妄想禁止令
麻斗には少し夢見がちなところがある。
流れ星が願いを叶えてくれるんじゃないか。運命の赤い糸は存在するんじゃないか。はたまた自分がもしも何々だったら……。だけどな。
度を越したら、それは単なる妄想だ。
「荒垣さんが知らない女の子と何処か行っちゃいそうだったから……!」
寮に帰ってくるなり麻斗は、捨てられた子犬のように潤んだ目で突進してきやがった。痛ぇ。だが、この目をされると何も言えない。胸が切ないというか、締め付けられるような感じがする。とにかくお手上げだ。
タイミング悪く帰って来たアキや桐条が「お前、そんな奴だったのか」とか妙な誤解をしたのを黙殺して、麻斗の手を引いて寮を出た。
「ったく、勘違いされたじゃねえか」
「すいません……。誰もいなかったから……つい」
すっかり落ち込んだ麻斗を連れて来たのは、長鳴神社。思惑通り、人っ子ひとりいねえ。
俺が手を離してやると、麻斗は黙々とジャングルジムに登った。制服のスカートがひらひら揺れる様は、なかなか良――……雑念を振り切って、俺も登る。麻斗の隣に陣取った。
「――女の子だったらな」
不意に、麻斗が呟いた。
「あ?」
「たまに思うんだ、自分が女の子だったら、って。……さっきもそのせいで、現実と妄想の境が判んなくなってたみたいです」
麻斗は夜空を仰ぎ見た。
“自分が女だったら”
そう呟いた自分の表情がどれほど暗かったか、そしてその呟きがどれほど自分を追い詰めているのか、麻斗は気付いていない。
「女の子だったら、荒垣さんとあちこち出掛けたりだけじゃなく、その気になったら結婚だってできる。子供だって……。いっぱい繋がりができるのになあって」
妄想大会から愚痴大会に移行しそうな気配を感じた俺が口を開きかけた、その時。
麻斗の体が、少しだけ傾き、宙に飛び出した。
――このままだと落ちる!
片手を伸ばし、麻斗の腰を掴んだ。もう片手でジャングルジムのパイプを掴み、踏ん張る。
麻斗が軽かったお陰で、さして疲れはしなかったが…心臓は痛いぐらいに軋んだ。
麻斗を抱えたままジャングルジムを降りる。ようやく麻斗を離してやると、俺はまず……怒鳴った。
「馬鹿野郎が!」
「ううっ」
「あんな不安定な場所でボケてんじゃねえよ」
俺が言うと麻斗は反省したように俯き、小さく頷いた。だが麻斗は急に顔を上げると、半泣きで叫んだ。
「――でも一番悪いのは女の子にホイホイついてった荒垣さんだし!」
「開き直んな。っつぅか、そりゃテメェの頭の中の話だろ。俺に罪はねぇ」
「うぐぅ、その通りですゴメンナサイ」
お前の頭ん中の俺は一体どういう奴なんだよ。お前ほっぽいて何処か行くようなアホなのか?
俺を何だと思ってんだ……。
「だって……想像のくせにすんごいリアルだったし……」
「拗ねんなよ……」
今にも泣きそうな麻斗と視線がぶつかった。
「荒垣さんといたら判ってきた。誰かを好きになるって、綺麗ごとだけじゃいかないものなんだね」
「……だろうな」
俺にも、心当たりが無いわけじゃなかった。他の奴等と比べて、俺が麻斗と接する時間は少ない。嫌な感情が生まれない筈が無かった。
「……自分でも、キャラ変わっちゃったの判る。ヤキモチとか、無縁だと思ってたのに。まさか妄想に嫉妬するほど馬鹿だったなんて……俺……」
正直、俺に偉そうに説教できる権利は無い。
麻斗と俺の違いは、感情を表にだすかどうか。それだけだからだ。
「……それでも良いじゃねえか、別に」
「え?」
「開き直りと切替えの早さは、お前の専売特許だろ」
「……え? え?」
目を丸める麻斗の頭を撫でながら、俺は続けた。
「そんだけ必死に想われてんのも悪くはねえ。だからそんなに自分を責めるこたねぇよ」
形はどうであれ、俺を理由に一喜一憂してくれてんのは嬉しかった。あばたもえくぼ、ってヤツだな。
「ちっとドジ踏んだぐらいで揺らぐほどヤワな気持ちじゃねえからな。むしろ可愛いもんだぜ。しっかり者のお前がこんなに混乱するなんてよ」
「い、意地悪だなぁ」
「自覚してんぜ、そんな事」
赤い顔で抗議する麻斗には、落ち込んでいる様子は無い。もう大丈夫、だな。
「そろそろ帰るか」
「うん。寒くなってきた」
「帰ったらココアでも淹れてやるよ」
麻斗は嬉しそうに頷いて俺の手を掴んだ。
――くだらない話をしてるうちに、あっという間に寮に着いた。
寮の扉を潜った俺に、何故か冷たい視線が突き刺さる。ラウンジには全員が集合していた……。
「よく帰って来れたものだな荒垣」
「見損なったぞシンジ」
「……とんでもない人ですね」
桐条とアキの辛辣な言葉。吐き捨てるような天田の呟き。
俺の額を、ひと雫の汗が伝う。隣にいる麻斗も、妙な気配に首を傾げてからハッとしたように口を開いた。
「あ、あの、皆……多分誤解して――」
「良いよ麻斗。何も言わなくて良い」
「うん、大丈夫だから……。ね? 麻斗くん」
岳羽と山岸が麻斗を労るように声を掛け、俺を横目で睨んだ……ような気がする。
コロちゃんも何処と無く俺を厳しい顔で見てきてるような……。隣にいるアイギスが何時も以上に淡泊な視線を寄越していることからして間違いない。
呆然とする俺に、天谷が歩み寄って来た。
「荒垣さん……」
「な、何だ……?」
「――順平の一途さを見習うべきじゃないですか?」
「なっ!?」
向こうで順平が「そうっスそうっス!」と声を上げている。
一通りの砲火を終えたメンバーは、各々散り散りにラウンジから姿を消して行く。
……俺は麻斗を見た。
「麻斗」
麻斗はびくりと肩を跳ねさせた。
俺は、自分でも覇気が無いと判る声で、静かに言った。
「お前……、もう妄想は禁止な」
麻斗は、うなだれながら「はい」と小さな声で返事をした。
それから誤解を解くまで五日間、俺は肩身の狭い思いをしたのだった……。
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