ソバを食して恥をかく

 面白い話を聞いた。
 遠い島国・日本では、新年を迎える際にソバを食べるのだという。ソバは長く伸ばした生地を細く切って作る。その過程から「長寿」だとか「末永く健康に」だとかイメージがつき、とても縁起のいい食べ物らしい。更に切れやすい麺なため、「新年を迎える前に今年の厄を断ち切る」という願いが込められているという。
 なんと素晴らしい行事か。というかそのソバってどんな麺なんだろう食べてみたい。
 ……兎にも角にも強く興味を惹かれた俺は、早速ソバを作るための材料や道具を揃え、一か月ほどソバ作りに精を出した。一か月しか用意できなかったのだ。ほぼ一か月前に存在を知ったから。無駄な長生きをしただけの狼男と罵られてもあの時の俺ならば「仰る通りです」とそんな趣味もないのに甘受していただろう。
 ――ソバの道は甘くなかった。
 最初の内は妙に粉っぽかったり、バサバサでお世辞にも美味しいとは言い難い若干ソバの味をした別の何かになったりした。悲しくなって全部纏めて潰して、一緒に取り寄せたアンコを包んで焼いたら美味かった。一瞬そっちを本命にしたくなるぐらい美味かった。だがそんな誘惑にも打ち勝ち、俺は何とか自分自身でソバを打てるようになった。亀の甲より何とやら、だ! 天使狩りよりよっぽど苦労したけれど。
 次はソバを食べるためのメンツユ作りだ。此処はかなり簡略化した。ソバ打ちに精を出し過ぎた。ソバをなめ切っていた俺の至らなさである。肝心なところで間抜けなワンちゃんと嘲笑されても「返す言葉がございません」と目を伏せただろう。大事なことなので改めて言うが、俺にはそんな趣味はない。……とまあ、メンツユも本当ならば鰹節から醤油に至るまでしっかり極めて作りたかったが、日本にある万能の粉末ダシを使った。これが物凄く美味い。日本人は凄まじい! この細かなツブツブの中に、あの手間暇かけて取るダシを閉じ込めたのだから! この粉末ダシのお陰で、ツユ作りは滞りなく終わった。余談だがこのツブツブダシはパスタとも相性抜群だった。俺の中に新たなるマリアージュが刻まれた。
 天ぷらも上手く揚がった。揚げ物は大得意だ。フライの仲間だと思えばどうということはなかった。……というのは全部強がりだ。フライと天ぷら、同じ揚げ物でも全く毛色が違う。なんでだ、どうしてだ。もう半ばヤケになり悟りに至り始めた頃、ふと感覚を掴んだ。一瞬だけ。なのでほぼフライな天ぷらで終わった。
 ネギは少し苦手だが、薬味程度に少々頂くぐらいなら問題ない。寧ろ年越しのためのソバにはネギが欠かせないという。ちょっと苦手だから食べません、などと子供のような言い訳が通じようか。日本には物凄い数の神様がいるというから、怒らせては大変だ。けれど……日本の食べ物は美味いし現地の人も親切だったから、多分神様もそんなに怖くはないよな?

「という訳で出来たぞ」
「へぇ、これがソバね」

 まあ、それで、当然のようにベヨネッタとジャンヌが俺の部屋にいるわけです。
 もう慣れた。

「もう俺はベヨネッタが部屋にいても驚かなくなったよ、ジャンヌ」
「災難だなアルヴァレス」

 ジャンヌはちゃんと来る前に連絡をしてくれるからお迎えの用意ができるのだが、ベヨネッタはまさしく神出鬼没……って、いつも同じことを俺は愚痴っている気がする。いけない。同じ話を繰り返すのはもっと老け込んでからで良い! 髪の毛が真っ白になってからだ!
 ともかく三人分のソバが出来上がった。これを新年が来る前に食べきる、らしい。食べるタイミングは日本でも様々らしく、俺はとりあえずソバを夕食にするつもりで作った。魔女と狼男が日本の料理を囲むという奇怪な絵面も完成した。
 そういえば、ソバの食べ方について大事なことを思い出したので二人に告げる。

「この麺料理は、音を立てて食べなくてはならないそうだ」
「あら、はしたない」
「ベヨネッタ、お前がそれを言うのかい」
「どういう意味かしら」
「何でもございません」

 明らかに委縮する情けない俺。これでも狼男なんだ。ただちょっと女性に対して弱いんだ。比喩とかではなく、本当の意味で。
 俺とベヨネッタを他所に、ジャンヌはじっとソバの盛られたどんぶりを見つめて悩んでいる。

「音を立てて、か……。なかなか難しそうだな」

 彼女たちに箸を渡しながら、俺は言う。

「日本人いわく、勢いよくズズッと、らしいぞ」
「箸なんて使えるかしら」

 言いながら完璧に箸持ってるじゃないかベヨネッタ。……ああ、ジャンヌも大丈夫そうだ。
 もちろん俺も、彼女らよりお兄さんなので箸は使える。おじさんでも良いが内心で見栄を張る分には誰も咎めはしないだろう。
 和食にも以前から興味があったが、こう本格的に――メンツユはともかく――取り組んだのは初めてだ。
 
「よし、じゃあ新年をさっぱり迎えるため、年越しソバを早速食べよう。……いただきます」

 律儀に俺に倣って「いただきます」と一礼した後、二人はソバを食べ始めた。
 ……こうして見つめていると、二人とも幼い頃の面影が確かに残っている。どうも音を立てて啜る、というのが俺たちの地方では無い習慣だから、揃って苦戦気味だ。あの魔女がソバに苦戦だなんて、レアな瞬間ではないか。
 俺もソバを啜る。一か月のソバ打ち特訓のお陰か、難なく音を立てて啜れ――っ、まずい、今変なところに入るところだった! ああ焦った。本当に歳だろうか……。筋トレもしているし食事にも気を遣っているんだが……だからこそ夜中の食事を控えると決めたし……。
 そもそも俺たちの平均寿命ってどのぐらいなんだ? 色々と習う前に群れを離れざるを得なかったせいで、俺は狼男としては特殊である。多分、自分で薬を調合したり、魔女と交流を持っている人狼なんてそうそういないだろう。呪術で人狼になろうとして中途半端な呪いに体を蝕まれ、苦しむ人間もいる世の中だ。純潔の人狼自体、いなくなりつつある。俺の群れが壊れたように。
 ――おっと、せっかく今年の災厄を断つためのソバを食しているというのに湿っぽくなってしまった。
 ズルズルと、思い切り音を立てて麺を啜る。たまに変なところに入りそうになりつつも、そこまでメンツユを飛ばすことも無く食い切った。途中で投入した七味唐辛子……。コイツが思った以上に辛かったが。
 ベヨネッタとジャンヌは、

「そんなに辛い?」
「そこまで辛いか?」

 と、大して衝撃を受けることなく唐辛子を味わっていた。ああ、そうだね。俺が甘党なのは自覚している。
 三人でソバを食べ終え、俺は片付けにかかった。十分に腹も休めたし、今から粗方片付けて後腐れなく新年を迎えたい。
 そんな俺に、ベヨネッタが微笑みながら告げる。

「なかなか美味しかったわよ、ワンちゃん」
「それは良かった。けどワンちゃんは止めてくれベヨネッタ」
「片付けぐらいなら私が手伝おうか?」
「いいよジャンヌ。客人なんだから寛いでいてくれ」

 洗い物を進める俺の背中に、魔女の視線が突き刺さる。これは……ベヨネッタのものだ。

「なんだかアルヴァレスはジャンヌに甘いんじゃない?」
「ベヨネッタ、お前が俺を困らせることばかりするからだ」

 だから必然的に叱ったりすることが多くなるだけで、決してジャンヌを甘やかしている訳ではない。俺は二人を平等に、我が子のように愛しているつもりだ。
 だがベヨネッタは大袈裟に悲しがってみせる。

「小さな頃はあんなに可愛がってくれたのに、酷いわオジサマ」
「ちょっと語弊生むような発言を控えてくれたら良し良ししてやるよ」
「子供じゃないんだからそんなので満足できると思う?」

 わざとだと、大袈裟にしているだけだと判っていても、悲しまれたら正直辛いし、意味有り気な眼差しには混乱動転したりするというのに。それすら計算なのだろうけれど悔しいなあ。
 色々堪えて、俺は嘆息した。

「そういうとこだよ、そういうところ……。俺はそういうのが不得手なんだ、だから戸惑って反応がもたついたり固まったりするだけで」

 洗い物を終え、俺はベヨネッタとジャンヌに向き直る。

「昔から俺は、お前たちをあやしてたあの頃から、二人の幸せを願ってきている。二人とも可愛い娘同然なんだ! だから俺はどっちがどうとか、優劣をつけていることは決して無い!」

 ――そう言い切った瞬間、外の通りから「ハッピーニューイヤー!」という大歓声が聞こえてきた……。
 呆然とする魔女二人の視線。
 その視線によって、今しがた俺が発言した事の重大さというか、恥ずかしさに気付く。

「っ、がああっ! やってしまった!!」

 二人の前では静かで頼れるのんびりとしたお兄さんでいたかったのに。
 なんてことを。お前はまるで父親か、と言いたくなるような暑苦しい言葉だった。血縁どころか大きなおおきな種族の壁が俺たちの間にはあるというのに。何という醜態を晒してしまったのだろう、俺は……。
 俺と彼女たちは、本来ならば相容れることのない存在だ。俺が異質故に、そんな異質な俺を彼女たちが受け入れてくれたが故に、こうしていられるだけ。彼女たちの慈悲あってこその、危うい繋がりなのだ。そのバランスを壊しかねない発言をしてしまった。
 しかも、せっかくの新年から、だ。

「……すまない。変なことを言った。気持ち悪いことを言ってすまなかった」

 そうして茶でも用意しようと力なく項垂れた俺に、まさかの言葉が向けられる。

「……照れちゃうわね」

 耳を疑い、顔を上げる。するといつもよりほんのり赤い頬をしたベヨネッタが、にっこり笑って俺を見ていた。
 彼女の隣に座るジャンヌも、白い頬を赤くさせて、頬杖をつきながら笑っているではないか。

「アルヴァレスは面と向かってそういうことを言ってくれるタイプではないと思っていたからな。私も照れ臭い」
「でも、ちょっと痺れちゃったわ。今のアルヴァレス、真剣ですごくイイ顔だったわよ」
「ふ、二人とも……。家族でもない男にあんなこと言われて引かないのか?」

 思わずそう尋ねると、二人は心外そうに答えた。

「私たちの間柄って、そんな安っぽいものじゃないでしょう」
「お前が私たちを大切に想っていることは、ずっと昔から判っているよ」

 新年早々、俺は泣きそうになっていた。
 ……今更、俺は改めて“独りじゃない”ということの有難みを噛み締めていた。
 最初は独りが怖くて、俺が加わることのできる“輪”を求めてだったかもしれない。しかし俺が幼いベヨネッタとジャンヌと過ごしたのは、間違いなく本心から“彼女たちといたい”と選択したからだった。俺がいることで二人が笑ってくれるならば、ずっといよう。そしてその笑顔を守ろうと、そう心から誓えたからだ。
 ――その約束を、不甲斐ない俺は果たせなかった。彼女たちを襲うものたちに、俺は敵わなかった。それでも命だけは失わなかった。
 あの災厄から、こうして彼女たちに再会できたことだけで奇跡だというのに、彼女たちはいまだに俺をその“輪”へと迎えてくれる。

「私たちもあなたが大切なのよ、アルヴァレス」
「じゃないとわざわざ会いに来たりしないさ」

 もうそれ以上は我慢が効かなくて、俺は二人の元へ駆け寄った。
 ベヨネッタとジャンヌ、二人とも纏めて抱きしめる。流石に立派なレディになった二人を腕の中に収めることは叶わなかったが、十分だ。その成長がたまらなく嬉しい。

「二人とも、本当に有難う。生まれて、生きていてくれて有難う」

 ああ、歳だな。すっかり涙腺が緩くなっている。
 大の男を、ベヨネッタとジャンヌは二人がかりで抱き締め返してくれた。
 そうして俺は感慨にひたった。
 ……しかし、空気は一瞬で一転する。

「こんなに熱い抱擁をされちゃったら、勘違いしちゃうわよ」
「それとも勘違いして欲しいのか? 魔女ふたりに」
「すまない有難う、失礼した」

 俺は慌てて二人を解放し、ハーブティーの準備に戻ったのだった……。
back

- ナノ -