追想
 オレは、ちょくちょく爾さんに会うようになった。
 暇そうに外を眺める彼女に声を掛けたり、時にはあっちから訪ねてきてくれたり。繰り返すうちに、会話や一緒にいる機会は増えた。

「俺――じゃない、私、か。私には、大人しくお姫様なんて無理なんだよ」
「あ、聞きましたよ。男のふりして戦に出てたんスよね! 三成様も最初は気付いてなかったって」
「うん。あっさり刑部さんには筒抜けだったけど」

 爾さんにとって、城でのお姫様暮らしの日々は刺激が足りないらしい。ご立派とは言えない、オレの通う賭場の話にすら大層目を輝かせてくれた。あんなに喜ばれると話す甲斐もあるというもので、オレの喋りは絶好調だった。

「私も賭けやってみたいなぁ。戦に出させて貰えなくなってから暇で暇で……」
「三成様に絶対に見つからない方法があれば、一緒に楽しめるんですけどねー。爾さんに賭事やらせたなんて知れたら三成様にどやされるってもんじゃ……」

 ばれて盛大に怒られる様が容易に想像できて身震いがする。思わず自分の体をさすりながらオレが呟くと、爾さんは自信満々に胸を張った。

「俺が自分からやりましたって言えばいいんだ!」
「三成様絶対に聞いてくれませんって! あと、また言っちゃってますよ! 一人称!」
「あっ……!」

 さっきまで爛々としていた爾さんの眼差しが急にしょげて、怒られた子供のように項垂れる。ころころと変わる表情に、オレは笑いを堪えきれなかった。
 そんなオレに、爾さんは呟くような声で教えてくれた。

「三成は“無理に直さなくてもいい”って言ってくれてるんだけど……どうせなら、ちゃんと三成に釣り合うよう、姫様らしくしたいよね」

 恥ずかしそうな爾さんの姿が微笑ましくもあり、切なくもあって。
 オレはただ、曖昧に微笑み返すことしか出来ずに、そのまま話は途切れたっけ。
 そう言えば何時だったか、「三成は話下手だからねぇ」なんて、からかうように三成様の前で笑ってたときはびっくりした。
 だって、その場にはオレもいたのだから。まさかよりにもよって引き合いに出されるとは思わなくて、言葉にならないぐらいに焦った。

「あ、あの、爾さん……!」
「まあ、口の達者な三成なんて想像つかないしねぇ」
「……ふん」

 オレと比較された三成様は大層不機嫌になった。しかし自分の口下手を自覚しているらしく、爾さんに怒る訳にも行かず、ひたすら押し黙るだけ。
 そんな三成様にどう接したら良いのか判らなくなったオレは、ほとほと困り果てたものだった。
 爾さんは本当に不思議なひとだ。歯に衣着せない。気取らない。飾らない。だからって女性らしくない訳じゃない。心配りが出来て、居心地がよくて、あたたかい人だった。
 三成様は本当にいい人捕まえたもんだよ。
 交流を重ねるうちにオレは、爾さんの部屋にも招かれるぐらいに信頼を寄せてもらうようになっていた。話すことは相変わらず、賭けのことだったり、戦や軍略の勉強だったり、三成様のことだったり。
 爾さんといるのは楽しかった。

「左近、付き合ってくれる?」
「そりゃ、喜んで!」

 そして今オレは、爾さんのお誘いを受け、何と佐和山の城の天守にいる。三成様直々の許可を得て、だ。
 オレと爾さんの会話は、今じゃすっかり懐かしい初対面のことで盛り上がっていた。

「初めて会ったとき、びっくりしましたよ。風車とお姫様が降ってくるんスから」
「ふふ。実はじゃじゃ馬なもんでねぇ。体が動きたがってて仕方無いの」
「流石三成様の奥様っスね」
「あれ、誉められてる気がしないんだけど。左近?」
「全身全霊で誉めてますって!」

 慌てて返すと、初めて会った時のような笑顔で「ありがとう」と爾さんは言った。今日の彼女の着物は菫色。何となく三成様を連想した。その手には、以前彼女が取り落とした茜色の風車が握られている。
 へへ、と頭を掻きながらオレも笑い返し、手摺に凭れながら空を見上げた。
 何時もより、青が近い。
 天守なんて滅多に入るところじゃないのに、爾さんは「周りが見渡せるから」としょっちゅう訪れるらしい。最初は物見櫓に通っていたらしいが、三成様のお咎めを受けたのだとか。
 とにかく爾さんに動いて欲しくない三成様は、最初は天守に入るのも渋ったらしい。確かに爾さんの部屋から此処までは距離がある。けれど「これが駄目なら馬でも駆って何処ぞに行く」と爾さんは返し、ようやく了解を得たそうだ。

「だいたい動かない方が体によくないよ。太れってか」
「まあまあ、三成様は爾さんのことを心配しまくっちゃってますから仕方無いっしょ。……はっ、三成様が爾さんに動いて欲しくないのって、まさか……授かってらっしゃるとか!?」
「残念ながらまだだよ。そんだけ先の戦の怪我が酷かったってことなの。自分ではあまり判んないんだけどね」

 爾さんは、周りほど自身の身体について重く感じていないらしい。心配を嫌がってはいないが、困惑しているような口振りだ。

「織田との戦だったなぁ。もろに爆弾兵の突進に巻き込まれてね、四肢が吹っ飛ぶかと思ったよ」

 だからだろうか、怪我の原因までさらりとオレに教えてくれた。実は、暗に知りたがっていたオレの心情を、見抜いていたのかも知れない。
 まるで他人事のようにあっけらかんとした爾さんの語り口は、逆にオレの度肝を抜いた。

「し、死んでも可笑しくないじゃないスか! それ!」
「うん。無惨なもんだったらしいね。覚えてないけれど」
「覚えてないったって……」

 三成様が過保護になるのも無理はない。特に喪うことへ敏感な、あの人なら。
 けれどオレは、どうにも気になった。
 確かに爆弾兵は厄介だが、ひと目でそれと判る見掛けのために避けることが容易だ。三成様が認め、戦にも出ていた人なのだから、爾さんにも十分その技量があったはず。

「何でまた、かわせなかったんです?」

 思わず溢れた疑問。言ってからハッとして爾さんを見た。不躾だったろう発言を悔いながら。口が軽いのも問題だと今更ながら思う。
 だが爾さんは、オレの予想に反し、気分を害した様子もなく笑っていた。
 ただ少し、苦しげに目を細めながら。

「うん、何時もなら十分かわせたはずなんだ、でもその時ね……。何故か真っ当に見ちゃったんだ、相手の顔を」

 柔らかな陽が僅かに歪む。
 彼女は、風車を抱きかかえるように両手を添え、胸に押し当てた。そうやって自身を落ち着かせながら、続ける。

「その兵は、目を真っ赤にして泣いてたんだ。これから自分は爆弾と一緒に死ぬんだって、泣いてたんだよ。それ見たら頭が真っ白になっちゃって……三成の叫び声が聞こえて我に返った時には、遅かった」

 鼻先の爆弾兵を避ける暇は無かった。そうして直に爆発を受けた爾さんは、全身に大怪我を負い、死の淵に瀕したのだという。
 瞬間の三成様の胸中を思ったらたまらなかった。
 目の前で愛しい人を喪いそうになって――幸いにその最悪は回避されたけれど――助けようにも届かないなんて。
 今こうしてオレと顔を合わせて、綺麗に佇む爾さんが、もしかしたらいなかったかもしれないなんて。
「泣いてる兵なんて珍しくもないのにね」爾さんの呟きに、自嘲めいた響きが宿る。あまり彼女らしくない。

「本当に、よく、ご無事で……」
「腕の良い医者が身内にいてね。刑部さんがすぐに呼び寄せてくれたの。怪我したのが嘘みたいに治ったよ。……あ、でも傷跡残ってるんだ。見る?」
「いやいやそんな、大丈夫っす!」

 慌てて首をふると「冗談だって」と爾さんが苦笑いした。事情が何であれ、気軽に女性――よりにもよって三成様の大事な人――の肌を見るというのは気が引ける。冗談でも頷けることではない。

「見て面白いもんでもないからね」
「そ、そうっスね」

 オレの中には、安堵と共に妙な残念さが灯る。どのぐらい痕が残ってしまったのかとか他にも色々、考えなかった訳ではないけれど。それ以上の思考は無理矢理止める。
 兎に角オレは、会ったこともないその医者に、心底感謝した。瀕死の彼女を救ったとは、相当な腕の持ち主なのだろう。何かの術使いで、刑部さんぐらいに不思議な人に違いない。

「下手したらオレ、爾さんに会えなかったって事ですよね。そんなスッゲー医者がいてくれて、良かったっスよ。こうして会えたんですから」

 思いのままに口にしてから、はたと爾さんを見る。今のオレ、ちょっと言葉選びが違ったような。じわじわと込み上げてくる照れ臭さに、舌が回らなくなる。
 対する爾さんは、きょとんとしていた。「あ、えっと……」口ごもるオレに、爾さんは不意にくっと笑みを溢してみせた。

「そうだね、感謝だね。下手したら左近に会えなかったかもしれないんだから」
「で、ですね」
「うん……。生きてて良かった」

 それから爾さんの視線は、城下へ向いた。静かに噛み締めるような呟きは、風にとけて薄れる。手元の風車が回って、からからと小さな音を立てていた。

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