神々の義眼がその者を見つけまして。
 とても綺麗な人が道の端で倒れていた。とにかく綺麗だった。
 あんなに綺麗でか弱そうな人が道端に倒れていたら、誰かが何かしてもおかしくないようなヘルサレムズ・ロットで、どうしてこんな事態が? いやいやこんな街だからこそ美人には気を付けなくちゃいけないのか? にしても周りの人たち、可笑しい。彼女に足を引っかけたり、彼女の上にゴミを落としたり。それはわざとではないみたいで、引っかかってしまった人は不思議そうに首を傾げて過ぎて行く。
 まるで誰もあの人が見えていないみたいだ。

「だっ、大丈夫ですか?」

 ああ、声を掛けてしまった。
 女の人はゆるゆると顔を上げた。「……え?」薄い唇を開いて、まるで信じられないものを見るかのような顔をして僕を見ている。こうして見るとますます綺麗だ。眩しいぐらい。

「アナタ……私が見えますの?」

 ……え? どういうこと? どういうことだ?
 とりあえず、声を掛けちゃったからには放っておけない。ここで逃げ出すにも逃げ出せない。

「見えるから声かけたんですけど……あ、あの、お姉さんまるで何日も何も食べてないみたいな顔してますよ? 倒れてるぐらいに弱ってるみたいだし……」
「お腹空いてはいますけれど、食べなくたって死にはしませんの。だから我慢ですの」
「でもそんな青白い顔で言われても説得力ありませんって! せめて飲み物だけでも……」
「ちょっとぐらい断食すべきなんですの、私。お仕置きが必要なの」

 女の人は両手で顔を覆ってしまった。何か悪いことを言ってしまっただろうか?
 慌てる僕に、女の人は「違うの、違いますの」と呟いた。

「私、記憶が途切れていて、うっかりしていました。私は“見てもらえない”から押し込められていたのに。馬鹿をしたんです。きっと家出して此処に来たバチが当たったんだわ……」
「ど、どういうことですか?」
「生まれてからそうなの。ヘルサレムズ・ロットに来てから長いこと飲まず食わずで、やっぱりこの街でも誰に話しかけても答えてもらえずで、もう、私どうしたらいいのか」
「ま、ますますよく判らない……」
「だからきっとあなたは私の幻で、夢で、お迎えなんだわ。優しそうな方で良かった。わずかな人生ではありましたけれど、後悔は有りません。最期にこうやって私を見てくださるだなんて」
「もしかしなくとも死にそうなんですか! やっぱりギリギリですか!?」

 道端に寝たまま動かない女の人をどうしたもんかと慌てて悩んでいたら、

「レオじゃねえか」

 と、これはもうすっかり聞き慣れたザップさんの声が背後から。
 これは丁度いい、とザップさんを振り返って女の人のことを相談しようと振り返った。

「行き倒れか? 行き倒れ泣かすとかお前そんなキャラだったっけ?」
「そんなんじゃないですって! この人何だか色んな意味で弱ってるんです。主に神経衰弱が酷そうで……」

 ああ、良かった! ザップさんにも見えてるんだ。「お姉さん、お姉さん! 元気出してください!」触っていいものかどうか一瞬躊躇ったけれど、肩を軽くゆすって呼び掛ける。
 顔を覆っていた女の人が、ようやっと手を離して、僕とザップさんを見る。あっ。ザップさん明らかに顔付き変わった。目の色も変わった。そりゃそうか。そうだわ。
 女の人も女の人で、何だか信じられないものを見る顔でザップさんを見ている。

「ま、また私を見てくださってる? そちらのお兄さんも私が見えるのですか?」
「勿論だよお嬢さん」
「奇跡だわ……。この街はやはり奇跡の街です……!」

 よろよろと彼女は起き上がって、今度は両手を胸の前で組んで満面の笑みを浮かべた。

「私を見てくださる人がやっぱりここにはいたんですのー!!」
「わあああっ!?」

 あっという間に握られていた両手はバンザイの形に広げられて、そのまま僕に雪崩掛かってきた。受け止めきれるかどうか怪しいけれど反射的に両腕を伸ばして試みる。
 ――あれ? この人……。
 感触はする。柔らかいものとか、香りとか、ふにっとする感じとか。するにはする。
 けれども――この人、すごく軽い。
 あっさりすんなり僕にも受け止めることが出来た彼女は、僕に抱き着いたままわんわんと泣き始めた。

「よかっだぁ……うあああああんっ!!」
「おいレオ代われ!」
「やっぱりそういうこと言う! それどころじゃないのに!」

 この人、何かある。
 悪い人ではないんだろうけれど、間違いなく人間ではない。
 僕が視認したと同時に、ザップさんだけじゃない他の人たちもようやっと彼女の存在に気付いたのが判った。


 ――その女の人は、僕にくっついたまま泣き疲れて眠ってしまった。
「見るからに行く宛もなさそうな女性をこんな街のド真ん中に放っておくわけにもいかないから安全に介抱してやれる場所へ移動しよう」という一般人なら真っ当だけれどこの人が言うと何か裏と言うか下心満載な気がするなあぁというザップさんの提案に賛成した僕は、彼女をおんぶしながらザップさんとHLを歩いていた。
 歩きながら僕はザップさんに、彼女を見つけた時の話をした。

「見てもらえない? んだそりゃ」
「わかりませんよ。でも本当に僕が見つけるまで、この人、まるで誰にも存在を気付かれてなかったみたいで……」
「……そいつぁ、まるでどこかしらの誰かさんみたいな……存在を消すアレとかソレなのか……? お仲間か?」
「チェインさんみたいに自由自在じゃないみたいですし、違うと思います」
「おんぶ代わるか?」
「いえ大丈夫です。何かびっくりするぐらい軽いんですよこの人。それも明らかにおかしいし」
「能力値平凡中の平凡の平凡核のお前がポーカーフェイスで意地張ってる可能性もなくはないね! 確かめさせろ!」
「あんまりおっきい声出さないでくださいよ! この人相当疲れてたみたいだし寝かせといてあげなきゃ」
「そーやって独り占めすんのか! ズル賢くなりやがって!」
「だーかーらー……!」

 いい加減にしてください、と叫ぼうとしたとき、背中の方で何かが動いたのが伝わった。

「あれ……。私いつの間に……」
「ほらもう! 騒ぐから起こしちゃったじゃないですか!」
「俺のせいかよ、お前の声もデカかったろ!」

 ぎゃーぎゃーとつい口論してしまう僕らに、背負われたまま女の人は横槍を入れる。

「あの、お二人はお知り合いですの? どうして私が見えましたの?」
「知り合いというかまあそんな感じです」
「私は夢を見ている訳ではありませんの? お二人は生きてらっしゃって私に気付いてくださっているのは間違いない、ですか?」
「そもそも見えることにどうしてそんなに拘るのかな」

 ザップさんが余所行きの調子で無性に優しい調子で女の人に訊ねる。
 すると彼女は「そうでした!」とちょうど僕の頭の後ろ辺りで声をあげた。

「私が見えることについてしつこいのは……って、ああ! ずっとおぶって頂くなんて失礼ですわよね、降りますわ私! ごめんなさい」
「いえ、全然重くないから大丈夫ですよ。お姉さん行き倒れてたんだし無理しないでください」
「なんなら俺が代わるけど……」

 ザップさんの申し出を恐らく素でスルーしてしまった彼女は、するりと僕の背中から離れ、ふわりと宙を舞って僕らの目の前で止まった。

「私はカレッサと申します。あなたたちのように私を見ることができるお方を探してこの街まで来ました」

 ふわふわと、海で漂うクラゲのように僕らの目の前の空間を浮遊しながら、

「人間ではなく、リャナンシーと呼ばれる種族の者ですの。私以外の同族は今では他者に視認出来るのが普通なのですけれど、私はその部分が先祖返りしてしまって……見つけてもらえずにいたんですの」
「りゃ、りゃなんしぃ……」
「はい、リャナンシーですの!」

 それはもう綺麗なきれいな顔でにっこり微笑んで、カレッサと名乗ったお姉さんは僕を見る。

「改めて、私を見つけて下さった事に深く感謝いたします。私の救世主さま」

 どうやら僕は、この“目”でまた不思議なものを見つけてしまったようです。
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