愛しのあなた
 大好きな人との共通点を少しでも増やそうと思うのはとても自然なことだと思う。
 どんな本が好きで、どんな食事が好きで、どんな色が好きで、どんなことをするのが好きなのか。片時も目を離さずに、見逃したりしないようにと、一緒にいる間はずっと彼を見つめている。彼のことを考え思うのは、もう日常茶飯事だ。
 クールで皮肉屋な印象が強いけれど、その心の奥には年相応の少年らしい無垢な情熱も秘められている。ああ、このギャップがたまらない!
 短くまばゆい青春の真っただ中にある、仙道ダイキという少年に、私はすっかり骨抜きにされていた。
 愛おしくていとおしくて、夢の中でも彼を思い続けて、ちょっと怪しい人間に思われてしまいそうなほど。彼と私の共通の趣味となった小さなロボット・LBXでのバトルやカスタマイズの最中も、ふふ、と笑みが漏れてしまって、私の正面の席でパーツにパテを持っていた仙道くんは目を細めた。

「あんた、さっきからニヤニヤしっぱなしで手が動いてないんじゃないかい?」
「えーっとですね、仙道くんとご一緒できるだけで嬉しいのに、一緒にLBXのメンテっていうのがですね、たまらなく光栄なんですっ」
「ったく、あんた俺より年上だろ? その仰々しい感じやめろよ……」
「もうコレは癖ですから、お気になさらずに!」

 キタジマ模型店でこうしてLBXを一緒にいじるようになってからこのお店が以前よりずっと大好きになった。ぽつぽつと出入りする私たち以外のお客には申し訳ないけれど、もう少しばかりメンテナンススペースで二人の時間を楽しむことを許してほしい。住んでいるところも離れている私たちにとって、こうやって会うのはなかなか手間なのだから。私はどんな遠くからでも喜んで駆けつけてみせるけれど、仙道くんはきっと違う。孤高で、誰にも何にも流されないひと。そんな彼が私と過ごしてくれるのは奇跡に等しく、いつ終わるとも知れない気紛れの時間だ。
 もしかしたら幻なんじゃないかしら。不安になってこっそり頬をつねる。ちゃんと痛い。ああ、良かった。
 パーツを掲げてバランスを確認する仙道くんの真剣な眼差しが、きらきらと輝いて美しい。
 神様は本当にずるい。こんなに美しくて強くて胸ときめく方との巡り会わせを私に与えて、私が慌てふためく姿を見て笑っておいでなのでしょうか?

「……おい、作業」

 厳しい仙道くんの視線に、私はうっと言葉を詰まらせる。あなたに見惚れて作業を忘れていたなんて口が裂けても言えないから、既に手直しを終わらせたパーツを両手に乗せて、潔く告げた。

「も、もう私の技術的にもコレが終了です」
「はぁ……?」

 私の手のひらに乗せられたLBXのレッグパーツを見て、仙道くんは思いきり眉を顰めた。パーツをじっと見つめ、そして、しばらくして……何かに震えながら、仙道くんは、

「……駄目だね、そんなんで完成形だなんて目の前で言われちゃ見過ごせない。ちょっと貸しな」

 私の返事を聞くより先にパーツを取った。
 てきぱきと至らぬところに盛られるパテ、固まる前だったから削り落とされていく余分な箇所。細かく仙道くんの手が動き、目線が動き……どこか不格好だったパーツは美しく成形されていく。
 ほらよ、と手のひらに戻されたパーツを見て、私は思わず歓声を上げた。

「まあ、綺麗! そうです、そうです、ここ、こうやってキューッとしたかったんですっ!!」
「大袈裟なんだよ。何度もやってればこのぐらい誰だって出来るようになる。ならない奴はよっぽど才能が無いんだろうねぇ」
「私、才能とは無縁ですの」
「……そういうつもりじゃなかった、悪かったよ」

 仙道くんの謝罪なんて聞けるの、私だけなんじゃなかろうか。うっかりした、と言いたげに視線を落として呟く彼に、いいえ大丈夫です、と私は頬を和ませて返す。
 なんて穏やかで美しい時の流れ。過ごし方。そんなつもりはない仙道くんの良心で成り立つかけがえのない時間をひしひしと噛み締めて、私はそっとパーツを握り締めた。
 そのあとすぐに私たちは今日の作業に区切りをつけて、キタジマ模型店を後にした。
 河川敷を歩いているとき、ちょうど親子とすれ違った。赤ちゃんを抱っこするお父さんと、隣で微笑むお母さん。お母さんと手を繋いでいる女の子は、「わたしが抱っこする」としきりに訴えてはなだめられている。まだ赤ちゃんを抱えるには小さい女の子だったけれど、その心はすでにお姉さんのそれ。幸せな家族の一場面に、私は羨ましさを覚えた。

「良いですね、素敵なご家族……」
「あんたも幸せな家族だろ?」
「そうですけれど……何て言うんでしょう、私もいつかあんな風に家庭を築けたらって思って」

 家族ねえ、と仙道くんは呟いた。
 私は深く考えずに微笑みながら続ける。

「きっと仙道くんは素敵な家庭を築くんでしょうねぇ」

 だって仙道くんだもの。それだけで私にとっては立派な根拠。
 どんなお父さんになるのか想像しただけで頬が緩んでしまう私に、仙道くんが問う。

「俺が家庭を持つように見えるのかい?」
「え……? 嫌ですの?」

 何故かショックだった。私はつい質問に質問で返してしまった。「そうだねぇ」タロットカードを一枚手に取り、仙道くんは私を見る。もう一度タロットカードを見て、私がその絵柄を問うより先にカードをしまってしまう。

「悪くはないのかもねぇ」
「わ、悪いわけがありませんわ! だって、実際、仙道くんはご家族といると幸せでしょう?」
「それとこれはまた別の話さ」

 いまいち煮え切らない返答。私はもどかしくなって、必死に訴えた。

「だって、仙道くん素敵ですし! キヨカちゃんもあんなに愛らしくてご関係も良好で! きっと、いいえ絶対、仙道くんは幸せな家庭を築けます! 素敵な仙道くんにぴったりのお方が現れて、それで……幸せになれますわ!」

 そう。きっと仙道くんには素敵な女性が見つかる。仙道くんにふさわしくて、仙道くんの愛を享受するに値するひとが。想像するとどうしても胸がズキズキしたけれど、仙道くんの幸せを思えばなんてことない。あなたには光あふれる未来があるべきなのだから。祝福に包まれるべきなのだから。
 まだ夕日と呼ぶには浅い橙色を全身に受けながら、私は言い切る。

「仙道くんは絶対いいお父さんになります!」

 意外にも私の声は河川敷に強く響いて、すぐに恥ずかしくなった。でも後悔はない。だって私、心からそう思っているんだもの。けれど、そろりと視線を落とす。仙道くんの表情を見るのが、少しだけ怖かったから。

「……この歳でそこまで想像されるのも何だかねぇ」

 笑い交じりの彼の声に、ようやく顔を上げる。口元に手を当てながら、仙道くんはおかしそうに笑っていた。

「な、何だかごめんなさい……」

 謝りながら私はほっとしていた。仙道くんが家庭へ抱く気持ちは明るいものだとわかって安堵した。
 いつか彼が学校を卒業して、社会人になり、素敵なひとと巡り会って結ばれる可能性――、なんて眩い。

「ああ、そうだ。ついでに聞いておきたいんだけど」
「なんでしょう?」

 くらりとしかける私に、仙道くんは急に真面目な顔をして切り出した。雰囲気が変わって、どきりとしながらもその態度にふさわしい対応をと意識して私も改まる。
 仙道くんは表情を変えずに言った。

「あんたが俺のところに嫁に来るってことで良いんだよな?」

 ――は?

「それとも、俺が婿入りすればいいのか?」

 ――え?
 待って、待って。どういう、待ってください。一体どういうことですか。
 声にならない声をあげるも、仙道くんには届かない。

「あんた一人っ子なんだろ。だとしたら会社はあんたが継ぐんだろ? 嫁入りか婿入り、都合良いのはどっちだ?」
「あの、えっと、ちょっと良いですか?」
「なんだい」
「私と仙道くんがその、け、けけ……結婚、するのは……確定事項なのでしょうか」
「確定だろ」

 今すぐ誰か、私が隠れられるスペースをください。
 あまりにもあっさりと未来について言及し、あろうことか目の前にいる私なんかとの結婚を確定と言い切った憧れの人の視線諸々から逃れるための場所をください。
 声が完全に詰まった私に、にいっと笑いながら仙道くんは言う。

「あんたは俺が大好きなんだろ? なら良いじゃないか。今から決めときゃ馬の骨も寄らなくなる」
「な、なんと……!」
「嫌とは言わせねえぜ? 散々俺のこと『好きだ』って宣言してきてるんだ」

 こんなにも私に都合のいいことが起きるはずがない。私は慌てて頬をつねる。痛い。痛すぎるほど。それ以上に、とっても熱い!
 両頬に手を当てて、必死に熱をとろうとする。けれど手のひらもなかなかの熱量で、意味をなさない。真っ赤な顔を見られるよりはマシだとそのままにしていたら、丁寧に仙道くんに手を掴まれ、ぺりぺり剥がされてしまう。私と同じくらい仙道くんの手も温かかった。
 じっと顔を覗き込まれながら、仙道くんに囁かれる。

「あんたが『仙道』になるか、俺が『鳳来寺』になるか。それだけさ」
「え、え、えっ」
「俺は別にどっちでもいいけどね」

 ぱっと途端に手を放し、仙道くんはすたすたと歩きだしてしまった。
 まるで結婚するしないの話が無かったかのように。幻覚だったかのように。
 少しずつ遠ざかる背中に向けて、私は叫ぶ。

「せ、仙道くん!」
「あ?」
「今のは、もう、プロポーズと受け取ってよろしいのでしょうかっ!? 結婚できる年齢まではまだ少しあるのですけれど!!」

 肩越しに振り返った彼は、ニヤリと笑った。

「不安なら、その時改めてしてやるよ」

 呆然とする私。小さな笑い声をあげる彼。
 いつまでも惚ける私を置いて、仙道くんは再び歩き出していた。「置いてくぞ」と呼ばれてようやく、私の足は動くことを思い出す。もつれそうになる足を、砕けそうになる腰を奮い立たせて、彼の隣へと駆け寄っていく。

「間違いなく私、覚えましたからね?」

 涼しげな顔をして歩く仙道くんの横顔を見つめる。橙色は濃くなっていた。
 私も仙道くんも夕焼けに照らされる。彼の頬がいつもより赤く感じたのは、気のせい?
 赤く染まった河川敷は豪華なカーペットを敷いたみたいに美しい。まるで、いつか歩むであろう花道のように。
 遠いようで近い未来果たされるであろう約束に心を躍らせながら、私は彼の影と手を重ねた。
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