特別なふつうのあの子
 ――みんな、わかってない。
 ノアはひっそりと頬を膨らませていた。
 ――みんな、ちっともわかってない。
 楽しげに話す仲間たちを見つめながら、ノアは思考する。鎌の手入れを続けながら、ひっそりと腹を立てる。
 頼れるミステリアスなクリティアの美女・ジュディス。美しい槍使い。異性のみならず同性も息を呑む抜群のプロポーション。豊富な知識と知恵を持て余すことなく、仲間の力となる。ジュディスは頼りになる。ジュディスは大人だ。ジュディスはすごい……。
 ――すごいのはすごい。けれど、やっぱりわかってない。
 最近鎌に組み込んだ変形ギミックを確認しつつ、ノアは上空へと視線をやった。カチリと何かが何かに嵌まるような音がすると、彼女の手元の鎌は瞬く間に形を変えていく。大振りのボウガンへと姿を変えたノアの相棒は、はるか遠くの空を飛ぶ鳥目掛けてボウガンの矢を放つ。過たず矢は鳥を穿った。それが落下してくるのを見ながら、ノアは獲物の元へと駆け寄る。綺麗に眉間を穿たれた鳥は既に息絶えていた。夕食のスープにぶち込むにはちょうどいい大きさだ、と考え、仲間の元へと戻る。
 仲間たちの会話は終わっていた。かいつまんで内容を共有したのち、ノアは「今日は此処で野営だね」と呟いた。
 野宿もすっかり慣れたものだ。どこぞの皇女様や魔導士も、今ではテントの組み立てに力を貸せるほどである。一通りの作業を皆が行っている間、ノアは鳥を捌き、夕食の準備へと取り掛かっていた。魔物除けを撒いてきたカロルとパティが献立を気にしてやってくる。

「ねえノア、何作ってるの?」
「スープかの?」
「うん。この鳥は煮込んだ方が食べやすいから。とっておきのパープルソディを使ったから味は保証するよ」
「ノアの料理だもん、何にも心配してないよ」

 カロルが笑い、じゃの、とパティも頷く。

「もう火の用意もできたんだよね。この生地、適当な大きさにして焼いてくれる?」
「わかったのじゃ」

 パン生地の仕上げをカロルとパティに頼み、ノアは再びスープと向き合った。少し前までこっそり損ねていた機嫌もだいぶ落ち着いていて、スープはどんどん香しい変化を遂げていく。仲間の苦手な野菜は出来る限り細かくして混ぜた。料理に集中すると、嫌なことや向き合うべき問題を後回しに出来るのは良かった。
 火を囲んでの夕食は、いつも賑やかだ。出生も考え方も種族も違うひとりひとりが集って、まるで家族のように睦まじく過ごす……。いつものことが、どれだけ奇跡的で大切なものか、料理と共に噛み締めながらノアは味わった。
 ……食事と片付けが終わり、後は休むだけとなった頃、ノアの中にもやもやが蘇ってきた。
 頼りになるジュディス。しっかり者のジュディス。強いジュディス。仲間たちの接し方、話、振る舞いと評価。
 ――そうだけど、そうじゃない。
 テントから抜け出して、魔物忌避剤の近くぎりぎりまで歩く。夜は落ち着く。記憶を取り戻してからは特に。
 すう、と草の香りを胸いっぱいに吸って、吐く。空を見上げると、たくさんの星が瞬いていた。今日は少し暑いくらいだったから、夜風が心地いい。
 そうやって、ノアは、待っていた。

「眠れないのかしら?」

 ジュディスが来るのを。
 当然のようにジュディスはノアの隣へやって来る。それを確かめてから、ノアは口を開いた。

「私、ちょっと嫉妬深いのかもしれない」
「あら、どうしたの急に」
「ジュディスが大人びていて頼りになる、っていうのはよぉくわかるんだよ?」

 ノアはむくれながら座り込んだ。

「けれど、私には、どうしてもね。その前に、ただの女の子のジュディスなんだよ。本当は甘えたがりな、寂しがりやなジュディスなの。頑張りすぎるジュディスが、もう頑張りすぎないようにって、心配になるの。みんなもきっとわかってると思うけれど、でも……」

 改めて考えると自分の考えはあまりに身勝手で、ジュディスや仲間に勝手なイメージを押し付けていて、それを勝手に怒っているだけな気がした。けれど、根暗でネガティブな性分のノアは、止まらなかった。

「みいんなさ、ジュディスのことわかってない! 時々ね、そうじゃないって割り込みたくなるの。本当に私が自己中なのわかってるけど、でも、私、何て言うか――……ジュディスはそっち側じゃない方が好きなの」
「そっち側って、どういうこと?」
「とりあえず座って」

 ノアに促されて座るや否や、ジュディスはノアにぎゅうっと抱き締められてしまった。ジュディスを抱き、頬擦りし、頭や背中を撫で、ノアは言う。

「私にとってこっち側なの。ジュディスは」
「……何となくわかったわ」
「ん。あと、私はジュディスを甘やかしていたいっていうのもある」

 ジュディスがゆっくりとノアの背中に腕を回した。まるで自分をあやすように触れてくるノアの胸に埋もれながら、ジュディスは、言いようのない安堵を覚えていた。優しく包み込んでくれる暖かなひと。無条件に愛を注いでくれるひと。
 安堵しつつも、ジュディスは若干悩んでいた。ノアにとって一体自分はどういう存在なのか。注がれる情が既に友のそれを越えているのが肌で分かる。ノアが弟妹の影を重ねてくるにはジュディスは成長しすぎていたし、しかしノアはその辺りの感情に関して些か鈍い。恐らく本人も、ジュディスに向けている感情が何なのか答えを出せずに行動しているのではないか、と推測した。
 ジュディスの推測はおおよそ当たっていた。ノアはジュディスを好きで、大切で、大事にしたいと考えている。しかしその気持ちが友達というには少し深すぎて、家族と言うには生ぬるいような気がしていた。わからないまま、ノアはジュディスに対する周囲の評価に憤り、自分勝手なジュディスの印象を押し付け抱き締めるという行動に出ていた。

「何でだろね、ジュディス。ジュディスにくっついてるとホッとするね」
「私も、ノアにくっついているとほっとするわ。あなたの優しい気持ちが伝わってくるから」
「優しいのかな、ただ甘やかしたいだけって考え方……。すごく自分勝手だよ」
「あら。私、甘やかされるの嫌いじゃないもの」

 クスクスと笑いながらジュディスはノアの心配の芽を摘んだ。ほっとしたノアがまたジュディスを抱き締め直す。

「もっと私が逞しかったら、もっと私の体が大きかったら、すっぽりジュディスを包んで守っていけるのに」
「十分よ。私、あなたがどれだけ私を守ろうとして実行してくれているか、誰より知っているわ」
「もっと私が賢かったら、こんなもやついた気持ちを抱えないで、純粋にジュディスを包んで守っていけるのに」
「あなたの知恵は私たちを助けてくれているわ。ちょっとぐらい晴れない気持ちを抱くのは、人間としてごく自然なことよ」

 ジュディスより小さくて、ジュディスより年上で、ジュディスよりあどけないノア。
 ノアより大きくて、ノアより年下で、ノアより凛と大人びたジュディス。
 ふたりが実はとても近い存在であることを、仲間たちはきっと気付いていない。ノアもまたジュディスにもっと近づきたいと思っている。ジュディスは、もしかしたらノアは、と徐々に察し始めている。
 友情と呼ぶには深く、愛情と呼ぶにはあと一歩足りない、ふたりの少女の抱擁はしばらく続いた。

「そろそろテントに戻る? ジュディス、冷えてしまうでしょ?」
「そうね、このままじゃ冷えてしまうわ」

 ノアを見つめながら、ジュディスは微笑む。

「ここにふわふわで真っ白な毛に覆われた、あの愛くるしい獣がいてくれたらそんな心配もないのだけれど」

 ジュディスの言葉の意図を組んだノアは、笑顔を咲かせた。暗に“もっと一緒にいたい”という想いを込めた申し出は、優しく聡いクリティアの美女にしっかり伝わっていた。

「大丈夫? ジュディス」
「ええ。朝までこうしていたいくらい」

 瞬きのうちに白狼へと転じた義眼の少女は、ジュディスをしっかり包み込むように丸くなる。
 ノアに埋もれ、優しく包まれながら、ジュディスはうっとりと目を細める。
 互いにまだ想いを告げるには至らずとも、その光景は、既に答えを物語っていた。
 ――みんなは、まだわかっていないけれど。
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