切望
 風車から、爾さんの横顔へと視線を移す。
 色白の頬には傷跡ひとつない。金糸のような髪の隙間から覗く首筋も、まっさらだ。本当に爆発に巻き込まれたのか怪しいぐらいに綺麗だった。

「左近?」

 呼ばれて視線を上げると、不思議そうにオレを見る爾さんと目が合った。何も言われていないのにオレは焦った。気恥ずかしさに顔が熱くなるのを抑えられず、ますます爾さんに不思議がられてしまう。

「大丈夫か? 最近戦も続いてたし、調子が悪いなら休んで……」
「平気っすよ平気! 何でも無いですから」
「なら、良いんだけれど」

 労るような眼差しが、この熱に拍車を掛ける。
 何とか全てを誤魔化そうとしたオレの目に留まったのは、爾さんの手元の風車だった。

「そ、そう言えば、風車好きなんですか? 最初会った時も、その風車持ってましたよね」
「え? ……ああ、これね」

 拙い話の切り替えに、爾さんが疑問を抱くことは無かった。人を疑わない彼女らしい。オレが指差すままに風車を見つめ、ゆるりと口を開く。
 柔らかな笑顔を浮かべながら。

「これね、三成がくれたんだよ」

 オレの胸に小さな痛みが生まれる。
 そんな事は知る由も無い爾さんは、ほんのりと頬を染めながら続けた。

「怪我の治った頃に、初めて二人して祭りっていうのに行ったんだ。その時にね、三成が買ってくれたの。真面目な顔で“細工にも菓子にも興味を示さないお前が、唯一これだけは凝視していた”ってね。くるくる回って面白いなぁってだけだったんだけどさ」

 彼女を真似て、風車へ視線を落としてみる。茜色の羽根は少し草臥れた箇所もあって、それなりに時間を経た代物であることを物語っていた。けれど壊れてはいない。余程大事にされてきたんだろう。
 爾さんの、三成様への想いに比例して。

「三成がそんなに自分を見てくれていて、気を遣ってくれたなんて思ったら……嬉しくて嬉しくて、仕方無かったよ」

 今までに見たことの無い、深くて愛情に満ちた笑顔だった。三成様への情に溢れた、女の人の顔。
 ――こんなに綺麗なのに、見ていて辛い。
 逃れるようにオレは、彼女の顔から視線を逸らす。代わりに目に入ったのは、風車を支える彼女の指先だった。少しだけ荒れて赤い。
 以前、爾さんが“料理や洗濯が好きだ”と話していたことを思い出した。
 しょっちゅうやってるんだろうな。だからこんな風になって。この間なんか、三成様だけでなく、刑部さんやオレらにも手料理を振る舞ってくれたなあ。美味しかったなあ。馬鹿みたいに美味い美味いって言って食べてたら、爾さん、「大袈裟だよ」って真っ赤になっちゃって。恥ずかしがるところを見たのは、あの時が初めてだったっけ。

(三成様、狡いよなあ)

 こんな人、何処で見つけたんだろう。

「爾さんは、本当に三成様を好いてらっしゃるんですね」

 オレの呟きに、爾さんは、はにかみながら頷いて見せた。
 爾さんだけじゃない。三成様だって、爾さんを好きで好きで仕方無いんだ。様子を見てればすぐに判る。彼女の一挙一動を気にかけて、何かあってからでは遅いと過保護になって。
 つまり相思相愛って訳だ。
 だからオレは、一片たりとも考えたりしちゃいけない。
 ――もし、三成様より先に貴女と会えていたら、なんて。
 賭博で鍛えた、表情を繕う術。これがなかったらオレは、相当酷い顔をしていたに違いない。何処の太鼓持ちにも負けないぐらい陽気に笑い、喋る。

「いやぁ、熱い。熱いっすわー!」
「からかわないでよ」
「純粋な感想なんすけどねぇ」

 判っているのに、どうしても惹かれていった。仕方無かった。頭では判ってて抑えようにも、心に誤魔化しは効かない。
 膨れていく感情とは裏腹の言葉を吐いて、ひたすらに彼女の愛情を後押しした。その度に彼女の笑みは、オレの心の軋みは、着実に増していく。

「三成様に爾さんみたいな良い人がいてくれて、良かった」

 オレの言葉を真に受けた爾さんは、照れくさそうに「そうかなぁ」とふわふわの返事をしてみせた。

「そうなんですってば。なんてったってあの三成様の惚れた、大切な方なんですから」

 貴女がいる限り、貴女という陽が照らしてくれる限り、きっとあの人は、確かな自分を持っていられるはず。
 秀吉様たちとはまた別の、かけがえの無い支えであり、拠り所である貴女のお陰で。

「私も、思うよ」
「えっ?」
「左近みたいな良い人が、三成の傍にいてくれて良かったなって」

 こんなオレにも笑んで情を与える貴女のお陰で。

「三成だけじゃなくて、私も、左近にはすごく助けられてるから」

 たまらなくなって、オレは顔を逸らした。
 いとおしい人が目の前にいるのに、想いを告げるどころか、この場から逃れ、叶わぬ恋を嘆くことすらオレには出来ない。
 どんなに苦しくても、一時でも長くこの人の傍にいることを望んでいたからだ。

「いやぁ、そんな風に言われると照れますって……」
「ごめんごめん。思ったことすぐに言っちゃう質なんだ」
「くぁー! 尚更恥ずかしいっす!」

 それ以上なにも言えなくて、手摺に突っ伏した。ああ、切ないってこういうことだ。いやと言うほど理解した。
 爾さんが小さく笑う声がした。それから衣擦れの音と一緒に、オレに寄ってくる気配。頭の後ろに優しい爾さんの手が触れた。何故か彼女はオレの頭を撫で始めたのだ。

「本当にごめんね、左近」

 笑いの混じった声音に刺激されたオレは、耳まで真っ赤になっていたことだろう。けれど爾さんは何も言わないで、ただただ静かにオレを撫で続けていた。

(ああ、すいません三成様……)

 懺悔しながら、オレはずっと爾さんの気が済むまで触れてもらえるように祈っていた。
 一瞬でも、長く在れるように。

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