ずっといたかった




 あるじさんの睫毛の数まで覚えちゃいそうなほど、あるじさんのことを見続けてきてる。
 初めてボクがこの本丸に来た時に笑顔で「これからよろしく」って右手を差し伸べてくれたでしょ。
 あの時からずうっとだよ。

 しばらく乱藤四郎、乱藤四郎ってかたっくるしい呼び方をしてたよね。ボクが乱でいいよって言って、ようやく乱って呼ぶようになったよね。でもしばらく何だか恥ずかしそうで笑っちゃった。他の皆のことだっていちいち名前全部呼ばないのに、どうしてボクだけ呼ぶ時は恥ずかしがっちゃうの? 後から来た子の名前を呼ぶのを見てて確認したんだからね。あっやっぱりボクの時だけ恥ずかしかったんだ! って。その理由を聞きたいところだけれどさ、うん、今は良いかな。ふふ、だって聞かないでおいたら、『ボクだけ特別』ってことになるでしょ? ボクの時だけ変に意識しちゃってたんでしょ、ってね。あるじさんったらボクを見て何を考えてるの? 思ってるの? なんて。

 あるじさんが甘いもの、あまり得意じゃないって知ってるのはボクだけかなぁ? 近侍になったとき、持ってきてもらったお茶菓子をこっそり「食べる?」って差し出してきたよね。あの時のどら焼きすっごく美味しかったよ。その後のきんつばも、お団子も、ふわふわ甘ぁいケーキも。いっつもあるじさんは、お菓子を頬張るボクにお茶をいれてくれながら、ニコニコしてて。「疲れたときには甘いものって言うのにぃ」ボクが言うと、「乱みたいに美味しそうに食べてくれる人が食べるのが一番」って言ってたけど……たまには甘いものも食べなきゃダメ! いち兄が言ってたもん、甘いものは脳を動かすための栄養なんだって。そう言いたいけれど、あるじさんのいれてくれたお茶と満面の笑みが揃っちゃ、言えないよ……。あるじさんの笑顔はたまに圧力があるの。悪い意味じゃなくてね。

 二人でお散歩した時のこと覚えてるかな? 書類仕事ばっかりのあるじさんがボクに構ってくれないからワガママ言って夕方頃に外に出た時だよ。夕焼け、綺麗だったよねぇ。あるじさんが畑でつかまえたバッタ大きかったね。ボクはちょっとびっくりしちゃったけど、あるじさん、その後、毛虫まで掴んでたよね。薬研兄たちは毛虫に触っちゃダメって話してたし、あるじさん、ボクたちにもそう言ってたのに。自分は触っちゃうんだもん。思わず「だめ!」って拾った葉っぱではたき落とした時、あるじさんは目を真ん丸にしてボクを見てから、ふって微笑んで「その通り」って大して反省してない調子でさ! ブツブツが出来たりしたらどうするつもりだったの? 毛虫を触った手なんか繋ぎたくない、って言ったら、あるじさんは毛虫を触ってないほうの手を出して「こっちならどう?」って首を傾げた。そっち側の手も、毛虫を触った手も、あるじさんと繋いだ手はどっちも嬉しかった。

 寒い寒い冬の日に、あるじさんは酷い風邪で寝込んじゃったよね。筆を持つ手が震えてて、微笑み方もぎこちなくなっていってて。近侍なのに早く気づけなくてごめんなさい。他の皆もボクからあるじさんが風邪を引いたって聞いて、そんな風に見えなかったからってすっごい驚いて慌ててた。お部屋に戻ったから気が緩んだの? それともボクが側にいたから? どっちにしろ、あの時ボクが具合悪いんじゃないって聞かなかったらあるじさんは無茶を続けてたに違いない。そんなの絶対ダメだもん! 人間の体は脆いんだから無理しちゃいけないんだって、ボクたちがわからないとでも思ってるの? 人の生き死にはあるじさんよりずうっとずーっと見て来てるんだからね。寿命が来ちゃうのは寂しいけどしかたない。でも、無理して命を縮めるのは絶対に許さないんだから。でもあの時のあるじさんが、いつ死んでもおかしくないような苦しそうな息をしていたから、ボクは叱るなんてできなかった。ごめんね、あるじさん、気づくのが遅くてごめんね、死なないで。寝込むあるじさんに、ずっとボクは謝ってた。あるじさんは、「乱は悪くないよ、気づいてくれてありがとう」って笑った。あるじさんのそんな苦しそうな笑顔、嬉しくなかったよ。

 ――今ボクに見せる、その、仕方ないなぁ、っていうような苦笑いも。
 ぜんっぜん、嬉しくない。見たくない。

 急に「乱には先に告げておこうと思った」って。
 政府からお達しが来たって。
 あるじさんの審神者としての力が弱まってきてるって。
 だから、新しい審神者が此処に近いうち来るだろうって。
 もうすぐ、お別れなんだって。

 ボクはやだと叫んだ。部屋の外に聞こえても構わなかった。あるじさんは他の誰かに来てほしくないかもしれない。でもボクはひとりきりで耐えられる気がしなかった。やだ、やだ、やだ。あるじさんとお別れなんていやだ。「審神者の力が弱まるというのは、滅多にないそうだから、きっと次の主とは長く一緒にいられるよ」気休めのつもりなの、それ? 次の主の力がどうのとか、関係ない。ボクの主は、いま目の前にいるあるじさん。ずっと見つめてきたあるじさん。今でも乱って言うときにちょっと息を呑んでたりするあるじさん。ケーキを一口あげたときに渋いお茶を一気に二杯飲み干したあるじさん。トンボとりも得意なあるじさん。止めても咳き込みながらお仕事に戻ろうとしたあるじさん。あるじさん。あるじさん。あるじさん!

「ねえ、ボクずっとあるじさんのこと見てきたの! ずっとずーっと一緒にいたいって見てきたの! あるじさんとのこといっぱいいっぱいここにつまってるの! だからずっと一緒にいる、審神者じゃなくなってもいいよ、ボク、あるじさんとおしゃべり出来なくても我慢する、だからここにいられないならボクを連れてって! ボクを傍においてよ!!」

 ボクは喉が枯れるだけ叫んだ。この体でこんなに叫んだのは初めてだった。叫んでいるうちに涙が溢れた。あるじさんの顔がぼやけちゃう。もう少しでいなくなっちゃうあるじさんの顔が。いや、いやだ。座るあるじさんが、ゆっくりと首を横に振ってるのは見える。でもどんな顔をしてるのかわからない。まだボクのことしょうがないなぁって笑ってる? ボクはあるじさんの膝にすがりついて泣いた。いやだよ、あるじさん、いかないで。どこにもいかないで。あるじさんは優しくボクの頭を撫でて、背中をさすってくれた。ずっと、ずっと。

「弱い主でごめん」

 初めて聞くあるじさんの震え声は、本当に弱々しかった。

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