われは喜びて十字架を負わん
 いつまでも一緒にいられたら、ということが、夢物語だということは僕もわかっています。
 風に吹かれてやってきた花弁がいつまでも傍にいるわけがなく、また風に吹かれて離れていくように、彼女もまた、何かに吹かれ、流され、何処かへ行くのでしょう。
 それでも、思いました。
 行かないで欲しいと、願いました。
 彼女を取り巻く風は僕らのそれとは全く異なっていて、風化する速度も何もかもが、酷く緩慢で。時を数えることを諦めるほど、残酷なまでの彼女の時間は緩やかなのだと。だとすれば行かないで欲しいというのは全くの杞憂になります。寧ろ僕の方が彼女を置いて先に消える可能性のほうがよっぽど高いのですから。
 それでも、考えました。
 あなたはいつ何処へ消えても可笑しくないひとだと、気付きました。
 きっとあなた自身御しきれない大きなおおきな愛情は、いつかあなた自身を傷つけてしまうでしょう。その片鱗に触れる僕がそう思うのだから間違いありません。だって、あなたが言っていたじゃないですか。僕たちに出会えたことは、何よりの幸福だって。たくさんの人と出会い、たくさんの人を愛し、たくさんの人に愛されてきたあなたは、今が一番幸せだと笑っていたじゃないですか。様々な思い出があったと思います。決して美しく微笑ましいものばかりではなかったと思います。過去を想うあなたの瞳を見ていれば、そんなこと誰にだって察しがつきます。それでもあなたは生きてきた時間を慈しんで、愛おしんで、その上で、今この時間に最大限の歓喜を感じているんでしょう。あなたにとっては瞬き程度の時間かもしれない、この瞬間を。
 どんな事件に巻き込まれても、被害に遭っても、大抵のことを笑って思い出にしてしまう能天気なあなたを、僕らが傷ついた時だけは人が変わったように激昂するあなたを、僕らも皆さんも、同じように大切に思っています。
 でも、それでも、あなたは、僕らと親しくなればなるほど、有限の時を意識せざるをえない。
 何時だったか、あなたが別の誰かの名前を口にしてレオくんを呼んだとき、ごめんなさいと慌てて踵を返してしまったとき、何となくあなたの心を察してしまった。誰でも、きっと気付くでしょう。
 年寄りのボケです、と後で笑って誤魔化していたけれど、あなたは多分、いつかの記憶と目の前の瞬間を重ねてしまっていたんでしょう。学校の先生をパパやママと呼んでしまうようなものだろうと兄弟子は言っていました。レオくんが納得していたからあの人にしてはマトモな喩えだったんでしょう。だから、大丈夫ですよ、カレッサさん。そんなに落ち込まなくていいんですよ。混乱することは誰にだってあるんですから。
 レオくんに重ねたその人は、カレッサさんにとって、とても大切な人だったんでしょう? そうでなかったら、あんなに嬉しそうな声で名前を呼んだりしませんよね。そんなに素敵な人と間違えられたなら、むしろありがたいとレオくんも言っていました。気にしないで良いんですよ。ただ僕は、その思い出の人物がどんな人で、あなたにどんな思い出をくれたのか、少し気になります。いつか、話を聞かせてもらっても良いですか?
 確かに僕たちはあなたより早く死んでしまうかもしれません。けれど、カレッサさんだって、いつ死んでしまうかわからない危険の渦中にいることをもう少し自覚してください。あなたがいる街も、あなたが属する組織も、そういうものであり場所です。勿論流されるまま死んだらたまりません、お互い健闘と幸運をもぎ取りましょう。
 ……ですから、ね。つまり僕が言いたいのは、あまり考えすぎたり心配しすぎることはないですよ、ということなんです。

「カレッサさん、どうして僕といると急に元気がなくなる時があるんですか?」
「だって、ツェッドさん。こんなに愛おしくて全てを預けたくなる方、出会ったことがないんだもの」
「……レオくんとの関係を見ていて薄々気付いてましたが、年下好みなんですね」
「こんな時にからかわないでほしいですっ! あーもう、あと一時間は離れてあげませんから」

 カレッサさん渾身の抱擁は、大した重さも拘束感もない。その体を受け止めるのは容易いけれど、心の方はなかなかどうして上手くいかなかった。死んでも兄弟子に助言を乞う気にはならないが、女性への接し方に長けた人物なんてなかなか思い当たらない。一瞬でも選択肢にザップ・レンフロが飛び出してくるほど困窮した自分を叱咤しつつ、真っ赤な顔のままくっついて離れない彼女の頭を撫で続けた。
 雪のように解けて消えてしまいそうな肌。同じぐらい色素が薄くてきらきらと儚い輝きの髪。
 彼女は“自分の寿命では愛しい人みんなを見送ることになってしまう”と嘆くけれど、きっと、彼女を愛した人は、誰もが“今にも消えそうなこの人を護らなくてはならない”と思って生きて死んだに違いない。
 少なくとも今の僕は、そう思うのだ。
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