この妖精は特別お間抜けである。前編
 軋むベッドの上にカレッサは横たわっていた。酷くお腹が空いていた。種族の特性と運命を真っ向から否定して精気を吸わずに過ごしていただけならともかく、その不足分を補うための食事が出来ずにいた。
 どうしてかというと、彼女は今、捕らわれの身だからである。
 非力な彼女には、両手首をぎっちりと縛る紐すら千切れない。最初は腕を引っ張ったり紐に噛みついたりしてみたが全く歯が立たなかった。いくら人外特殊能力所持者とはいえ、カレッサはゲームで言うところの魔法使い系、それもかなり腕力に不安があるタイプだ。人間ですら何とかできそうな手の拘束を、彼女はどうにもできない。
 勿論浮くことを防ぐため、鉄球付きの足枷も取り付けられてある。紐と違い、足枷には特殊な術式を丹念に重ねがけしてあった。枷に触れている箇所から、体内を侵食し力を奪われていく感覚がする。長い鎖の先、床でのっしり鎮座する鉄球に関しては、単純な重しとしての機能しかないようだ。

「おなかすいた……」

 ひもじくて、情けなくて、視界が霞む。カレッサはひとりめそめそと泣いた。
 何処で情報がどう渡るか知れないのがこの街だ。そして、いつ谷底に真っ逆さまな危険へ巻き込まれるのかも。
 カレッサが捕まったことに関しては、正直、彼女自身が油断しきっていたせいだ。見たことのない異界人に声を掛けられ、「綺麗だね」だとか何とか褒められただけで舞い上がって、ホイホイついて行ってしまった。入り組んだ路地を進み、怪しげな香り漂う店へと引き込まれ、いかにもな官能的雰囲気を察して“これは危険かもしれない”と思った時には遅かった。
 あれよあれよという間に複数人に囲まれた彼女は、両手を縛られ、足枷を付けられ、この部屋に放り込まれたのだった。
 薄暗い照明しかなくとも、目に痛い配色のこの部屋が、それらしき行為に及ぶような空間として作られたものだというのが判った。

「今夜は皆さんでお食事会だからって、5日前からご飯食べてなかったのは明らかに失敗でしたの……」

 そこに、拘束を解こうと暴れたせいもあって無駄な体力を消耗してしまった。術を使おうと念じた先から足枷に力を吸われるせいで、唯一人並み以上である術者スキルも発揮できない。連絡ツールは当然没収されているし、テントという名の自室でランダムに他所の空間に繋がる扉を試作して抜け出してきたものだから、誰もカレッサが捕まったことなど知りようもない。ちなみにその扉はというと、ランダム試作品なだけあって、街中に出た途端すっかり消失した。
 兎にも角にもいえることは只ひとつ。
 ――全てカレッサの自業自得だ。

「ううっ……。レオくんと食べたホットドッグが最後の晩餐になるなんて……美味しかったですの……。ああ、でもその後にK・Kさんとチェインさんとお茶会してたし、でもでも途中でお二人ともお仕事入ってしまったから最終的にロンリネスでしたけれど、その時に頂いたマフィンが最後かしら……。こんなグタグタのお間抜け妖精、もうこれは道端のゴミの方が処理されて自然に帰る分まだ役に立ちますの……。残念な私にもやれることは無いかと呆れや哀れみを飲み込みながら徐々に死んだ目になりつつ色々提案してくださったスティーブンさん、あの大きな手で器用にパソコンやスマホを操りつつご指導くださったクラウスさん、ごめんなさい、本当にごめんなさい……。ああギルベルトさん、でも私ちゃんとお片付けはしておきましたの。ツェッドさん、水中でも見れるようにお作りした万華鏡は例の場所に置いておきましたから……ってここで言っても届きませんの。ああそうだ、ザップさん……ザップさんには……ザップさんに……ええっと…………いつも通りお元気でお過ごしください……。それから――……」

 思いつく限りの知り合った人々の名前と思い出をぶつぶつと呪いのように溢しながら、ベッドに突っ伏してカレッサは泣き続ける。ローズさん、ジャックさん、その他諸々どこでどう知り合ったかはともかく本当に様々な名前を挙げていた。名を呟くと同時に蘇る思い出で満身創痍の心身を癒しつつ、この先何が起きるかは考えないように目を逸らし続ける。
 故郷で引きこもり生活をする以前も人間に捕まったことはあった。その際、非力な彼女は“手段を選ぶ余地なく”術の限りを尽くして逃げたことも最近思い出した。
 ……それが今や、時代は随分と変わったものだ。人智を越えた存在の技術を、人智の範囲内で使い回せるアイテムに落とし込むことが出来るようになったとは。

「レオくん……。いっぱい『気を付けて』って言ってくださったのに、ごめんなさい……」

 気を付けたつもりで全然出来てなかった。
 まず扉が一方通行で閉じるとは思わなかったし(後に攫われる羽目になったので今思えば閉じて良かったのだろう)、気を付けなくてはと思いつつちょっぴり友好的に接してもらうだけで相手に気を許した己の甘さをひしひしと痛感した。
 今頃みんなはどうしているだろう? テントから出てこないな、あの妖精。故郷でも職場でも結局アイツ引きこもりだなあ、とか思っているのだろうか。
 ――昔はもう少し上手に色々出来ていたはずなのに。
 腕が鈍りに鈍って、このザマではどうしようもない。胎児のように蹲って膝を抱え、冷たい足枷に触れる。やはりこれに触れていると力が出なくなるようだ。指先からエネルギーを吸われていく感覚がして、すぐに手を離す。代わりに自分の膝を抱えて、そこに顔を押し付けて泣く。
 せめて最後に――自分の大好きな人たちのことを抱き締めておけば良かった、とカレッサが後悔に打ちひしがれていると、部屋の扉がすうっと開いた。慌てて身を起こした妖精は、部屋の隅へ行こうとして鉄球に引っ張られてつんのめる。結局、ベッドの端に寄るのが精いっぱいだった。
 入って来たのはコートと帽子で外見をすっかり隠した客らしき人物が二人、それと従業員が数人。カレッサが人外であることを警戒しての複数人態勢なのだろう。客の様子はうかがい知れないが、周りの男たちは楽しそうに笑って彼女を指さした。「これがリャナンシーかよ」「前にライブラの連中と歩いてたって本当か?」「見掛け倒しも良いトコだ」種族や外見は様々ながら、彼らに共通しているのは、カレッサをこの部屋に監禁した犯人であるということ。

「とにかく見た目はイイし、変なことしようにもあの魔導封印具でしっかり抑えられちゃってるから非力な女の子と変わらないよ」
「……非力な女の子……」
「そう言われてブツ噛み千切られるのも珍しくないこの街でか」
「ウチはそこんとこしっかりしてるのが売りよ。信じられないならいっぺん騙されたと思って試してみるのがイチバン。あの怯えようが嘘に見えるってんなら護身用に使っとくかい?」

 従業員の一人が細長い機器を客に差し出す。「これ打っときゃ少なからず抵抗は出来なくなる」説明からして、良からぬものである気はした。お願いだから受け取らないで、とカレッサが胸中で祈ったのが届いたのか、客はその機器を押し返した。

「そんなもんに頼らなくたって女を手懐けるぐらい朝飯前だ」

 ……途端、従業員の差し出した注射器が音もなく真っ二つになり床へ落ちる。何が起きたのかを相手が理解するより早く、注射器を差し出していた手も真っ二つに切れた。ぴっと散った赤い血が壁に、床に、線のように残る。「え、あ、え? なに?」呆然と男が指の落ちた手を見つめていると、顔面に客の蹴りが直撃した。痛みに叫ぶ間も与えられず、従業員その1は昏倒する羽目になった。
 ――何事ですの!?
 その間に客のもう一人がカレッサの傍へと歩み寄って来ていた。反射的に体を強張らせたカレッサに、客は帽子と上着を脱ぎ捨て、

「遅くなってすみません」

 彼女にとって、馴染みある正体を露にした。
 透き通るような肌、人間でも異界人でもない特異な出生をそのまま形にしたようなライブラのメンバー。

「――ツェッドさん!!」

 カレッサは喜びの涙を溢しながら、彼の名を叫んだ。
 ツェッドは答える代わりに、血法の槍で彼女の足枷から鉄球を切り離した。足枷も、といきたかったが、矛先を光の障壁が弾く。駄目か、と呟いてから彼はカレッサを見た。

「動けますか?」

 頷きながらカレッサは立ち上がる。が、消耗の激しい体ではそれすら難しく、すぐにふらついてベッドへへたり込んでしまった。
 ぼんやり輝く足枷を見たツェッドは、次々と店員を倒す元・客……帽子もコートも脱いで切って捨てた兄弟子・ザップを振り返った。

「案の定術式が仕込んであります。枷自体は切れません」
「めんどくせーが鍵必須か」
「ザップさん!! どどど、どうして斗流コンビのお二人が!?」
「イイ男ってのはイイ女のピンチが本能的に判るもんなのよ」

 一通り暴れ終わったザップは、煙草を銜えながらカレッサに向き直る。

「お前がいなくなったってのに一番最初に気付いたの俺だからな。大いに感謝しろ」
「その後にオーラ辿ってこの場所炙り出してくれたのはレオ君ですけどね」
「そのレオだって俺様がカレッサ消えたの気付かなきゃこのハイスピードで探さなかったろーがよ! ったく、ツッコミ入れる余裕あったら早よ鍵探すの手伝えや! どーせこのボンクラ共のこった、クスリ持ってるなら足の輪っかの鍵も持ってるだろ」
「さっき店員が自ら吐いてたじゃないですか、妖精の枷は希望とあればすぐ外すって。多分アレでしょう」
「とりあえず周りの女の値踏みでそれどころじゃなかったんですぅー」
「何しに来たんだか……全く」

 何だかんだ言いながらザップはしっかり見るところは見ていたようで、「お、発見」すぐに足枷の鍵を見つけてくれた。
 クズだとか最低だとか罵られることが多かれど、彼はとても仲間思いなのである。それを上回るほどあまりに残念な言動が多くてそこが目についてしまうが、悪い人ではないのだ。
 ――だからってまるきし信用するのは危険ですからね!
 いつだったか、レオがザップについてそう語っていたことをカレッサは思い出していた。
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