気の抜けたノアの眼差しは、アレクセイの顔に苦笑を浮かばせた。

「許してもらおうとは思わない。今更謝ろうなどと言うのも虫が良すぎるだろう。ただ……それでも一言伝えておきたい」

 不思議そうにノアは瞬きする。アレクセイの言葉をただただ受け止めながら。
 その無防備さはかつての幼い彼女の姿を思い起こさせ、かつての騎士団長の心を軋ませる。アレクセイは、軋んだ心に気付いてはっとした。――まだこの胸の内に、痛む心があったとは。
 目を細めながら、アレクセイはノアへ右手を差し出した。

「私を“救って”くれてありがとう」

 ノアは大きく目を見開いた。
 この人が正しい道を歩めさえすればと悔やんだ。また道を誤れば切り捨てると告げた。どれもノアが勝手に思い、勝手に決めたことだった。仲間たちは受け入れてくれたが、当の本人の口からは決定的な意思を聞き出せずにいた。
 ノアは悩んでいた。自分の行動こそ過ちだったのだろうか。正しい道をなどと他者に言えるほど自分は真っ当な人間だろうか。いくつもの不安が頭の中を巡っていた。
 それを、アレクセイは全て消し去った。
 ノアの行動に“救われた”と示して。
 ……少女の目じりに涙が浮かぶ。

「私は……そんなつもりじゃなかった。何をどう繕ったって、私の、エゴだし、ワガママでした」
「だとしても現に私は命を救われ、心を取り戻す機会を与えられている。……控えめな性格は全く変わっていないのだな」

 改めてアレクセイは、ノアの前へ手を差し伸べた。ノアは涙を堪えながら、アレクセイの右手を両手でぎゅっと握りしめた。
 まだ彼の行いのすべてを許せたわけではなく、憎しみは小さくなってはいたが消えてはいない。それでも胸の片隅に抱えて歩ける程度まで、心の整理をつけられた。一番の後押しが因縁の相手からの感謝の言葉になるとは思いもしなかったが、随分と気持ちが楽になった。
 手を解いた二人は、花畑で別れた。
 アレクセイは裁きを受けるために近くの街カプワ・ノールへ、ノアは世界を巡る仲間のもとへ向かう。
 意識を集中し、ノアは精霊へユーリたちの居場所を訊ねた。水脈に宿るウンディーネに問えば、すぐに答えは返ってくる。

「……ウェケア大陸? 困ったな、どうやって行けば……」
『心配には及ばん』
「え……」

 空から降り注ぐ陽光の中から、イフリートがくれた言葉にノアはきょとんとした。……それから数瞬、ノアの上に大きな影が現れた。見つけた、というように響く低い笛の音のような馴染みある鳴き声。
 バウルが仲間を乗せた船をさげて、上空にやって来ていた。
 ゆっくり高度を下げる船から、黒髪をなびかせながらユーリが身を乗り出している。

「ノア!」
「ユーリ! 危ないよ、落っこちたらどうするの!」
「おまえほどドジじゃねえよ、安心しろ! もう良いんだな?」

 船がノアの視線より数段高いところまで降りてきた。頑張れば飛び乗れそうだ。
 見つめていたノアの心配など他所に、ユーリは不敵に笑っている。そのユーリが左手を伸ばしてきたので、ノアは跳ねて彼の手を掴んだ。

「うん、もう大丈夫!」

 返事を合図に、ユーリはノアを引っ張り上げた。合わせてノアも船体を蹴って飛ぶ。
 無事に甲板へと着地したノアは、久々に仲間の顔をじっくりと眺めた。好き勝手した自分にはもったいないほどの優しく頼もしい仲間たち。
 ――みんなの為なら、みんなとなら、何でもできる。そう、世界を救うのだって、きっと。
 
 船はウェケア大陸、レレウィーゼ古仙洞へと向かう。
 何度も派遣隊が向かったもののひとりとして戻らなかった秘境の地へ。
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