激しい爆発。膨れ上がる炎。熱風に煽られて肌が焼けるのを覚悟して目を閉じたレオを、カレッサが抱えて宙へ舞う。しっかりとレオを庇い抱きかかえ、防御術式でがっちりとガードしたその身で爆発を受ける。
「カレッサさん、大丈夫ですか!?」
「勿論ですの! レオくんこそ空中酔いしてません?」
「俺は平気っす!」
爆風やら欠片やらが落ち着き、幾分安全だと判断した場所へ辿り着いたカレッサはレオを下ろした。
「い、今モロに巻き込まれたと思いました……! 有難うございます!!」
「どういたしまして。日頃の感謝をここぞとばかりにお返しするつもりでいますから!」
「そんな大したことしてないですけど、僕」
「謙遜することはありませんのよレオくん! ……っと、いけない。再浮上いたしますの、つかまって!」
動乱が此方に向かってきていることを察したカレッサがレオを抱き締める。ふわっと足が地面から離れていく感覚に、慌ててレオはカレッサへとしがみ付く。瞬く間にアスファルトと暴動が遠ざかり、風に飛ばされる風船のような心地になる。風船と違って自分は、この女性にしっかりと掴んでもらっているから、迷い飛んでいく心配はない。
とても非常識な経験のなかを揺蕩いながら、少し間の抜けた妖精という非日常的存在によってその現実へ繋ぎ止められているちぐはぐさにも、だいぶ慣れてきた。妖精の纏う風は春のそれに似ていて、柔らかく、あたたかく、仄かな花の香りを漂わせている。場違いなほどの安堵をもたらす抱擁は、一種の幻術といっても過言ではないと思った。
――カレッサがレオを抱えて安全地帯へ舞い移っている間に、戦闘は終わり、ライブラの活動は後処理へと入っていた。今回は比較的騒がしい方のトラブルだったが、相手はいかめしい武装改造をしただけの人間だ。彼らが特別“敵”として認識している存在たちに比べれば容易い。
それでも非戦闘員であるレオとカレッサにとっては、十分なインパクトだったが。
「今日も凄まじかったですの。レオくん、私がいない間は一体どうやってこの戦火を潜り抜けていましたの? やはりその瞳で?」
「ああ、まあ、はい、そんなとこです。運動神経の方が若干おっつかなかったりはしましたが」
「なるほどですの」
カレッサはいまだレオを抱きかかえたままである。術のお陰とはいえ、容易く少年を抱いて揺蕩う女性というのは不思議な画だ。
「……今度避難する際は、私の瞳にあなたの瞳の視界をリンクさせてみませんこと?」
「出来なくはないですけど、俺、目ぇ使い過ぎると熱持っちゃうんですよ」
「大丈夫です。騒動が収まる間の逃避行中ぐらいでしたら、その負荷も私の術式で処理できる範囲ですの。もちろんレオくんの身に負担をかけることなく」
そんなうまい話があるだろうか、とレオは怪しんだ。カレッサがレオに危害を加えるつもりがないことは判る。だがその裏に、何か彼女は伝えるべきことを伝えずに隠しているような気がして。
一時のテンションやノリに身を任せて「はいそうですね、そうしましょう」と返してはいけないと聡明な彼は感じた。だからにこやかな美しい妖精の笑みに惑わされることなく、首を振って答える。
「そういうことに関しては、クラウスさんたちにも相談しながら幅広げましょう。俺たちはやっぱり素人ですから」
「……むー、レオくんがそうおっしゃるなら」
珍しくレオの言葉に不満げに頬を膨らませはしたものの、やはりこの妖精がレオの意に反する行動をすることは無い。
――例外というものが世には存在することをうっかり失念していたから、そう信じ切っていた。
*****
術と術の撃ち合い。相手は異界人。カレッサが辛うじて渡り合えているのは、ひとえに彼女の豊富な経験値、積み重ねた時間によるものだった。本人が忘れた記憶を体の方は覚えていて、攻撃が来るや否や正反対の術式を編み出し、ぶつけていた。
「なかなか勘が戻ってきましたの、ふふふ」
『カレッサさん!! 無理しないでください!!』
「いくらレオくんのお言葉とあっても――……この状況じゃあ」
また一つ、術の相殺を実行し、カレッサは叫ぶ。
「無理するなというのが、無理ですの!!」
彼女たちは既に一段階、相手の術に陥っていた。
カレッサをリャナンシーと見抜いた相手が、カレッサを捕らえようと転送術を仕掛けてきたのだ。術発動の瞬間に居合わせたレオが咄嗟に知らせたものの間に合わず、カレッサはまんまと移動させられてしまったのである。
……慌てて飛び込んで来たレオごと。
「この状況は、レオくんが忠告してくれたのに、レスポンスが遅れた私の不徳の致すところ。たまにはこの薄っぺらい体も張らねばなりませんの」
幸いなことに、転送以外の力を編まれていなかった術はふたりを傷つけることなくここまで運んだ。見たところこの場所自体も、術で形成された空間のようだった。
転送されるなりカレッサは、レオを防御壁術で包んだ。外側からも内側からもどうやっても破壊することはできない。カレッサの意思で解除するか、或いは術者が死ぬかしない限り、レオは無傷で済む。
当然、相手がそれを放っておくわけがなかった。早くこのリャナンシーの意識を奪おうと幻術を何度も仕掛けてくる。カレッサもまた思い通りにされる訳にはならなかったので、それを打ち消す。
術と術の攻防。両者の膨れ上がったオーラが放たれては激しくぶつかり合う様が、防御の繭にくるまれたレオの眼に映っていた。
「防御繭、今度から使うときは不透明にしなくちゃ……って、レオくんの眼にはあまり意味がないかしら」
緊張感のない呟きに、隠し通せなかった疲労が混じる。
レオは焦った。携帯電話を握りしめる手に力がこもり、汗が滲む。
幸か不幸か、敵術者はカレッサの命を奪うつもりはないようだった。しかしその意識を征服することに全力を注いでいる。そうなってはレオを守るこの繭壁はなくなってしまう。
カレッサが戦う力を割いてまで作ってくれた防御が無くなるというのはどういうことか――考えるまでもない。
「ああん、もう! 昔の私だったらある程度勘で先読みできましたのに!」
「自分からわざわざ本調子じゃないと明かすなんてお間抜けなリャナンシーだこと」
「うるっさいですのー! 電波さえ通じればこっちのモンですからね、ご覚悟ですの!」
敵もまたカレッサを制圧する以外の術を持続させているらしかった。恐らく電子機器のGPS機能対策か何かだろう。いまだレオの携帯が何処かに通じる気配は全くない。
「目指せ電波の掌握ぅ! あーもう下品な洗脳術なんてもう飽食状態ですわ、わずらわしいっ!!」
「こっちこそ粗末な思考転換なぞ受けたくないね」
「それを目当てに襲い掛かってきたのはそちらではなくて? 矛盾しまくりですの!」
「口は残念だけど腐ってもリャナンシーか、術はそこそこだ」
「伊達に歳は重ねていませんのよ、私からすれば貴方は蒙古斑の消えないお子ちゃま同然です……。なのに今一歩上手くいかない〜〜っ!!」
『カレッサさん、落ち着いて!』
わああんっと頭を抱えながらも術相殺に関して抜かりないカレッサ。彼女はレオの叫びにハッと目を見開くと、繭壁に寄り添い、手を当てた。
レオが戸惑っていると、
「レオくん。私の眼とリンクさせてくださいませんか」
小さな声で提案してきた。
端的かつ小声だったのは相手に悟らせないためなのだろう。しかし、レオは戸惑った。この状況で彼女に“力”を使って、果たして挽回できるのか。
『それより相手の視界を混ぜた方が早くないっすか!?』
「シャッフルされて術が変なところに飛んだら、あの子も無事では済まないでしょう。電波を回復させてGPSさえ復活すれば皆様にお伝えできますの。術の継ぎ目とそれぞれの式さえ判れば組み変えて後は私が主導権ゲットです。継ぎ目が、レオくんにならバッチリ見えてますでしょ?」
『で、でも』
――なぜカレッサさんはこんなにも僕の“眼”に気を……?
いつもより少し強引な気がして、まだ彼は躊躇していた。しかしカレッサは揺らがない。
「ご安心なさって。貴方の眼を焼くことは決して無いわ」
そういう心配じゃないんだけど、と思った時、レオを包む繭に衝撃波が激突した。『わあっ!?』振動はあったが、他は全く影響はない。繭は平然と綺麗な球体を保ったまま、何事もなかったようにレオを包んだまま浮遊している。
だがカレッサは血相を変えて相対する術者を睨んでいた。驚くほど険しい、初めて見る表情だ。
「レオくんをガチ狙いしましたわね!?」
「人の大事なものは狙いたくなるでしょ」
「私が捌くのが間に合わなかったのが一番いけないけれど、許しませんわよ」
カレッサはこの状況においても相手の身を案じていた。……レオが攻撃されるまでは。
その彼女の声から一切の情が落ちたのを傍らで聞いたレオの額に更に汗が滲んでいく。
――これがうん百年生きた貫禄、なんだろうか。
許さない、という言葉に見合った行動へと、カレッサは動いた。
「貴方の術、私が捻じ伏せて抉じ開けて差し上げます」
呟くとともに妖精が掲げた左手から、眩い白色の光が溢れていく。光は蝶の形を成し、空間中に広がっていった。何も知らなければ美しい光景だ。しかし、レオの眼が見る場合、それだけで済まない。
蝶は、敵が必死に保持する空間を手当たり次第に貪り、代わりにカレッサの力を継ぎ接ぎしていった。千切られた空間から血のように力の残滓が滴り、それを無理矢理に妖精の魔力が埋め尽くす。その影響は空間を通し、術者の元へと届く。
形勢逆転、どころではない。相手は吐血しながら頽れた。
「常に力を注ぎ維持しなくてはならない術を私相手に使ったのがいけませんの。おかげで食いたい放題です。どうです、心を削ぎ取られる感覚は?」
「っ……ぐ……」
カレッサが倒れこむ術者へと近づいていく。距離を詰めれば詰めるほど相手は血を吐き、痙攣した。今すぐにでもカレッサたちを捕らえている空間術を解きたいところだろうが、それをカレッサの光が妨害する。浸食された術は、術者当人のコントロールを受けられずにいた。当初与えられた“維持せよ”という命令式のまま、術者の精神力を引きずり出し続け、蝶の餌となるだけ。
「こんなことをせずに済むチャンスはいっぱいあげましたのに。レオくんを傷つけようとするから。レオくんを巻き込んだだけでなくその命まで脅かそうとするから。レオくんに汚く触れようとするから。貴方がいけませんの。お陰で私は手当たり次第に貴方の命を食い散らかして差し上げるしかなくなりましたのよ」
『命を食い散ら……えっ!?』
「名も知らない術者の異界人さん。貴方のハート根こそぎ絞って、浮上に利用させていただきますの」
――カレッサさん、キレてる!?
容赦ない彼女の豹変ぶりに、ようやっとレオの思考回路は追いついた。
普段の温厚で老若男女種族問わず友好的で博愛主義として過ごす間の抜けた、しかし暖かくて微笑ましい妖精の影は欠片もない。
『カレッサさん、待ってください! カレッサさん!』
その姿が、どうしようもなく嫌だった。いつもの彼女にどうにか戻ってほしかった。
――身勝手な想いかもしれないけれど、カレッサさんに、こんなのは似合わない。
――きっと、カレッサさん自身も、後悔してしまうようなやり方は。
レオの義眼がふわりと輝く。
『落ち着いてください、カレッサさん!!』
叫ぶや否やレオはカレッサの眼をハッキングした。先に彼女が口にしていた“術の継ぎ目”をそのまま映し、
『これで闇雲に攻撃しなくて済みますよね!?』
有無を言わせぬ口調で訴える。
妖精は呆気にとられたようにレオを見つめている。
「……え、ええ。ありがとう、レオくん」
『まだハックは慣れてないんで、不備あるかもですけど……!』
視界にクリアに映し出される空間術、レオの切迫した声。主に後者が、どす黒く染まりつつあったカレッサの思考を晴らした。
床に転がり、自身の術から伝わるダメージのために意識を失うことすら許されない異界人。
その異界人を蝕む、悪食の蝶。
合致しない性質の力を無理矢理捻じ込まれ、拒絶反応を起こし続ける空間。その拒絶すらリャナンシーの念が捻じ伏せているために、あらゆるものが悲鳴を上げている。
酷い有り様だった。
「ごめんなさい。異界の方。レオくん」
カレッサが再び手を掲げると、蝶の侵食は止んだ。義眼の力を借りて、的確に術式を読み解き、継ぎ目からそっと伝令を変えるための力を注ぐ。空間術を侵食するのではなく、出来うる限り同質の力へ此方が近づけたもの。同時に、吸い上げた生命力を宿主へと返す。痛めた体を眠らせるための術と共に。
荒れ狂っていた力の奔流は一変し、優しく穏やかな流れとなって空間を包み込む。
「掌握完了ですの。このまま浮上しますわ。それまで力をお借りしますの」
『は、はい。……あ、よかった電波来てます。これで連絡も出来ますね』
レオの義眼は好調だった。それなりの時間、カレッサの指示通りに術の継ぎ目を見続けていたものの、浮上後、無事仲間たちと合流したのちも、熱を持ったり痛むことは無かった。
……異界人は、似たような手口で誘拐を繰り返していたそうだ。未解決誘拐事件の犯人を捕まえたのは結果的にお手柄ということで、想像以上にすんなり収まった。
カレッサは自身の至らなさや、今回明らかに自身をターゲットにされたことたちを酷く悔やんでいた。俯き、「申し訳ありませんでした」と呟き続ける姿は、親に叱られた子のようにあどけなく映った。
「まあ、秘密結社とは言っても恨まれたり知られたりは多いから気にすんなって。珍しいこっちゃねーよ。このぐらいで凹んでたらもたねーぞ」
「はい、気を強く持ちますの……」
ザップの言葉に、カレッサはやはり俯いたまま頷いた。明らかに元気がない。
術者同士の激戦を目の当たりにしたレオは、彼女が疲弊しているのだろうと予測した。
「カレッサさん、術使いまくって疲れたんじゃないですか。俺を守りながらだったから尚更……。休んだ方が良いですよ」
「でも、色々起きたことを説明しなくてはですの」
「それは俺も見てましたから、俺が話しときます。オッケーです」
「……ありがとう、レオくん」
優しく、しかし強く告げられ、カレッサはゆっくり頷いて返す。
「ゆっくり休んでくださいね」レオの言葉を背に、彼女はすうっと宙を滑るように移動し、テントの中へと引きこもった。
……ようやっと一人きりになったカレッサは、ふらりとベッドへ倒れ込んだ。我慢していた疲労・負荷・諸々のダメージが体中で騒ぎ出す。一度は自分の一部へ変えた力を再度取り出し元の形にして返すというのは、捻じ伏せる以上の労力を要する。更に、宣言通りのレオの義眼が持つ負荷を引き受け――防御の繭を介して簡易的な回路を作り試みた――、彼の瞳がどれほどの神的存在との契約に在るものかを全身で今まさに思い知っていた。
両手で顔を覆い、ゆっくりと深呼吸を繰り返しながら、今日のことを思い返す。
レオの前で自分を抑え切れなくなったこと。惨たらしい術を行使したこと。その醜い自分をやはりレオが抑えてくれたこと。案じてくれたこと。
優しすぎるレオの強さに、カレッサは自分の未熟さをますます思い知る。余りに尊くて暖かな彼と自分を比べる時点でおこがましいのかもしれない。無駄に月日を重ねてきただけの自分などと。
「眼の反動、ちゃんと全部引き受けきれたかしら」
――せめてそれだけでも為せていなければ、彼に報いることが出来ない。
小さな呟きと一緒に、彼女の瞳から赤色混じりの涙が伝い落ちていった。