罪は忘却の彼方に未だ届かず、
「今日もいい天気!」

 うんと背伸びして全身に陽光を浴びる彼女の横顔を見つめ、僕は、そうですね、と頷いた。太陽よりもずっと眩いものに思わず目を細め、それに気付いた彼女は「まぶしいですもんね」と僅かに勘違いをして小さな笑みを溢した。

「どうして太陽ってこんなに眩しいのかしら。お仕事が終わった後だと尚更ですねぇ。ツェッドさんみたいに私もカッコよく戦えたら良いんですけれど〜……」
「カレッサさんも術でサポートしてくれたじゃないですか」
「ほかに手段がないとは言え、正直、妖術を使いまくるのはあまり好きじゃなくて。眷属っぽくなってしまいますから。狩る側じゃなく狩られる側だと思われたらシャレになりませんもの」
「間違えたりしませんよ――」

 鏡にもしっかり映りますし、と続けたかったところで、「はい」しゃっきりしたカレッサさんの返事がして、

「ツェッドさんのこと信じてます」

 心底嬉しそうに言われたものだから、言いきることは叶わなかった。
 ……途端に彼女はハッとしたように付け加えた。「も、もちろん皆さんのことも」と。慌てて繕ったような、急いた感じだ。肌が雪のように白いから、火照るとすぐに判る。先の発言は、カレッサさんにとって耳まで赤くなるほどの失言だったらしい。

「ツェッドさんとご一緒になることが多いから、お互い人間ではないっていうのもあるのかしら、でも私なんかとツェッドさんを一緒くたに話すみたいなのは失礼ですよね、あっと、でもチェインさんも私と同じ異種族かしら、いやいやチェインさんを私ごときと括るなんて! ……えっと、そうじゃなくって……。じ、自分に武術の才が1ミクロンもない事は重々承知してましてですね……」
「大丈夫ですから落ち着いてください」
「お、落ち着けません! だってこんな私が、ツェッドさんにすっかり惚れ込んでるみたいな感じがバレてしまってるみたいで、そんなの犯罪じゃありませんか!! 見た目年齢ではなくガチ年齢が大差過ぎて!」
「確かに貴女に比べたら僕は若いでしょうけれど、心配無用です。大丈夫ですって。言うほど惚れ込んでる感も出てませんし」
「で、出てない……!? でしたら、もっとハッキリ言うべきなのでしょうか!」
「僕への好意を隠したいのか伝えたいのかカレッサさん自身もわかっていないことは十分出てます」

 常にカレッサさんは、照れようが困ろうが笑みを絶やさない。
 最初はそういう人なんだろうな、ぐらいに思っていたけれど、僕は、彼女が意識的にそうしていることを知ってしまった。
 笑い声。笑う顔。カモフラージュされた奥底の本心。彼女が自身に微笑みを強制づけている訳。
 そうさせるのは、カレッサさん自身もとうに忘れてしまった過去の記憶だという。


 僕と彼女は、自己について悩んだり思うことを抱えた者同士だった。他の人々がそうでないと言うつもりはない。ただ僕とカレッサさんは、それらについての不安たちを共有する仲間としてより深く交流していたのだ。
 この“仲間”という間柄が狭まり曖昧になりつつあった頃、酒で酷く酔った彼女が僕の水槽までふらふらとやって来たことがあった。

「ツェッドさん、ごめんなさい、起こしてしまったのだとしたら。どうしようもなくツェッドさんに会いたくてたまらなくて、朝まで我慢できなかったんです」
「大丈夫ですよ」

 たまたま起きていた僕は水の中から答えた。同時に硝子と水ごしに彼女の顔を確かめようとした。明らかに様子が違っていたから。涙混じりの震え声。いつものカレッサさんではなかった。
「どうしたんですか」努めて静かに訊いた。彼女を刺激したりしてこれ以上泣かせてしまわないように、と。
 僕を神父か何かと間違えて懺悔しているかのような、陰鬱とした痛々しい姿を、その全てを今でも鮮明に思い出せる。
 ツェッドさん、と弱々しい声で僕を呼んで、カレッサさんは水槽に触れた。

「私は長く生き過ぎて沢山のことを忘れてしまいました。でも、私には死ぬことすら許されない深い罪があるのは確かなの。消えたいくらいなのに、そんな楽はさせないって。明日もきっとお日様は昇るんです。その下で、人そっくりの異形の私がまた曝け出される」

 ――誰かが欲しがっている明日を迎えられる喜びを持たない私を許してください。
 ――明日の陽を怯えるだけの愚かしい私をどうか許してください。
 見る見るうちに床へ座り込んだカレッサさんは、しくしくと泣きながら両手で顔を覆った。生まれて暫く陽光を知らなかった僕に対して光への恐怖を訴え、彼女に比べたら赤ん坊同然の僕に対して大人げなく泣き崩れてみせた。
 生を“与え”られて十数年そこらの僕とは正反対に長い時間を“与え”られ生きてきた彼女が犯した過ち。気が遠くなる時を数えてもその実感だけが忘れられずに残り続ける感覚を僕が捉えるのは難しい。僕の『ひとりきり』の感覚を、彼女が完全に理解できないように。
 水槽から飛び出して、僕はカレッサさんの傍へ跪いた。強いアルコールの匂いが漂っているのにも構わず、彼女が本当に謝罪したい相手も理由も何も知らず、彼女を抱き締めて囁いた。
 ――あなたは気が遠くなるほどの時間、充分に苦しみました。
 ――もう良いんです、自分を許してあげてください。
 何も知らないのに、僕は自分勝手に彼女の罪を許した。
 何度も繰り返して言い聞かせ、カレッサさんが泣き疲れて眠るまで抱き締めていた。
 人の形によく似せてある美しい彼女の形に、人の形を模している僕では、不釣り合いかもしれない。それでも、こんなに酩酊してまでも僕を頼って来てくれたのならば、どれだけ歪と言われようともこの心身で応えるべきだと思った。
 どうか、この人に希望を。
 遠慮なく僕にしがみ付いて泣きじゃくる彼女の幸せを、切に願った。


「――お腹が空きましたね」
「私もです! おまけに今日はちょっと奮発したい気分」

 彼女が良い天気だと仰ぎ見た太陽に一瞬だけ瞳を悲しげに揺らしたのを、僕が気付いていないと思っているだろうから、そのまま知らないふりをしているのは正しいだろうか。
 彼女が自身の能力を否定するならば、僕はその力にどれほど救われているかを丁寧に言い伝えようと誓ったことは正しいだろうか。
 貴女は心の奥底では光を拒み、光を視認する自身の存在すら拒んでいることを、僕は知ってしまっている。
 眩い太陽、澄んだ青空、すっかり慣れた喧騒。
 罪に苛まれる暇すら与えない刺激たちが、少しは彼女の気を紛らわせてくれているといい。

「こういうの、ランチデートになるのかしら」

 隣で顔を赤くしているカレッサさんを許した僕の行為は罪なのだろうか。
 彼女の懺悔を聞いて触れた夜から、自身に当然のように来る明日の全てに疑問を抱き始めたことも罪なのだろうか。
 答えを求めているうちに、非日常的日常は何時も通り巡りやって来る。
 これが彼女にとっては罰なのだろうか。
 だとしたら僕も同じ罰を彼女と受けるべきだろうか。

「ツェッドさん、何処に行きます?」

 僕の手を取った彼女の瞳から、少なくとも日差しに対して抱いた揺らぎは消えていた。
 カレッサさんが僕を見上げている。その顔には、あの夜以来現れるようになったカレッサさんの新しい表情が浮かんでいた。形容するには適切な言葉が見つからないけれど、とにかくこの表情は優しくて温くて切なくて……たまらなく愛おしかった。
 心奥深くで蠢く贖罪の意思より、僕と時間を共有しようとする今の想いが勝った証。
 生きる理由を掴みあぐねる彼女にとってのささやかな希望のしるし。
 ――それを喜ぶ僕は、やはり罰を受けるべき罪人のひとりか。

「カレッサさんの行きたい場所へ」

 この先あなたが幾度となくあなたを否定しようとも、僕はあなたの罪ごとあなたを肯定し続けます。
 あなたの絶望と希望は、既にあなただけのものでは無くなっているのだから。


::企画「大罪」さまに提出
ありがとうございました*
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