――昼休み。
何やら大きな紙袋を抱えた麻斗が、2‐F教室へとやってきた。麻斗は真っ直ぐに順平の席へ近づいてきた。
「順平くん、今日も病院行く?」
それからこそこそと、小さな声でそう質問してきた。
順平がこくりと頷く。
それを見た麻斗は、ぱあっと顔を輝かせると、順平に件の大きな紙袋を差し出してきた。
「中身、スケッチブック。チドリちゃんに渡してくれ」
「え?」
「前に順平くんが話してたゴスロリちゃんが、チドリちゃんだろ? あの夜ん時に怪我さしたかもしれん罪悪感がどうもな。そのお詫びに」
敵っぽいのにお詫びってのも変かぁ、と麻斗は苦笑いを浮かべた。
驚いている順平に、麻斗はその表情のまま淡々と告げる。
「ストレガのジンっていたろ」
「あ、ああ」
「俺さ、夏休み前にモールでジンくんに会ってたんだよね」
順平が目を丸めた。
笑いながら麻斗は続ける。
「それからも度々会って、たこ焼き食べたりなんかもしてた。あの満月の時に鉢合わせた時はびっくりしたよ」
「オマエ……」
「何かもう、言いようなくショックでね。順平くんも今そんな感じなのかと思ったら俺、混乱しちゃってさ。とりあえず渡してくれな」
スケッチブックを受け取ったまま固まる順平に、麻斗はわざとらしくはきはきした口調で話した。
「あ! 渡すときに俺のこと喋っちゃだめだぞ」
「お、おう! ありがとな」
「いやいや、頑張ってな順平くん。じゃあね」
大袈裟なぐらいの笑顔を浮かべたまま、麻斗はそそくさと教室を後にした。言うだけ言って、相手には何も言わせないような強い勢いで。
もちろん順平が何か訊ねる暇など、無かった……。
◆◆◆
放課後の麻斗は、ポートアイランド駅前広場で暇を潰していた。
ベンチに腰を下ろす彼の隣には、袋がひとつ。その中から、鮮やかな暖色系で揃えられた花の鉢が顔を覗かせている。最近の寮内の暗い雰囲気を少しでも紛らわせられたら、という麻斗の考えの結果がこれだ……花を飾る、だった。
しかし花には詳しくはないので、店員に「明るい花」を聞いて、勧められるがままにガーベラを購入した。この先、寮内が明るくなるまで美しさを保てるかどうかは、世話をする麻斗の手腕にかかっている。
「あんまり水やらなくて良いとは言ってたけど、育てやすいとは言ってなかったよな……」
とりあえず帰ったら風花に育て方を聞くことにしよう。
買ったものの飲まずじまいの炭酸飲料の缶を鉢の隣に突っ込み、麻斗はゆっくり立ち上がった。
その時だった。
「――待てシンジ!」
聞き覚えのある声だ。間違いなく真田のものである。
麻斗が視線を巡らせると、思った以上にすぐそばに彼……真田の姿はあった。
真田は、険しい表情で荒垣に詰め寄っていた。
「聞いたことだけはある。ペルソナの制御がうまくいかない場合、無理矢理押さえ込むクスリがあるとな……。お前も使っているのか!?」
「声がデケーんだよ」
荒垣は真田を振り切ろうとするように、早足で歩いていく。だが真田は引き下がらない。荒垣以上の早足で距離を詰め、迫る。
「副作用はもう出てるのか」
「テメェに話す義理じゃねぇ」
嫌な雰囲気だ。理由は判らないが、喧嘩であることは判る。
麻斗は悩んだ。
割って入って止めるべきか……。そうそう入り込んでいける雰囲気でもない。だが――ここでずっと見ているのも、気分が悪い。
ガーベラと炭酸飲料の入った袋を抱え、麻斗は二人に歩み寄った。
なおも二人の口論は続いている。
「キサマはいつもそうだ、そうやって……」
「テメェの言い分なんざ判ってんだよ。力があるのに使おうとしねぇ……そういう半端なのが気に食わねえんだろ? 聞き飽きたぜ、この正論バカが……!」
荒垣が言い切らぬうちに、真田は――左拳を思い切り振り抜いていた。
がっ、と鈍い音が響く。
荒垣の頬が、真田の拳をもろに受けて立てた音だ。
見事な一撃だが、それに体勢を崩さず耐える荒垣も荒垣である。
麻斗は思わず立ち止まった。
今までに見たことがない真田の激昂に、驚きが隠せなかった。
荒垣が再加入してからの真田の様子は、誰が見ても嬉しそうだった。荒垣のことを嬉々として語る真田と、そんな真田をたしなめつつも見守っているふうである荒垣。
誰から見ても“親友”という言葉が似合っていた。
だからこそ、この激しい喧嘩には相当な理由があるはず。
(だとしたらコレは……俺が入ってって良いレベルなのか?)
っつうか、聞いちゃいけないもの聞いて見ちゃいけないもの見た気分なんですけれど。
がっくり肩を落とし、麻斗は俯いた……のだが。
「――何してんだ」
無警戒の鼓膜に触れてきた低い声に、思わず跳ね上がるところだった。
恐る恐る、麻斗は顔を上げる。
荒垣がいた。先ほどの真田との喧嘩で殴られた跡が、腫れが、しっかりと右頬に残っている。見ていて痛々しい。
慌てて周りを見渡してみると、真田は既にいなかった。
麻斗は、真っ白な頭を必死に回転させた。
「は、花、買って、ました」
「何ビビってんだ。らしくねぇ」
「よ、予想外の喧嘩見たからビックリしたんです!」
「見てたのか……」
ばつが悪そうに荒垣は目を細めた。
そんな荒垣を見つめ、麻斗はハッと何かを思い出したように口を開いた。
「荒垣さんっ、顔、冷やした方がっ」
いそいそと袋からジュース缶を引っ張り、荒垣に差し出す。
しかし荒垣は素っ気なく視線を逸らしてしまう。
「要らねえよ。テメェで飲め」
「良い! 飲まないから!」
何故か必死な麻斗の様子に、仕方なく荒垣は缶を受け取った。
赤くなった頬に早速缶を当てる。じんわりと冷たい。思い切り殴られたために口の中が切れたらしく、血の味がした。
要らないとは言ったものの、麻斗の気遣いは正直助かった。
喧嘩の剣呑さはすっかりなりを潜め、荒垣は穏やかな眼差しで麻斗のことを見下ろしていた。
「悪ぃな」
「いえ、ずっと前のお返しってことで」
「……ああ、あん時のか? もう別に良いだろ」
「あはは、そうですかね――」
――きゅるる。
麻斗が笑うと同時に、そんな音がした。
会話が止まる。
固まる麻斗。
目を丸める荒垣。
何とも言えない沈黙が続く。
荒垣はじっと麻斗を見つめた。
間違いなく今の不思議な音は、麻斗の方から届いてきた。それを確かめるかのように、ひたすら静かに彼は後輩を見つめ続ける。
……視線に耐えかねたのか、麻斗がゆっくりと自分の腹を押さえ、こう白状した。
「腹、減りました……」
赤くなって素直にそう告げる麻斗に、荒垣は思わず吹き出した。