10分間キスしよう!
 腰まで伸びた黒髪をクリップで一纏めにし、デフォルメされた動物がプリントされたエプロンを身につけ、黙々と洗い物をする麻斗。
 俺は、そんな麻斗の後ろ姿をじっと見つめていた。
 初めは俺が洗い物を引き受けるつもりだった。料理を作って貰ったせめてものお返しに、と思ったのだが、麻斗が「料理は洗い物までが料理だって誰かが言ってた!」と言って聞かなかったのである。

「誰が言ったかも判らないことをよく通すよな……」
「よっしゃー終わった! さっぱりじゃ!」

 俺の視線を浴びながら、麻斗は洗い物を終えた。るんるんとエプロンをほどき、側の椅子の背に引っ掛ける。「せんぱーいラウンジ戻りましょー」のんびりした麻斗の声に、俺は腰を上げた。

「お疲れ様、麻斗」
「いえいえー。先輩、先にラウンジ行ってて良かったんですよ?」
「お前を待っていたかったんだ。洗い物をしてる後ろ姿を眺めるのも、何だか良かったしな」

 俺がそう言うと、麻斗は声をあげて笑う。それが照れ隠しのひとつであることは、もうお見通しだ。笑いながらばしばしと背中を叩いてくるのだって照れ隠し。よくわからない唸り声を上げ、ひとりで何かを完結させるのも。
 麻斗に手を引かれながら、俺は彼と揃ってラウンジのソファーに腰掛けた。

「テレビなんかやってねーかなあー」
「あと10分もすれば動物特番が入るみたいだぞ」

 新聞のテレビ欄を確認しながら告げると、麻斗は目を輝かせた。

「それしかないじゃないですかー! 何チャンよ何チャン?」
「このままで良いみたいだ」
「やった! こんな良いもん入るときに限って皆お出掛けなんだなー可哀想」
「そこまで動物特番を待ちわびてるのはお前ぐらいさ」
「そうなのかなー」

 ソファーに座ったまま足をばたばたさせ、暇をもて余したように麻斗は天井を見上げている。

「筋トレでもしよっかな……」
「良いな、俺も付き合うぞ」
「えっ? 真田先輩までやりだすと10分じゃ終わらないんじゃ……」

 言いかけながら麻斗は、何かを思い出したように目を見開いた。ソファーの上をずりずり滑るように移動して、麻斗は俺に近寄ってくる。

「ねー先輩」
「なんだ?」
「前言ってたやつ、やってみますか!」

 麻斗が言うものが何か、すぐに判った。
 以前俺は「10分間のキスは、10分間の腹筋と同等のカロリーを消費する」という話を順平から聞き、それを実行せんと麻斗に話して一蹴されたことがあった。
 それをどうして、今麻斗から提案してきたのか?

「前は皆がいるときに言われてアホか! ってなったけど今日はいないし、ちょうど10分くらい余ってますしね」
「良いのか? 腹筋ぐらい頑張るキスだなんて俺はよく判らないぞ」
「そんな生々しいこと俺も判りませんがな!」

 提案しておきながら麻斗の顔は真っ赤だった。つられてこっちも赤くなる。
 向かい合ったまま妙な空気が立ち込めて、どうしたらいいものかお互いに考える。

「……とりあえず、チューしましょう!」
「とりあえずで良いのか!?」
「良いんですっ!」

 もう半ば勢いで、麻斗の方から俺の肩を掴み、唇をくっ付けてきた。
 久々のキスがこんなにムードもへったくれもないものになるとは……。
 だからってそういう雰囲気になると互いにまだ恥ずかしくてろくに行動できないんだが。
 それを考えれば、このぐらいがちょうど良いのかも知れない。
 唇を重ねてからは、きつく目を閉じて動かなくなった麻斗の顔を見下ろしながら、俺は思った。

(うん、たまにはこういうのも良い)

 麻斗の顔を眺めているうちに番組は始まり、麻斗もそれに気付いて唇を離した。
 オープニングから犬猫その他大勢の動物が愛くるしい姿を見せつけ、麻斗はすっかり上機嫌だ。
 まるでキスなんてなかったかのようである。
 だが――。

「真田先輩」
「ん?」
「機会があったらまたやってみましょうね」

 麻斗の満面の笑みに、俺は込み上げてくる嬉しさを噛み締めながら頷いた。
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