カレッサがライブラの監視下に置かれることになってから数日経った。
宿無しのカレッサは、ライブラ内の一室に小さなテントを設置し、それを自室として過ごしていた。中に特殊な亜空間形成術が施されているとのことで、一度そのテントへお邪魔したチェインが「まさに異次元だわ」とコメントし、見た目からは想像の出来ない広さと過ごしやすさだ、とも評していた。世間知らずの能天気無邪気な普段の振舞からは想像もつかないほど、カレッサは手練れの術者であることが伺い知れた機会であった。それほど手練れでありながら自身の存在を他者へ視認させる技術は無いのか、とザップに問われ、カレッサは落ち込みすごすごとテントに戻ったりしたりしつつも、とりあえず今のところ問題なくライブラのメンバーに馴染んでいる。
そんな調子で、カレッサが度の越えた間抜けやうっかり者であるが故に、リャナンシーという種族自体にそんな印象を抱き始めていたメンバーの見解を大きく揺るがす事案が、此度発生した。
「――これは君の一族からのもので間違い無いかね」
「はい……」
執務室。主要メンバーが集ったところでクラウスが問い、カレッサは頷く。
彼らは輪のようになって、一つのアタッシュケースを囲んでいた。よく見る金属のそれは、今朝、突然、執務室のテーブルの上に置かれていた。幾重ものセキュリティで警備されているライブラ内部に、誰にも覚えのないアタッシュケースが突如現れた。これはある意味ただ事ではない。
しかしそのケースの上に置かれた手紙を見て、カレッサが「うぐっ!」と奇声を発し青褪めたことにより、“これらはカレッサに関係のあるものだ”とすぐに判明した。
そこで、メンバーが(たまたま)集まり、カレッサに真相を問うているところだった。
クラウスの声が低く重たく響くのは何時ものことだが、緊迫感が混ざると尚更迫力が増す。
カレッサは手紙をそっと手に取った。まじまじと封蝋を見つめる眼差しには覇気が無い。
「この紋章は間違いなく私の家のものです……。まさか家出がこんなに早く知られるなんて」
覚悟したように封を切ると、彼女は手紙を読み始めた。黙読故に周囲は見守るしか出来ない。
カレッサの顔はこの間、悲しそうになったり、落ち込んだり、無になったり、げんなりしたり、最終的には安堵したり……と忙しなかった。喋らなくても彼女は賑やかなのである。
手紙を畳んだカレッサは、ふう、と肩の力を抜いた。
「……家でもそこそこの騒ぎになってしまったみたいで、私のせいで種族の恥を晒すだけではライブラの皆さまに申し訳ないからと、仕送りをすることにしたそうですの」
「し、仕送り……」
「レオくんでしたらもうこのケースの中身を知ってらっしゃるはずですの」
確かめるようなレオの呟きに、確信したようにカレッサは微笑む。
途端に一行の視線はレオに集中してしまった。
「レオっち、中身わかってたの?」
「あ、はい。最初から……。でも、ビックリして声出なかったんです」
「びっくりするような仕送り?」
K・Kが首を傾げると、ふわりとカレッサが動いた。アタッシュケースの鍵を手早く解除し、がばっとその蓋を開く。
――中に押し込められていたのは、札束だった。その量に、思わずレオとカレッサ以外の面子は目を剥いた。
一体、これほどの大金を何処から集めて送って来たのだろうか。もしかして裏仕事か何かで得た危ういお金なのではないか。様々な憶測と不安と興奮で思わず雑談に突入した面子を眺めつつ、スティーブンはカレッサを見た。
「君の一族は裕福なようだな。随分思い切った量だ」
「リャナンシーが芸術家の才を引き出すことはご存知でしょう? その結果とも言えますの。不思議と私たちが愛した作家たちは、作品から得られる財を私たちに譲ってくださったから、今も絶賛静かにわらわらお金は増しまし中ですの」
カレッサは手紙のうち数枚を引き抜き、スティーブンに渡した。
クラウスもその文面を横から覗き込む。ざっと目を通した限りでは、カレッサが押しかける形になったことへの謝罪が主だった。
随分しおらしくなったリャナンシー代表が、二人におずおずと告げる。
「これでも私がお世話になる分にはとても足りませんから、今後も定期的に仕送りを行うとのことですの。ライブラの方々が“牙狩り”を行ってくださるお陰で、私たちリャナンシーが救われている部分も多いですから、そのことへのお礼も含めて」
今にもザップあたりが何束かくすねようとしていたのを見計らったかのように、カレッサはアタッシュケースを閉じた。そして、ケースをクラウスたちの方へと押しやりながら、何度も頭を下げる。
「ですから、もしご迷惑でなかったら受け取ってほしいのです。活動資金の足しにしてもらえたら幸いですの! そして今後もどうぞよろしくお願いいたします、ですの! というか、受け取っていただけなかったら此方の気が済みません。どうかお納めください……!」
「いや、これは君の財産だ。この街で生き抜くために君自身の生活に投資すべき財産だ」
「いえいえクラウスさん、そんなこと言わずにどうか受け取ってくださいぃぃ……!」
必死にカレッサが押し付けてくるケースを、クラウスは両手でそっと押し返して“受け取れない”と主張する。
「受け取っておきゃいいじゃないっすかぁ」「何ゼーロあるんだろう、これ」「わざわざコッチの通貨で送ってくれたのね」「一体このケースをどうやってライブラ内に持ち込んだんでしょう」……仲間たちの声がバックグラウンドで延々と響き続ける中、カレッサとクラウスの攻防にスティーブンが踏み込んだ。手紙を読み終えたらしい。
「平たく言えばこれは、リャナンシーの主張。カレッサをライブラに預け資金援助することでリャナンシーが決して人類の“敵”ではないと言いたい訳だ」
「ですの、そういう感じですの! ですからこれを受け取っていただかなくては話になりませんの!!」
スティーブンの助け舟に、カレッサはホッとしたように何度も頷いて答えた。
しかし、とスティーブンの話は続く。
「この通り、我がリーダーは、これが君の財産であると言って譲らない。そこで提案だ」
その時カレッサとクラウスは、心なしかスティーブンの笑みが深くなったような気がした。
「半分は我々がカレッサと一族の希望通り“お礼”として受け取り、もう半分はカレッサ自身の“財産”として管理する。正直、半分にしても相当な額だが……互いに主張して譲らないなら、こうするしかないだろう」
どうだい、と問われ、カレッサとクラウスは暫し視線を交わしたのち、スティーブンへ向き直ると静かに頷いた。
スティーブンはすぐさまチェインに、カレッサと共に銀行へ行って彼女の口座を作るように指示をした。そして的確に、リャナンシーらが送ってくれた仕送りを分けた。
――これは思わぬ形でスポンサーがついたかも知れない。
カレッサが気付いているかは不明だが、リャナンシー一族にとって、カレッサはいわば“人質”。自身らの無害と、無抵抗を示すための存在。どうやってこの事務所まで仕送りを届けたかは知らないが、カレッサを連れ戻す力は無いというアピールでもあると受け取った。ライブラは一族にとって脅威であり、そこへたまたま一族でも異端者であるカレッサが転がり込む形になった。同胞は悩み抜いた挙句、人質と資金援助という形に変えることにした。
もしライブラを敵に回せるのならば、このアタッシュケースを持ち込んできた時点で敵としてのアクションがあったはずだ。それが全くないのもそれはそれで不気味なのだが、カレッサは自身を『一族に馴染めない異端者』と自嘲していた。
――もとから彼女の同胞たちは、彼女を連れ戻すつもりがないと考えるのが妥当か。
今のところ誰も被害を受けることない現状を見て、ひとまずスティーブンは考え込むのを止めたのだった。
この“仕送り”によって、カレッサ当人の金銭感覚が子供以下であることが後日判明する。
それに気付き、ストップをかけたのは、やはりレオだった。
ある日、ライブラへ出社した時、カレッサのテントにザップが近寄っていくのを見たのである。嫌な予感がしたレオはすぐさまザップを制止した。
「カレッサさんに何する気ですか、ザップさん!」
「まだ何もしてねーだろが!」
「これからする気満々みたいに聞こえますけど!」
「どうしましたの、お二人とも」
テント前で騒いだものだから、当然中からカレッサが出て来た。
「カレッサさん! ……って、え……」
ふわふわ浮かぶカレッサの手の中へ視線を移したレオは、ぴたりと固まった。
何故か、彼女は札束を握っていた。しかもフダがついている新札だ。計算するまでもなく大金である。ひょっこりテントから出てきた女性が握っているにはデカすぎる金額。
しかしカレッサはそんなことを気にも留めず、ふよふよとザップに寄っていった。
「ザップさん、これで足しになるかしら。もし辛かったらまた仰ってくださいまし」
「おー悪ぃなー」
「って、タンマ! タンマです!!」
当然のようにザップが札束を受け取ろうとしたのを見て、慌ててレオが割って入った。カレッサの手を押し戻し、その札束の感覚に動揺し心臓をバクバクさせながらも少年は訴える。
「何してんですか、一体どうしてカレッサさんがザップさんに札渡してるんですか!」
「優しい優しいカレッサがよー、俺が今月死んじゃうかもしれないお金がないって言ったら“力になりたいですの〜”って言ってくれたんで甘えてるだけだよーちゃんと後から返すつもりでさー」
「全然返す気が伝わってきません! カレッサさんも何をホイホイこの人にお金渡しちゃってるんですか! 駄目ですよ、火種にしたりトイレに流すより勿体ないお金の使い方っす!」
「で、ですがザップさんが本当に死んでしまったら悲しいですし、私は食事なども必要ないのであまりお金があっても使いみちがありませんから……。ザップさんが生きてくれるならと……」
「だーめーでーす! 駄目なもんは駄目です!」
「人に金貸すときはあげたと思って貸せって言うよな」
「あんたも開き直るな!」
「ザップさんが亡くなったらザップさんの愛人さんたちも悲しみますの。それは大変ですの。だから私にできることで救えたら安いもんですの」
「カレッサさんはお金についての感覚をもっとしっかりさせてくださいっ!」
どうにかカレッサに一般的な金銭感覚を身につけさせ、よりにもよってザップに金を渡すことがどれほど残念でどうしようもない行為なのかを知ってもらわなくてはならない。
レオはカレッサに札束をテントにしまうようにまず促した。カレッサは基本的に従順であるが、レオに対しては特に顕著だ。視認された恩義なのか、それとも好みなのか、理由はともかく、レオに「〜してください」と言われると従わずにはいられない。
カレッサがテントから出てくると、レオは抱えていた袋を彼女へ渡した。袋から漂う香りに、カレッサは瞬きする。
「何でしょう、とても良い香りがします」
「カレッサさんってファーストフード食べたこと無いんじゃないかと思ってハンバーガー買ってきたんす」
「ままっ、まああっ! 憧れてましたのファーストフード!! 嬉しいですの!」
ハンバーガーの袋を右腕で抱えながら、カレッサは左腕をレオの首に回して抱き着いた。ふわふわとしたさまざまな感覚に顔を赤らめつつ、レオは必死に説明する。
「この袋の中身が、さっきカレッサさんの持ってたお金でどのぐらい買えると思いますか?」
「え? ええっと……10個くらい?」
「10個っ!!」
素っ頓狂な見当違いぶりに、聞いていたザップが吹き出す。
レオは溜息を吐きながら、そっとカレッサを引き離しつつ言った。
「10個じゃききません。さっきのお金、一枚で10個ちょっといけます」
「まあ……そうですの?」
「ですの」
既にレオは疲れつつあった。語尾が伝染する程度には。
そこからレオはスマートフォン片手に様々な商品を見せては物価を教え、ついでに一般的な社会人の月収や、ザップの借金まみれ生活ぶりについてなど、こと細やかに解説していった。更にカレッサが今までザップに図らずして貢いでいた金額のおおよその見当をつけることに成功した。
一通りことが済んだころには、ザップはいつの間にかチェインに踏まれて沈んで退けられていた。
はあ、と嘆息したチェインが、カレッサの傍にしゃがみ込む。
「ごめん、私がもっと注意しておけば良かったわね。まさかカレッサがこんな底なしの世間知らずとは思わなくて」
「私こそ申し訳ありませんの……。お手数おかけしてしまって……」
「まあ、一番悪いのはこのタカリサカリ猿だから。これである程度自衛しなきゃって判ったでしょ?」
チェインは、落ち込んで項垂れるカレッサに微笑む。
「とりあえず、折角買ってきてもらったんだし、食べたら?」
「え?」
「ハンバーガー。初めてなんでしょ?」
我に返ったようにカレッサは袋を開け、ハンバーガーを取り出した。包み紙を取るのに苦戦していたが、途中でチェインが手伝って事なきを得る。ようやく相対したハンバーガーに、カレッサは興奮で頬を赤くしながら齧り付く。もぐもぐと丁寧な咀嚼の後、彼女は――、
「美味しい、です!」
それはそれは嬉しそうに顔を綻ばせてみせたのだった。
チェインとレオの、子供を見守る親のような笑み。
部屋の隅で未だ気絶しているザップ。
そんなギャップに気を回す余裕もなく、カレッサは夢中でハンバーガーを食べ進める。
「あっ、いただきますって言い忘れてました……」
「そんだけ無心になって食べてもらえて良かったです」
「今度私も何か買ってこようかな。なんか面白いし、カレッサの反応」
「む、むしろ私、一緒にお出かけしたいですー!」
「それはクラウスさんたちに確かめなきゃですね……」
初のファーストフードを平らげたリャナンシーは、仲間たちの気遣いによって新たな知識と目標を得ることが出来た。
そしてそのことへの感謝を、しばらく二人に抱き着いて全身全霊で表現し続けていた。