「桜子の古間さんトークに付き合ってると時間がいくらあっても足りない」

 ぐったりとソファーに凭れながら愚痴るトーカを見て、カネキは苦笑いを溢す。

「恋する女の子の勢いってすごいね」
「そんな生易しいもんじゃないっつーの……。マジでキッツいんだからね……」

 今日、トーカは非番だ。たまたま『あんていく』に顔を出し、たまたま桜子と相席になった故に大変な目に遭ったのである。
「トーカちゃんは古間さんと一緒に仕事してるから色々詳しいよねっ?」と、古間に片思いしている桜子からの質問責め、それが終わると桜子から見た「古間さんの素敵なポイント」についての語りを聞かされ、気がつけば数時間経っていた。それでもまだ語り足りない様子の桜子から逃れるため、トーカは適当な言い訳――「ちょっと裏で仕事を手伝う」――をし、『あんていく』の休憩室に駆け込んだ。

「何であんなに古間さんのこと語れるわけ? しかも話が被らないまま半日経つとかどんだけよ。悪気がないから、あしらいにくいし……」
「古間さんが目の前にいるとカチコチになっちゃうのに、すごいよね桜子ちゃん」
「確かにすごいけど本当に勘弁して欲しいわ……」

 本当に疲れきった様子でトーカは呟く。

「早く別の奴に惚れてくんないかな……。桜子がべた褒めするから古間さんも調子乗っちゃうし」

 肝心の古間はというと、トーカと同じく非番だ。何処かで休日を楽しんでいることだろう。もし古間がいたら、桜子があんなに熱を入れて語れるわけがない。彼女は恥ずかしがりやで、古間への想いは周囲に隠しているつもりなのだ。ただ、歳の近い同性かつ相談相手・トーカにのみ、その胸中を赤裸々に語りまくる。
 ……しかしその努力虚しく、周囲には全て筒抜けだ。指摘すると彼女が取り乱すのは目に見えている。故に優しき『あんていく』の一同は、生暖かい目で桜子を見守っていた。

「桜子には、古間さんがこの世で一番良い男に見えてるみたいよ……。古間さんは悪い人じゃないけど、桜子のあの惚れ込みっぷりはどう考えても異常」
「桜子ちゃん、真っ直ぐなんだよ」
「真っ直ぐにコースアウトしてるわ、確かに」
「いや、そういうことじゃなくって……」

 カネキが思うのは、桜子の衰えることのないその気持ちについてだった。
 何でも古間は彼女に対して“気持ちには応えられない”と伝えたという。それでも桜子は、“好きでいることだけは許してくれませんか”と返したらしい。古間に気持ちが届かないことも全部承知の上で、いまだに彼へ想いを寄せているのだという。
 ニシキは「下手すりゃストーカーだぜ、ストーカー」なとど皮肉っていたが、その言葉があくまで冗談であることはカネキたちも判っていた。
 桜子は、本当にただただ、古間が好きなのである。
 本当に真っ直ぐで、でも、その真っ直ぐさがカネキは自分のことのように嬉しく思うときがあった。
 内気で、自分に自信がなくて。でも古間への気持ちだけは誰にも負けない桜子の姿を見ていると、何となく心が解れるような気がした。

「桜子ちゃんなら、古間さんが“喰種”だって知っても変わらないかな」

 つい溢してしまった願望に、カネキはハッとした。恐る恐るトーカの顔を見ると、カネキの嫌な予感通り、険しく鋭い眼差しが此方へ向けられている。

「そんな上手い話があるかよ。このノーテンキが」
「ご、ごめん……」

 反射的にカネキは謝るものの、トーカの機嫌がそうする直るはずもない。

「桜子は確かに変わってるけど、そこまでバカじゃないでしょ。だから私は、あいつに早く古間さんのこと諦めるようにそれとなく言ってんだから」
「トーカちゃん……」
「古間さんなら大丈夫だろうけれど、何がどう転ぶかわからない。うっかり“喰種”だってバレたら桜子を生かしておけない」

 苦い顔をしたトーカは、合わせた両手をぎゅっと握りしめた。

「ニシキんとこみたいに上手く行く方が珍しくて有り得ないの。桜子には絶対知られちゃいけないんだよ」

 それはカネキも重々承知していることだ。
 古間だけでなく、自分達が“喰種”であることは決して知られてはならない。もし知られてしまったら、本当にトーカは手を下すだろう。辛くても、悲しくても、きっと。そうしてでも守りたいものが彼女にはある。もちろんカネキだって、今の生活と平穏を守りたい。
 ギリギリの境界線を保ちながら世界と繋がる自分たち。
 何も知らない桜子のような人たち。
 本当に、分かり合うことが出来ないのだろうか――……。

『古間さん』

 顔を綻ばせて笑う桜子の姿を思い返しながら、カネキは考える。
 かつて人だったカネキは、“喰種”となったカネキは、どうしても人と“喰種”の関係について思い悩んでしまう。
 今も恐らく客席に座りながら、桜子は古間のことを考えているのだろう。
 一生懸命彼女が書き物をしているのを、カネキは見たことがある。何となく“どうしたの?”と尋ねたとき、桜子ははにかみつつも教えてくれた。

『実は、お店でのこと書いているんです。ほとんど古間さんのことで埋まっちゃうんですけど。……気持ち悪いヤツと思われないよう、古間さんには内緒なんです』

 きっと古間さんなら嬉しがるよ、と言いそうになってカネキは慌てて首を振った。気持ち悪くなんかないよ、というカネキの咄嗟の返しに、桜子は少し安心したように肩の力を抜いていた。
 できることなら、桜子の恋がずっと続いて、なるべく優しい終わりを迎えることを祈る。
 咲いた花が時を経て、そっと閉じて種を生むように。静かに、次の恋へと進んでいけるように。
 ただでさえ辛いことの多い世の中だ、そんな希望に思いを馳せでもしないと息が詰まる。
 俯くカネキをしばらく見つめていたトーカは、彼が気づく前に視線を外し、ソファーから立ち上がった。

「さて。そろそろ戻って桜子に付き合ってやるか……」
「頑張って、トーカちゃん」

 両腕を天井へ向かって上げるようにして体を伸ばすトーカへ、カネキは気休めぐらいにはなるだろうとエールを送ってみる。

「アンタも今度経験してみな、桜子の古間さんトークの凄まじさをさ」

 そう言って肩越しにカネキを振り返ったトーカの顔には、笑みが浮かんでいた。

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