コロマル好きたちの迷走
「くっそおおお! 何故じゃあああああっ!!」
「修行が足りねえな、麻斗」

 頽れる麻斗、勝利の笑みを浮かべる荒垣。そしてご飯を平らげ満足そうなコロマルと、隣に屈むアイギス。何とも奇妙な光景に遭遇した天田は、思わず首を傾げた。

「何があったんですか?」
「麻斗さんと荒垣さんが勝負をしたのであります」

 アイギスが天田を見上げ、答える。

「どちらがよりコロマルさんを満足させるご飯が作れるか、男同士の本気のマジバトルです。勝敗はご覧のとおりであります」

 丁寧に返した手のひらで麻斗と荒垣を指し、アイギスは告げた。すると再び「くそー!」と麻斗は呻く。

「幼少期からスーパーやホームセンターで犬用おやつや缶詰、フードに記されている材料を観察・吟味し必死に記憶し、精一杯貯めた小遣いをはたいて手作りドッグフードの本を買い、研究と練習と試行錯誤を重ね、今は亡き愛犬と共に頑張ってきた経験が俺にはある……! そして共に過ごすうちに理解していったコロマルの嗜好を考慮し、完璧なドッグフードを作り上げた筈だ! だというのに……! 先輩は、そんな俺をあっさりと凌駕したっ!!」

 熱い語りは、此方には知りようのないはずの麻斗の努力の光景を鮮やかに想像することを可能にさせるほどだった。
 周囲の客や店員の視線をものともせずひたすらペットフードコーナーに居座る姿。本当は流行りのゲームを買いたいところをグッと堪え、値の張るレシピ本を抱えてレジに向かう姿。寮にいる間、これでもかと言わんばかりにコロマルと遊び呆け、試しに作ったフードを与える姿。それぞれの聞き手の脳裏で、麻斗という人間が犬を中心に駆け巡る。かなり賑やかしい。そしていささか怖い。麻斗のコロマルと手作りフードへの傾倒ぶりは、もはや固執というか執着である。
 しかし、拳を握り締め肩を震わす麻斗を、荒垣はあえて冷静かつ淡白に見つめ、

「いつからテメェの作ったモンが完璧だと勘違いしてたんだ?」

 と、言い放った。
 荒垣の言葉に、麻斗は大きな衝撃を受けた。思い切り振り抜いたハンマーで頭を殴られたような、尋常ならざるそれ。体中をぐるぐると巡っていた悔しさ悲しさ諸々が、一気に霧散していく。代わりに浮かび上がったのは、どうしようもない己の愚かさであった。

「そういう、ことか……」

 麻斗は肩を落とし、自嘲めいた笑みを浮かべる。

「全く訳がわからないんですけど……」
「右に同じであります」

 天田とアイギスの反応は全く正常である。麻斗と荒垣のやり取りが常人には理解しがたいスピリチュアルなレベルに達しているだけだ。たとえば熱血漢の真田ですら、この二人のやり取りには閉口するであろう。
 ギャラリーを他所に、当人たちは盛り上がっていく。

「俺は驕っていた……。完璧にコロマルを喜ばせることができるなどと自惚れていたんだ……。あまつさえ、過去の愛犬の記憶をコロマルに重ねてしまい、俺は……! コタローにもコロマルにもなんて酷いことをしてしまったんだ!!」

 昔飼ってた犬、コタローって言うんだ。そう思いはしたものの、天田は口を開かなかった。この流れに巻き込まれたくないという一心からであった。
 麻斗は、荒垣とコロマルに向かって土下座した。
 そこまでするのでありますか。じっと麻斗を観察しながらアイギスは思った。思っただけで、やはり言葉にはしない。
 涙ぐむ麻斗の謝罪が始まる。

「すまんコロマル! ごめん荒垣さん! だけど俺が、コロマルに喜んでもらいたくて必死に作ったのは紛れもない事実なんだ! コロマルの笑顔が、輝く瞳が見たかったんだよ!」
「そんなこたぁ、俺もコロちゃ……コロマルも判ってる。顔上げろや麻斗」
「荒垣さん……!」

 片膝をついた荒垣は、ポンと麻斗の肩を叩いた。「ほら、見てみろ」先輩に促されるがままコロマルを顧みた麻斗は、思わず感激に震えた。
 コロマルが、荒垣の作ったフードを食べ終え、再び麻斗のフードを食べ始めているではないか。輝く瞳とそのかぶりつき様からして、美味しいことには違いない。

「こ、コロマルぅ……!」

 麻斗の声はどうしようもないくらいぐしゃぐしゃになっている。泣き出す寸前のそれだ。
 そこまで感受性豊かな麻斗に、感心すべきなのか、複雑な感情を素直に表現すべきなのか。見守るしかない天田は沈黙を保ち続けている。
 綺麗に食事を平らげたコロマルは、荒垣と麻斗を見上げた。

「ワンワンッ」
「荒垣さんの飯も麻斗さんのご飯もどちらも大好きだ……と、コロマルさんは仰っています」

 丁寧にアイギスが通訳すると、遂に麻斗の涙腺は決壊した。

「ありがとう、コロちゃあぁん!!」
「ほらな。判ってるっつったろ」
「先輩ありがとうございますぅぅ!」

 男泣きしながら、しかし的確な加減で麻斗はコロマルを抱き締め、何度も撫でた。お腹いっぱいのコロマルは、頭や体を撫でられるたびに「ワフ……」と眠たげな声を漏らした。腹の皮が突っ張ると瞼が重くなるというのは、どの生き物も共通しているようだ。
 それを見て、荒垣は空になった餌の皿を回収した。コロマルを抱きかかえる麻斗に、ダンディな先輩はフッと微笑みかける。

「麻斗、お前はコロマルと一緒にいてやれ。片付けは引き受けた」
「ありがてえ……!」

 麻斗はソファーに座った。抱いていたコロマルを隣に下ろし、優しくその毛並みを撫でながら、麻斗はコロマルと共に夢の中へと入っていったのだった。
 ……天田は、アイギスを見た。

「……何だったんですかね」
「わたしには理解しがたい領域まで、麻斗さんたちの感情は高ぶっていました。天田さんの質問へ、わたしが的確に答えることは困難を極めます」

「まだまだ人間の心には疑問が尽きません」と、立ち上がったアイギスは自室へ歩き出す。今しがた繰り広げられた男たちのマジバトルについて考察をするのか、それとも機械である彼女すら休養を欲するほど圧倒されたのか。天田には見当がつかない。
 ソファーで眠る麻斗とコロマルを見つめ、天田は嘆息した。

「悪い人じゃないのはわかるけど、本当に麻斗さんって賑やかな人だな……」

 言い様のない疲労感を覚えた少年もまた、ソファーに座るなり睡魔に誘われ、深い眠りについた。
 ……その結果、視聴予定だった特撮番組を見逃し、天田はひとり項垂れる羽目になることを、まだ知らない……。
back
[ home ]
- ナノ -