事案:彼女は〇〇てない
 カレッサは、外出許可を難なく頂戴することが出来た。ただし“決して一人で行動しないこと”という条件付きで。
 そんな条件をつけなくとも、常に他種族とくっついていたい彼女のことだから、単独行動なんて言い出さないだろう。寧ろ出来る限り多いメンバーで多くの場所を巡ったり多くの時間を過ごしたい――そんな性格である。実際に今もチェインと繋いだ手を片時も離さずに歩いているし、その後ろをのんびりついて歩くレオとツェッドのこともこまめに振り返りながら様々な話題を振ってくる。カレッサはお出掛けを存分に堪能していた。
 チェインもまた、久方ぶりの同性との時間を楽しんでいた。普段ならば隠密活動に精を出しているチェインがこうしてカレッサの世話をしているのは、スティーブンからの命令である。彼女自身がカレッサに興味を抱いているのも事実だったから、気を遣われたような気がした。チェインは先刻聞いた「楽しんでおいで、二人とも。護衛付きだけど」という優しいスティーブンの台詞を思い返し、ひっそりと笑んだ。

「あっ、チェインさんの今の微笑みとってもキュートでしたの」
「み、見てたの?」
「美しいチェインさんの姿へうっかり見惚れてしまってましたから。普段の冷静沈着な感じも素敵ですけれど、今のスマイルも大好きですわ、私」
「あー……えっと、あ、ありがとう?」
「どういたしましてですの!」

 人懐っこい犬猫のような調子で、カレッサはチェインへ返す。咄嗟にチェインは後ろの二人の様子を確認したが、「あー女子同士ならではのキャピキャピ感ありますねー」「キャピキャピ……?」「なんていうか、キャピキャピとしか言いようないっす。女子特有のキャッキャとした感じです」「ますます迷走してきたような」大丈夫だ。チェインのうっかり警戒ゼロスマイルを見たのはカレッサだけである。何故か変なところでカレッサは鋭い。聡い。届かなくていい場所にまで目が届く。それだけ他者との接触に飢えていたのか、はたまた別の理由か因果か。当人に問いかけるより先に此方が質問攻めに遭うし、うっかり危なっかしいことをしそうになるところを止めてやったりしなくてはならなくて、それどころではなかった。
 ――一応、どっさり遺産残してくれるほどの恋人がいたリャナンシーなのよね?
 実際に昼食も「一緒にお出かけしてくださるお礼ですの!」とその遺産もとい仕送りで奢ってくれたから、間違いなく確かな話だと思う、のだけれども。
 こうして接していると、とてもそんな御大層な存在に見えない。
 カレッサから受ける印象は、幼子の好奇心を持ったまま、擦れることなく無垢な状態を極限まで維持し成長させた大人。モラルに関してはゲスにまで博愛を貫かんとするほど発達しており、その疑うことを知らない性格は世間知らずともいえる。
 一言で言えば“この街には全く向かない人種”だ。
 それで言えば後ろにいる、両目以外は全く普通のレオについても若干そうなのだが。
 生き物は向かない環境に惹かれる性質を持っているのか、向かない環境が向かない生き物を飲み込みにやって来るのか。
 チェインは溜息をつきつつ、カレッサの手を握り直す。普段宙を浮いて移動するカレッサだが、今日はしっかりと地に足を付けて歩いている。やや覚束ない足取りの為、足がもつれたり転んだりしそうになるたびにチェインが助けていた。といってもカレッサの体はとても軽く、風船を引っ張って戻す要領で手を引いてやると大抵事なきを得る。徐々にカレッサもカレッサで歩き方のコツを掴み始めたから、補助の回数も自然と減っていく。
 浮く、というワードから、チェインはハッと我に返った。
 自分に課されているミッションはカレッサのお守りだけではない。もう一つ、重要なミッションがあるのだ。そしてそのミッションを果たすべく、自分はカレッサの手を引いて歩いている。
 思い返したチェインの目は自然といつものクールな光を宿した。

(今日、私は……カレッサに下着を買わせなきゃいけない)

 ――事の発端は、常に宙を舞うというカレッサの行動であり、大事にしたのはこの場にいないザップであった。
 とある昼下がり。ライブラの事務所内をふわふわっと漂うカレッサを見て、レオが何となしに呟いた。

「カレッサさんってふわふわ浮いてますけど、疲れないんですか」
「この方が慣れているものでして……。地面に足をつけない訳ではないのですけれど」

 ほら、とカレッサは床に降りてみせた。だが、「浮いている方が楽でもありますの」とすぐに宙へ戻ってしまった。彼女の裾を引きずらんばかりに長い衣装などからしても、浮いていた方が何かと都合がいいのだろう。またふわふわと浮遊を始めたカレッサを、ソファーに深く座り込んで全身を預けているザップが見つめている。……数秒して彼は何か思い立ったように腰を上げると、カレッサの背後へと回った。彼女はザップの視線よりやや高い辺りの空間をふわふわしている。
 そんな彼女の長いスカートの裾をザップは――

「あ、やっぱり穿いてねぇ」

 無造作に摘み上げ、中を覗き込んだ。
 ギャラリーが凍り付くなか、ザップは淡々とその感想を告げる。

「ふわふわ浮いて前方の丈はギリギリな割に術かなんかでギリギリ隠してるからよー。ちょっち判りづれぇけど服越しに見てた感じ“穿いてないな”とは思ってたんだよ。やっぱり当たったわ。そういう趣味?」
「趣味というか下着を身につけるという習慣がそういえばなかったですの。こうやって引っ張られでもしない限り見えることはないので」
「成程ナルホド……絶景ですな」

 無論すぐさま我に返ったギャラリーの手によってザップは仕置きされ、カレッサはひとまず浮遊を止めてソファーへと座るよう指示された。

「……カレッサさん……。は、穿いてないんですか」
「ええ」

 カレッサが何かしでかした時、カレッサが何かしたい時、その他諸々とにかくこういう場面で彼女へ問うのはいつの間にかレオの係となっていた。そのレオの問いに、カレッサはにこやかに頷く。そしてレオは頭を抱えた。

「ま、まさかそんな落とし穴があったなんてぇ……!」
「今までずっと穿いてなかったの!? カレッサ、ず、ずっと!?」
「穿く必要性がないんですもの」
「今しがた穿く必要性が出てきましたよ!?」
「チェインさん、ツェッドさん、落ち着いてくださいな。下着のひとつやふたつ」
「まるでそんなちょっとお菓子多く食べちゃった子供を見るみたいな穏やかな顔で言われても」
「レオくん、でも私、別段下着が無くて困ったことございませんの」

 だから現段階で周囲が困ってるんですけど……! というレオの叫びは胸中に留まるのみで、軋まんばかりに噛み締める歯が痛みそうになってきた。
 この調子だと「ちょっと出かけてきますの」「どこへですか」「トイレですの!」なんて風に、いちいち要らない報告が来たり、逆に必要なアレソレが無かったりしそうだ。まだまだ世間知らずリャナンシーへ教えるべきことは沢山あるらしい。
 そんなカレッサへ、チェインとK・Kを中心に皆(ザップ除く)で説得し、説明した結果、この「お出掛け」が実現したのである。世間知らず妖精のお守り・事案再発防止下着購入という二つのミッションをチェインが抱えたのもそういう訳だった。
 ザップがスカートめくりを実行した際、図らずしてその「中」を目撃してしまったことへ申し訳なさや何やら抱えた挙句カレッサにひたすら謝罪していたリーダーもきっともう落ち着いた頃だろう。招集さえなければ買い物についていきたかった、と嘆いていたK・Kも、次の機会にしようと踏ん切りをつけているだろうか。
 ――遂に辿り着いたランジェリーショップ。流石にここへ男どもが入る訳にもいかないので、レオとツェッドは店の外で待つことになった。

「さて、ちゃっちゃと買ってきますか」
「ですの!! レオくん、ツェッドさん、ちょっと待っててくださいね」
「いってらっしゃいです」
「ごゆっくりどうぞ」

 男性陣を置いて、女性陣が颯爽と店内へ入る。
 世話を一手に引き受ける羽目になったチェインの気苦労はなかなかのものだった。ショップ内でキラキラと目を輝かせてカレッサが様々な下着たちに目移りする、店員にまで興味を抱いて抱き着いて感触を確かめようとする、果てにはチェインの分まで買おうと言い出す……などなどの暴走を抑え込み、チェインは彼女の為の下着をいくつかセレクトし、てきばきと会計を済ませた。
 想像以上に早く出て来た二人を見て、レオとツェッドが目を丸くしている。

「早かったですね……」
「もう済んだんですか?」
「あんまり長居したら店員全員を連れまわしたいとか一緒に遊びたいとか言い出しかねないから」

 ――ああ、確かに。
 嬉しそうではあるが若干名残惜しそうにショップを見つめるカレッサを見つめ、二人は納得した。
 ひとまずこれでミッションはクリアーしたも同然だ。チェインの肩の荷が少しばかり下りた。
 だがお出掛けではしゃぐリャナンシーが、世間の全てを珍しがるリャナンシーが、珍しいものだらけのこの街でこのまま大人しく何も事を起こさずに済むはずが……無かった。

「あら、何でしょう、あれ」

 そんな呟きと共に、忽然とカレッサが消えたのである。
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