亮先輩に呼び出されて、ひっそりと寮から出た。
空には月が浮かんでいて、夜だというのに道がよく判る。少し寒かったけれど、亮先輩に会うことを考えたら、体は熱くなった。
言われた場所にたどり着くと、もう既に先輩が待っていて。わたしは慌てて駆け寄った。
「せ、先輩っ」
「すまないな。いきなり呼び出して」
「いえっ、大丈夫、ですっ」
そうか、と嬉しそうに先輩は笑ってみせる。赤くなるわたしの右手を掴み、亮先輩は早速歩き出す。
何を話したら良いか判らなくて、わたしは先輩の横顔を見つめていた。月明かりに照らされる端整な顔立ちに、心臓がドキドキする。
わたしの視線に気付いたのか、亮先輩がこっちを見た。少しはにかみながら笑って、口を開く。
「そんなに見られると……何だか恥ずかしいな」
「うぁ、す、すいませっ」
「謝るな。別に、嫌ではないんだ」
何時もよりドキドキしてしまうのは、夜だから? 別に、変な意味はないんだけれど…なんとなくそう思った。
歩いてるうちに体がまた冷えてきた。視界が開けて、目の前の半分以上が空になる。
「月、大きいですね……」
「ああ、本当に」
微かに震えるわたしの手を、先輩は静かに握り直してくれた。
口下手な亮先輩と、先輩以上に口下手なわたしでは、いつも会話が続かない。それでも先輩は嫌そうな素振りは見せず、むしろこの沈黙を楽しんでいるようにも思えた。
大きな月を、見つめる。
ここが海に囲まれた孤島なだけあって、時折波の音が耳に届いた。頭のなかが空っぽになるみたいで、不思議な感覚だ。
まるでこうして先輩といるのも夢のよう。幻想的な月の光。
そういえば亮先輩は、どうしてわたしを呼び出したんだろう?
どうやって切り出そうかわたしが迷っていたら、先に先輩のほうが口を開いた。
「俺は、もうすぐこのデュエルアカデミアを卒業する」
どきりとした。
何も言えなくて、わたしはただ先輩の横顔を見つめる。
「こうして傍にいてやることもできなくなると思う。それでも……ちゃんと連絡する。君が俺のことを忘れてしまわないように」
「忘れたり、なんか……しないです」
「そうか……」
先輩の卒業が近いことも、離れてしまうことも、わたしは理解していた。
これからは世界で、プロのデュエリストとして活躍していくであろう先輩。接点なんて、皆無に等しくなる。
それはそれは、胸が裂けるように痛んで、辛いけれど。
「連絡、待ってます。わたしも……します。ずっと応援してます」
「そうか」
「わたしは、ずっと、亮先輩を好きでいます」
たとえば世界のみんなが、あなたの敵になっても。わたしは、わたしを好きになってくれたあなたの味方です。ずっとわたしは、あなたが大好きです。あなたが「迷惑だ」と思わない限りは。
必死に息を吐きながらわたしはそう話した。
話し終えたわたしに、先輩ははにかみながら笑ってみせた。
「……ありがとう」
「うぁ、えと、わたしこそ、ありがとうですから……」
「本当に、ありがとう」
冷えたわたしの体を包みこむように、先輩は抱き締めてくれた。
すごくあたたかい。何だか、涙が滲んできた。
「君がいるなら、俺は俺を見失わないで生きていける」
「せん、ぱい」
「ずっと、一緒だ」
そのときのわたしは、ただただ先輩の言葉が嬉しくて。必死にすがりついて何度も頷いた。
先輩に全て預けて、これから会えなくなるぶん、たくさん先輩の記憶を焼き付けておきたかった。 確かな、大切なこの想いに。
わたしは、いつまでもいつまでも、ゆるぐことのないこの気持ちを。
あなたに――。 慣れない砂ばかりの道は歩きづらい。
異世界というだけあって、雰囲気も違う。それでも、わたしの心は安らいでいた。
「大丈夫か?」
「はい……」
亮先輩が、いつかのようにわたしの手をひいてくれているから。
ただ違うのは、今の先輩の服は漆黒のそれであること。
先輩は、変わった。
その変わりようは、先輩の弟である翔君でさえ戸惑うほどだった。
対戦相手をリスペクトしていた頃とは違う、勝利に食らいつき、勝利を追い求めるその姿に。
それでもわたしは嬉しかった。
いつの間にか連絡さえとれなくなった先輩の姿をまた見れただけで幸せだった。
「君は、変わらないな」
「そう……ですか?」
「ああ、変わらない」
なんだか嬉しそうに先輩が話すから、わたしも嬉しかった。
「先輩だって、変わってません」
「そうか? ……だいぶ変わったと思うが」
「わたしの大好きな先輩に変わりないです」
自分でもびっくりするくらい、はっきりとした声で伝えることが出来た。
先輩も驚いていて、目を丸めてわたしを見ている。不意にその頬を緩めてみせたから、どきりとした。
「……ありがとう。俺は幸せ者だな」
「わ、わたしのほうこそ、ですよっ!」
先輩の笑顔が、なんだか切ない。
「この先何があっても、俺のこの想いは決して変わらないよ。君の想いに、ゆるぎが無いようにな」
先輩のわたしを見つめる眼差しは、これまでに無いくらい優しいものだった。
嬉しくて、いとおしくて、視界が揺らぐ。
先輩にしがみついて、わたしはただただ頷いた。
ああ、このまま、あなたとひとつになれたらいいのに。
あの時みたいに、異世界の空には月が浮かんでいた――。
「楔」さまへ提出。
ありがとうございました