ハルジオン

 わたしは、人と関わるのがとにかく苦手だった。
 デュエルの実技も緊張してしまって相手の顔が見れなくて、頭がパンクしそうになって、ずたぼろ。
 だから何とか勉強だけは頑張った。勉強だけは、誰にも文句が言われないように。
 アナタはきっと強くなる、と先生は励ましてくれた。けれど、この性格が直らない限り絶対に無理だろう。直ったところで、わたしなんて……。
 本当なら、せっかく覚えたことをいっぱい使って、みんなと色んなデュエルをしてみたい。
 でも、やっぱり無理だ……。

「わたしみたいだね、あなたは」

 校舎からそれなりに離れた、人通りの少ない場所。
 人目をしのぶように咲いている花に、わたしは話しかける。
 背が高くて、小さな白い花が、ささやかに揺れた。珍しいわけではない、よく見たことがある花。可愛い花だけど、名前が思い出せない。
 わたしは、しゃがんで花と向き合った。
 カバンの中から水の入った小さなペットボトルを引っ張り出す。この花への水やりは、わたしの小さな楽しみだった。
 確か小学校の頃に調べたんだけどなぁ……この花の名前。

「なんて言ったっけ、この花……」
「ハルジオン、だ」
「あ、そうだ。ハルジオ……ン……」

 ――え。
 何、今の低い声。
 わたしはゆっくり振り返った。
 ――え!?
 わたしは目を丸めた。あっという間に身体は熱くなって、多分顔も赤い。
 だって、一生関わることが無いだろうと思っていた有名人が、わたしの目の前にいたんだから。
 丸藤亮。このデュエルアカデミアで、彼を知らない人はいない。カイザーの異名をもつ、トップクラスの存在。
 わたしにとっても、それはそれは憧れの先輩で――。
 だからこそ、尋常じゃないショックがわたしの体を貫いた。

「りょ、亮、先ぱっ」
「大丈夫か? 顔が真っ赤だぞ」

 亮先輩がわたしを心配してる?
 うそ?
 というか何で此処に先輩が?
 なんで?
 足に力が入らなくって、わたしはぺたりと地面にお尻をついた。体が震える。わたしの手から滑り落ちたペットボトルが、水を撒き散らしながら転がっていく。
 し、死にそう。緊張とか全て超越したなにかで死にそう。
 なんて綺麗な顔をしてるんだろう。こんなにかっこいいひととわたしは、本当に同じ人間なの?

「おい、本当に大丈夫か?」
「ひっ……!」

 亮先輩がわたしの顔を見ながら手を差し伸べてきた時、遂にわたしは限界を迎えた。
 身を翻して、両手で地面を押して、何とか立ち上がる。わたしはそのまま駆けだした。一度すっころんだけど、痛いのを我慢してまた立って走った。振り返るなんて怖くてできない。とにかくひたすら寮まで走った。
 頭がガンガンする。緊張しすぎて心臓が痛い。足はまだがくがくしてる。ずれた制服のスカートを引っ張って直しながら、何回も呼吸を繰り返す。
 あの亮先輩に、あんな至近距離で、話し掛けられた。

 その出来事の衝撃は、わたしから睡眠さえ奪い、翌日になっても薄れることは無かった。
 ――おまけに、わたしは学校に遅れてしまった。
 遅刻してまで行ったのに授業には身が入らず、ズタボロだった。あんな一回の偶然にここまで振り回される自分が悲しい。
 そうして長い1日をようやく乗り切る。一緒に話す友達もいないわたしは、ちくりと痛む足を無理やり動かして教室を飛び出した。
 向かうのは校舎の外れ、ひとりぼっちのハルジオンが揺れている場所。
 昨日水をあげそこねた上に、ペットボトルも置きっぱなしのはずだ。回収しなきゃいけない。
 そう思って向かったそこには、何故か先客がいた。
 深い緑の髪に、あの白い制服。こちらに背中を向けて屈んでいるけれど、判る。
 ――亮先輩だ。
 わたしは息が詰まるような錯覚を覚えた。なんで? どうして先輩がまたここに?
 緊張でまた頭がくらくらしてくる。震えが止まらない。
 でも、ハルジオンが。
 あの子に、水を。
 ひとりぼっちの花に、わたしは。
 なのに足は動かない。
 カバンを抱えてわたしは俯いた。
 ごめんね、ごめんね。
 心の中で謝りながら、わたしはぎゅっと両目を閉じた。

「――どうした?」

 わたしの体はびくっと跳ねた。
 おそるおそる目を開ける。ゆっくり、顔を上げる。
 いつの間にか亮先輩がわたしの目の前に立っていた。
 息が完全に詰まる。緊張で赤面しながらも、わたしは亮先輩から視線をそらすことが出来なかった。

「花を見に来たんだろう? 今日もしっかり咲いてるぞ」

 踵を返しながら、亮先輩はわたしを手招きした。
 ここで逃げたら、多分わたしは一生おかしな奴としてあのひとの中に記憶されてしまう。昨日の時点でもうやばかったけれど。
 わたしは先輩のあとについていって、花のもとに辿り着いた。
 何故か地面は花の周りだけ濡れている。そして花のそばには、空のペットボトル。昨日わたしが落としていったものだった。

「あれ……?」

 わたしが首を傾げたのを見て、先輩は言った。

「昨日、ペットボトルを落としていっただろ」
「は、っ、はい」
「水が入っていたから、もしかしたら花のために持ってきたんじゃないかと思ってな」

 どうやらつまり、亮先輩はわたしの代わりに花へ水をあげてくれたらしかった。しかも今日の分もきっちり。
 あのカイザーがお花に水やりだなんて、何だか凄く微笑ましい。

「あっ、あ、あのっ」
「ん?」
「あ……ありがとう、ございます……み、水……っ」
「ああ、気にしないでくれ。昨日のお詫びだと思ってくれればいい」

 昨日のお詫び、というのがいまいちよく判らない。
 もしかしたら、わたしが逃げ出したのを、先輩は自分のせいだと思っているのだろうか。
 そんな、どう考えたってわたしのドジなのに。
 先輩がわたしの膝を見た。昨日転んだときに擦りむいた場所だ。慌ててわたしは膝を抱えて、その傷を隠した。

「き、昨日のは、わたしがっ、だめなだけで」

 わたしが馬鹿みたいにあがり症なだけで、先輩は何も悪くないんです。
 そう言いたいのに、言葉は喉の奥に引っかかって出て来ない。
 あああ、先輩。そんなに凝視しないでください。ますます声が固まってしまいます……。
 わたしが目線をふらふらさせていると、亮先輩は苦笑した。

「君が人と話したりするのが苦手なのは、知っている」
「えぇぇっ……?」
「実技が出来ない点以外は、とても優秀な生徒だとも聞いている。有名だからな」
「うぇぇぇっ!?」

 優秀ってなに!? 少し噂に根や葉がつきすぎだと思う。みんなの前では恥ずかしくてデュエルができないから、実技は別にやってるだけで、先生が気を遣ってくれてるだけで、別に、そんなこと……。
 わたしはまた軽いパニックに陥っていた。
 そんなわたしの横で、亮先輩はハルジオンを指先でつつきながら話す。ハルジオンはふらふらと揺れた。

「判っていたのに、俺が気を遣わなすぎた。昨日はそのせいで怖がらせてしまったし……、その……」

 急に亮先輩は口ごもった。
 まさかわたし、先輩の気に障るようなことをしてしまったんじゃ。どうしよう。謝ったほうが良いかな?
 声をなんとか絞りだそうとしたけれど、何故か視界が霞んでダメだった。慌てて目をこする。我慢しないと。泣いちゃだめだ……。
 震えを堪えながら、わたしはもう一度、必死に声を絞り出そうとした。

「わた、わたしがいけないんですっ……、みっ、みっともない姿、お見せしてっ。先輩は悪くないですっ!」

 こんなに長い言葉が言えたなんて奇跡だ。
 亮先輩のことを見れなかったけど、これがわたしの精一杯だった。

「……ありがとう」

 笑みを含んだ、優しい声。反射的に顔を上げて亮先輩を見たら、小さく笑っていた。
 体が燃えてるみたいに熱い。腰が抜けてしまった。わたしは先輩から逃げるように両手で地面を押してずりずりと離れた。腕にもうまく力が入ってくれない。
 先輩が目を丸めてわたしを見ている。その視線から逃れるようにわたしは膝に顔を埋めた。
 もう無理。死ぬ。わたし死ぬ。心臓が痛い。熱い。燃え尽きる!

「……1つ、良いか」

 先輩の声に、思わず体が震えた。

「は、はい?」
「……また、見えそうだ」
「えっ!?」

 顔を上げたら、亮先輩と視線がぶつかった。先輩はわたしより先にその視線を逸らした。何故か頬がうっすら赤い。

「その……スカートの……」
「うあっ!?」

 先輩が放った一言に、自分がしでかしている失態を理解した。
 すぐさまわたしは正座した。
頭を抱えながら何回も謝罪を繰り返す。

「すいま、本当にすいませっ、こんな本当に見苦しっ、ごめっ、ごめんなさい!」

 自分が気持ち悪い! どうして神様はわたしをこんな性格にした!? どうしてこうなった! なんでせめてまともな会話能力をくれなかったのか!!
 涙が零れた。
 泣き止め、わたし。これ以上無様な姿を晒して、せっかく目の前にいる憧れのひとに「おかしな奴」と記憶されたら、生きてけない。
 ぐしぐしと無理やり涙を拭って、そのまま顔を上げないで、カバンを探す。幸いなことに近くにあった。
 帰ろう。はやく帰ろう。
 ハルジオンのそばにある空のペットボトルを引っ付かんで、わたしは立とうとした。
 ……けれど、まだ腰は抜けたままだった……。
 気まずい。

「……大丈夫か?」

 不意に上から声を掛けられて、わたしは息を呑んだ。カバンにペットボトルを突っ込んで、こくこくと頷いて返す。
 声が穏やかだったので、そっと顔をあげた。
 苦笑いを浮かべた先輩がわたしを見下ろしている。ゆっくりと、亮先輩がわたしの前に右手を差し出した。

「あ、えっ?」
「……仕方ないな」

 先輩は屈むと、わたしの左手をとった。そのまま先輩に引っ張られる。
 あ、立てた。
 一瞬喜んだのも束の間、左手を包むぬくもりに息が詰まった。
 先輩の手、おっきい……。
 顔を上げたらやっぱり亮先輩がわたしを見ていて、わたしはまた視界が霞んだのを感じた。

「どうしてまた泣くんだ……?」

 先輩が困ったように呟く。

「俺が怖いのか?」
「ち、ちがっ……」
「ならば、どうしてだ?」

 わたしもだいぶ参っていて、その参った頭でわたしは叫んだ。

「せ、先輩が格好良すぎるからっ!」
「え?」
「ただでさえ、話、だめなのにっ、わたっ、先輩が、優しいから……!!」

 思ったよりも早く、視界が鮮明さを取り戻していく。
 目の前にいる先輩は、赤い顔をしてわたしを見ていた。口には出せなかったけど、可愛かった。

「そう、か」

 こんな顔、先輩もするんだ。
 胸が今までとは違う鼓動を刻み始める。

「……また、此処に来ても構わないだろうか?」
「えっ」

 亮先輩は、まだ恥ずかしそうなまま話した。

「俺で良ければ、君の対話の練習相手になろう。なんならデュエルでも……」
「えっ!? え、っ?」
「このあたりなら他の生徒も来ないし、のんびりできるだろ?」

 それに、と先輩は小さく笑った。

「俺も……花のことが気になるからな」

 先輩がハルジオンに視線を落とす。ふわふわ揺れる、白い花。ところどころ花は萎れて、もうすぐこの花の季節は終わってしまうのだろうと判った。

「……駄目か?」
「い、いえっ! そのっ……、嬉しい、です」
「なら良かった。これで俺も気兼ねなく此処に来ることが出来る」

 嬉しそうな先輩の姿に、また心臓が跳ねた。
 ……先輩、花、好きなんだ。
 少しだけ、ハルジオンがうらやましかった。わたしも喋るのが駄目なら、あの子みたいに何も言わない花になりたかったな――。
 そっと、振り返る。
 揺れるハルジオン。
 また明日、とわたしは小さな声で呟いた。

「……あの、先輩」
「どうした?」
「……ずっと、手が……」
「ああ、誰かに会ったら離そう」
「えっ、あぁ……はい、っ」

 一瞬でも“誰にも会いませんように”と願ってしまったのは、いけないことでしょうか――。


::「恋する私と唄う愛」さまに提出。
ありがとうございました

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