事案に次ぐ事案、怒る
 姿を消したカレッサの声だけが、チェイン、レオ、ツェッドの耳に残っていた。その呟きのみが置き去りにされた、と言った方が正しい気がする。
 人通りが多く、どこへ迷い込んだのかカレッサはなかなか見つからない。そんな中、レオの“目”は、しっかりとカレッサのオーラを辿っていた。リャナンシー全てがそうなのかは知らないが、少なくともカレッサのオーラは他の種族と全く異なる色として義眼へ移るのだ。

「カレッサさんこういう時だけ本当に早っ……!」

 程なくして彼女の居場所を見つけ走り出したレオに、チェイン、ツェッドも続く。

「余計な機動力あるわね、あのお転婆ったら!」
「同感です」

 ――カレッサは、何やら揉めている異界人たちの後を追って横路地へと入り込んでいた。

「何をしてますの?」

 常識的に見れば恐らくカツアゲか何かだろう。二人組の異界人が、自分らより一回りも二回りも小さな異界人を囲んで睨みつけている。だが何も知らないカレッサはカツアゲだと気付かず、異界人たちが反応してくれないことに少しばかり寂しくなり、先程より大きな声で、より近くで訊ねた。

「なーにしーてまーすのっ!?」
「っるっせぇな!!」

 振り返ったカツアゲ組は、カレッサを見下ろして動きを止めた。その隙を突いて彼らの標的となっていた人物が声を押し殺して逃げ出す。「あ、行ってしまいましたの」申し訳なさそうに呟くカレッサをまじまじと見つめた後、カツアゲ組はすぐさまターゲットを彼女へ変更した。

「俺たちなりの友好関係を築いてる最中だったんだよ、よくもまぁ邪魔してくれたな」
「ごめんなさいな、でもあのお方、とても恐ろしいことに出くわしているような顔をしてらっしゃったから気になって。……無知で申し訳ありません」
「そう言われてもな、邪魔されたことは変わらないんだよなぁ……どう詫びてくれるんだ」
「お詫びですの……? ど、どうしたら良いんでしょう。私に出来ることがあったらおっしゃってください」
「そうだなぁ、慰めてもらえっかなぁ。嬢ちゃんみたいに綺麗な人に慰めてもらえたらきっとこの心の傷も癒えるんだけど」
「慰めればいいのですね! 慰める、慰める……えっと……どうやって……?」
「まぁそんな悩まなくても、俺たちの要望に沿ってくれりゃいいだけだから」

 無防備なカレッサにカツアゲ組の一人が手を伸ばそうとしたとき、追いついたレオがカレッサの腕を引っ張った。軽いカレッサの体はすんなりとレオの方へ導かれ、異界人の手は空を切る。
 引き寄せたカレッサを庇うように異界人との間に割って立ったレオが叫ぶ。

「カレッサさん、いきなり離れちゃだめだって言ったじゃないですか! よりにもよってカツアゲ現場にカチコんじゃうなんて!!」
「レオくん……。ご、ごめんなさいですの」
「危ないから動くときは――」

 カレッサへの注意を優先して此方を振り向いたままのレオの背後に、異界人の振りかざした拳が迫ってきていた。
 反射的にカレッサはレオを引っ張った。だが彼女の質量ではレオを完全に引き寄せるのは難しい。

(レオくんが殴られてしまう――!)

 それだけは何としても避けなければならない。急いた彼女は反射的に浮遊していた。
 レオを引き寄せるというよりは後方へ押しやり、入れ替わりで浮いた自分が前方へと身を乗り出す。そうすることでレオを拳のリーチから外へ追いやった。流れでそのリーチへカレッサの体が入り込み、レオに当たるはずだった拳が当然カレッサへ直撃する。
 背中から強烈な衝撃と痛みが生じ、カレッサの手はレオから離れ、彼女は驚くほど大きく吹き飛ばされてしまった。
 まさか異界チンピラたちもカレッサが突然拳の前に現れたり、常人の質量や重力をまるで無視した動きや吹き飛び方をするとは予想だにしなかった。唖然としたまま、飛んでいくカレッサを見つめている。
 ……痛みのあまり泣きながら吹き飛んでいたカレッサの体は、不意に停止した。ぽすん、と柔らかな感覚がして、何かに受け止められたのだと気付く。

「カレッサ、無事!? ……じゃないわね!?」
「チェイン、さん」

 自分をしっかり抱き留めてくれたチェインの顔を見上げて、カレッサはまた泣いた。痛みは依然として強烈だったが、それ以上に安堵が勝る。抱きかかえたカレッサの背中を擦りながら、チェインはゆっくり着地した。
 ちょうどそこにはツェッドの姿もある。ますますカレッサは涙が堪え切れなくなってしまった。

「うぅっ……ご、ごめんなさっ、げほっ」
「大丈夫ですか、カレッサさん!?」

 嗚咽と、背中を強打した衝撃とで、カレッサがむせる。
 それを見てツェッドが血相を変える。
 レオは異界人が呆然としている隙に、吹き飛んだカレッサを追って来ていた。
 どたばたとしてしまったが、ひとまず全員集合だ。
 カレッサたちのもとに合流したレオは、酷く焦った様子で捲し立てた。

「カレッサさん骨とか大丈夫ですか!? モロに拳背中に入ってましたよ!? 案の定顔色ヒドイじゃないですか! どうしてあそこで前に出ちゃったんですか!!」
「レオくんが殴られるの、絶対、見たくなかったですの……」
「俺は慣れてますから、そんなの!」
「慣れちゃだめです、そんなの、っうぅ……!」

 大きく咳き込むカレッサの顔は真っ青だ。無理もない。見た目と重量通り彼女の体は脆いようだ。

「元は、私の、落ち度ですの……。灸をすえられた、と、思えばいいですの」

 カレッサはゆっくりとチェインから離れ、宙を浮いた。まだ顔色は冴えないが、その瞳に静かな怒りが宿っているのを確かにチェインは見た。
 カツアゲ異界人のツーマンセルが此方へと近づいてくる。逃げるより先に追いつかれそうだ、とツェッドがそっと臨戦態勢へ移った。しかしそれをカレッサは止める。

「ツェッドさん、バトることはありませんの。平和的に、行きますの」
「原因が何であれ、カレッサさん、あなたは理不尽な理由で殴られたんですよ。平和的解決を断ったのは向こうです」

 ツェッドは譲らなかったが、それ以上にカレッサが頑固さを見せた。

「ええ。流石に私もむかっ腹立ちましたわ。私たちの大切なレオくんを、優しいレオくんを殴ろうだなんて。おまけにあの人たちは友情を確かめ合うのではなくカツアゲをしようとしていただなんて。だから……」

 ホバリングするように揺蕩っていた彼女の動きがぴたりと止む。

「あくまで平和的に、少しばかり、頂戴いたします」

 その言葉を合図に、カレッサは猛スピードでチンピラ二人の間へと突進していった。レオたちの制止を振り切って。
 ……レオの“目”はその時、カレッサのオーラが大きく膨らんだことに気付いた。膨らむオーラは、彼女が手を伸ばすのに続いて大きく横へと伸びていく。そして――カレッサの手が、オーラが、チンピラへと触れた。片頬を僅かに撫でられた二人のチンピラは、瞬間、バッタリと倒れ込んでしまった。
 何が起きたのか理解できず、レオたちはすぐさま倒れたチンピラたちを確認した。勢いよく急に倒れた割に、どちらも大層幸せそうな笑みを浮かべて涎を垂らしている。まるで何かの薬でもキメた後のようだ。

「カレッサさん……。何したんですか」
「血気盛んな“才”に注がれていた精気を頂戴して、別の“才”に注がせていただきましたの」

 レオの問いに、カレッサは幾分ましな色を取り戻してきた顔を向けて答える。

「暴れん坊な性格にばかり集中していたエネルギーを、僅かばかり残ってふよふよしていらした勤勉な性格へと方向転換いたしましたの。一時的に、少しばかり頂戴してから調整するので、その名残でお二人とも眠ってらっしゃいます。起きたらしばらくはカツアゲの代わりにゴミ拾いをして歩く好青年に変わりますの」

 笑うカレッサに、三人は呆然とした。彼女が能力を行使する瞬間を見るのは初めてだったのだ。恐らくライブラ内で自分たちが一番最初の目撃者であろう。
 害はない。能力を行使する者が悪意さえ持たなければ。そういう力だ。
 すんなりあっさりとリャナンシーの性質を目の当たりにし、スティーブンの告げた“監視対象”という意味が改めて染みてきた。

「……いろいろ聞きたいことが出来ました。早めに戻った方が良いですね」

 ツェッドの冷静な提案に、レオ、チェインは静かに頷いた。
 重苦しい雰囲気にカレッサは酷く不安げだったが、「帰りましょ」とレオに手を掴まれると、大人しく地に下りた。

「カレッサさん、そんなに怯えなくて大丈夫ですよ」
「でも私……」
「僕が殴られそうになって、あとカツアゲが許せなくて、怒ってしたことなんですよね。方法は良くないのかもしれないけれど、その気持ちは有難いです」

 レオの言葉に、カレッサは安堵したように頬を緩ませた。涙ぐんでいるところを見ると、心底怯えていたらしい。
 チェインとツェッドも、ふっと笑った。

「チンピラ気質をボランティアに矯正なんて、そんな便利な能力があるならぜひともアレに使ってほしいわね」
「ああ、確かに良いかもしれません。そうでもしないとあの下品の塊は変わらないでしょう」
「ザップさんが真面目に仕事し始めたら逆に薄ら寒いですよ。あ、そだカレッサさん。酷かもですがカツアゲは日常茶飯事なのであまり気にかけすぎるときついっすよ」

 穏やかに話し始めるレオたちを見て、カレッサは改めて救われた思いがした。
 ――この街はちょっぴり怖いけれど、とても素敵なところですの。


○ ○ ○


 一人でふらついたこと、怒りのあまり能力を使ってしまったことはスティーブンらから注意を受けたが、最終的にはやはりレオのように優しく諭されて終わった。カレッサは半泣きで、はい、はい、と何度も頷いて答えるばかりで、溢れんばかりの感情が零れださないようにと必死だった。
 ……昔からカレッサは、『如何に他者の生命を脅かさずに自身の能力を行使できるか』という方法を探ってきた。その結果はレオたちがその目で見て判断してくれた。カレッサの努力は実を結んでいた、と。
 おかげで然程叱られることも無く、今まで通りにのんびりとライブラの一員と過ごすことが許された。彼女自身、元からリャナンシーの力を積極的に行使しようという意識がないのも大きい要因だ。
 だがこの日以降、能力の幅、自身の術士としての力などを、カレッサは少しずつはライブラへ伝えるようになった。
 それは、必要とあらば命懸けの戦いにも参加するという彼女なりの意思表明。説明が少しずつなのは、彼女自身、どれほど自身の能力を弄って変えてきたか思い出すまで時間を要するから。

「ちょっとでも私の能力が使える時には幾らでも。その為にも、今後はもっと積極的に私のことをお話していきますの。頑張ります」
「そうか……」
「そりゃあ心強いよ」
「ですので……クラウスさん、スティーブンさん、今度一緒にお出かけしましょう!」
「反省してるかい君」

 ……やはりまだまだ世間知らずで危機感の足らないところは改善の余地がありそうだ。
 能力を明かしても尚受け入れてくれる他種族の仲間の存在にすっかり舞い上がるリャナンシーを見て、人類二名は苦笑するばかりだった。


▼リャナンシー・カレッサの妖精能力
『接蝕 ―コンタクト―』
 触れることによって相手の精気へ干渉する行為。精気をそのまま奪ったり、相手がエネルギーを注いでいる対象を変えることによる一種の人格操作・矯正などが可能。才能を開花させるのも、相手の精気の方向をこうして変えてやったり、時に引き出して増強させ注ぐことによるものと思われる。無意識下で生命活動自体に影響を及ぼさないようにこれらを行うのはリャナンシーの性質に反しており、カレッサの接蝕は異端の象徴でもある。
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