赤く無垢な眼差し
「死ぬ……」

 予期せぬ夏期講習の存在に、順平はぐったりうなだれていた。テーブルに突っ伏し、口から魂でも出そうな意気消沈ぶりである。
 向かいに座る奏夜は、どうでもよさそうに順平を見ていた。
 奏夜の隣に座る麻斗は苦笑している。

「まあ、あと3日だろ? 頑張ろうぜ」

 麻斗の励ましに、順平はゆっくり顔を上げた。恨めしそうなその眼差しに、麻斗は思わず肩を跳ねさせる。
 不意に順平は、テーブルをばしばし叩きながら訴えた。

「うるへー! バイトで講習すっぽかした奴に言われたくねーっ!!」
「あ、明日から俺も行くって話したじゃん!」
「知るかー、ばかー!」

 子供のように叫ぶ順平の気持ちも痛いほど判る。夏休みに学校で勉強しよう、と言われて喜ぶ人間の方が珍しい。
 しかし順平の場合は、普段の成績からして仕方ないようにも思える。
 麻斗は苦笑するしかなかった。

「だってさ、シフトの都合上ね? 一足先に盆休みとった人いたから、俺出るしかなかったんだよー……」

 呟く麻斗と不満そうな順平に、それまで黙っていた奏夜も口を開く。

「麻斗はズル休みした訳じゃないし、桐条先輩たちにも相談した上でのことだったんだからさ」

 まあな、と順平は素直に彼の言葉に頷いた。

「バイトもバイトでしんどいだろうしな」
「それに麻斗は順平ほど成績に不安無いからね」
「一言余計だっつの!」

 わめく二人を生暖かい目で一瞥したのち、麻斗は視線を落とした。
 そこには1匹の柴犬が行儀良く座っている。珍しいアルビノの柴犬で、輝く赤い瞳が麻斗を見上げていた。
 先日神社で保護されたコロマルである。怪我もすっかり治り、元気に復活した姿を確かめると、麻斗はひっそり胸を撫で下ろした。

「騒がしいでしょ、そのうち慣れるよ」
「ワン!」

 麻斗が手を伸ばして彼の白い毛並みに触れると、コロマルは気持ちよさそうにすり寄ってきてみせた。
 コロマルの首には、少しごつごつしい首輪がついている。麻斗たちの召喚器と同じで、ペルソナ召喚を補助する役割を担ったものだ。
 つまりコロマルは、新たな特別課外活動部のメンバーなのである。
 麻斗は最初、コロマルの加入に否定的であった。

『俺は反対ですよ、コロマルにまで戦わせることないじゃないですか!』
『麻斗、君が幾ら抗議してもこれは決定事項だ。アイギスが代弁してくれたように、コロマルの意志でもあるしな』

 コロマルが望んでいると言われてはどうしようもない。
 麻斗が口ごもると、美鶴は麻斗に聞き返してきた。

『君もどうしてそこまで反対する? コロマルは戦力にならないと――』
『そういう話じゃない! ……です、よ』
『……そうか』

 美鶴はそれ以上言及せず、結局麻斗も諦めた。しかし今でも、コロマルが戦いから身を引いてくれたらと思っている。

「コロマル、無理しなくて良いんだよ? お前が戦うこと、無いんだよ?」

 麻斗の言葉は判らずとも、意味はしっかりコロマルにも伝わったようだ。
 コロマルは強い声でワンと吠える。麻斗を見上げるその瞳に揺らぎはない。
 ……戦う意志を曲げるつもりは無いようだ。
 これ以上は、コロマルに失礼かな。
 麻斗はそう考えて、気持ちを切り替えるように笑みを浮かべた。

「――よっしゃあコロマル、散歩いくかー!」
「ワンワンッ!」

 がらりと変わって明るく宣言した麻斗に、コロマルは千切れんばかりに尻尾を振りながら答えた。
 そして、いまだに言い争う友人ふたりを余所に、一人と一匹はのんびり寮を出て行ったのであった。

「あんなんじゃ天田くんに笑われても仕方ないよね」
「ワンッ」

 麻斗とコロマルの足取りは、軽やかであった。
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