リバース
 私はお酒が得意じゃない。下戸だ上戸だとかではなく、単純に味が苦手なのだ。お子様の舌だと言われればそれまでだけれど、宇井に「飲めなくてもいいもんですよ」と励まされた印象の方が強いので、飲み会に参加しても遠慮なくウーロン茶やジュースをぐいぐい飲んで過ごしている。
 そして今日は、その恩人である宇井に誘われ、居酒屋に来ていた。

「ったくもー有馬さんはさァ……」

 さっきから有馬特等と伊丙さんの愚痴が交互に繰り返されている。内容も次第に同じことばかりになってきている。それでも彼は、まだ言ってないまだ喋ってないという顔で、酒をぐいぐい煽りながら愚痴るのだ。

「……そこでまた有馬さんが甘やかしてさ、ハイルがどんどん調子に乗っちゃうわけですよ。もー、私の立つ瀬は一ミリも無いって感じで」
「有馬特等は甘やかすってか天然だものね……。まあ、伊丙さんを立派な捜査官に育ててるのは宇井なんだから、自信持っちゃいなよ」
「自信持てたらこんなにグチグチしない」
「だから持てって言ってるの」
「無理! 自信で何とかなる話じゃないんです」

 ますます私にどうしろと……。少し疲れるが、天然上司と天然部下に挟まれている彼はもっと疲れているのだ。愚痴ぐらい聞いてやらずにどうするミョウジナマエ。それでもお前はこいつの友達か。
 カウンターに突っ伏すおかっぱ頭をぽんぽんと撫でながら、大変だねぇ、しんどいだろうねぇ、と老婆のように優しい声をかけてやる。話すだけならタダ、聴く相手も今ここにいるよ、吐き出すだけ吐き出してみなさいなと。
 そうするとまた同じ愚痴の繰り返しがスタートしてしまうのだけれど、彼自身がそれでいい、それしかこの気持ちのやり場は無いというならば、構わない。気にしない。あまりつっこんだりしない……ようにしなくては。
 うん、そうだね、ああ、確かに。この辺りのなるべく短めの相槌をするだけにして、彼の愚痴をメインにして。私はすっかり聞き上手になったと思う。宇井限定で。多分他の人にも応用できるというか愚痴を聞くときってこうするしかない気がする。原因を取り除いてあげられたら一番だけれど、死神と死神候補なレヴェルの捜査官相手にぺーぺーな中流捜査官がどう太刀打ちできようか。たまたま宇井と同期だからってぐらいじゃ何にもなれない。伊丙さんに至っちゃとっくに私と同じ上等だと言うではないか。新進気鋭のホープだ。使い方はあっているだろうか。
 そのホープは若干一般常識が奔放なそうで、「庭出身ってなんでこう……」そのあたりの愚痴も多い。
 宇井、あなたは本当に見た目通りの苦労人だ。ここ数年で思い切り老け込んだ気がする。いや、男らしくなったのだろうか。相変わらず中性的な顔立ちではあるのだけれど、以前のように女性と見間違えることは無くなった。私が慣れたというより、宇井がそう変わったのだと思う。コッソリとタケさんに聞いたりしたもの。ちょっと間を置いてから頷いてくれたもの。お礼にあげたお煎餅、美味しく食べてもらえたろうか。
 私が頭をぽんぽんし続けていては宇井が頭を上げづらいだろう。そろそろ良いかなと手をどける。
 宇井はのろのろと顔を上げて、私を見つめてきた。

「……飽きたでしょう」
「否定はしないけれど、宇井の気が晴れるまで付き合いますって」
「そういう正直なところ、良いよなぁ……」

 何が良いのかよくわからないけれど、ちょっと呆れられたような感じでフッと笑われたけれど、その時の彼の表情がとても素敵だったので文句はつけないでおこう。

「ナマエ、貴女はどうです? 変わったこととかありました?」
「えー? 今日は宇井の愚痴大会じゃない」
「でも愚痴聞かせるだけってのも申し訳なくなるんですよ。お願いですから何か私にも聞き役させてください」
「そう言われてもなー……」

 本当に私には愚痴など無いのだ。不平不満が無いわけでもないが、宇井ほど深刻でもなければ抱え込む性格でもない。敢えて言うならば調書がだるいとか報告書が面倒くさいとか昔から変わらない事務処理能力の低さぐらいで。
 暗い話もなんだから、何とか引っ張り出せるものはないかと考える。

「そうだ、弟夫婦に子供が生まれた」
「おめでとうございます。ちなみに女の子ですか、男の子ですか」
「女の子。弟は既に嫁にやらんと気の早い親心に開花してる」
「弟さんすごいですねー独り身の貴女とは違う」
「うん? 今私ナチュラルに罵倒された?」
「いやナマエも凄いと思うけれどね。私たちにはそういう普通の家庭を作るってなかなか縁遠いじゃないですか」
「あー、そういうことね。いやでも黒磐特等みたいなパターンもあるじゃない。宇井ならもう選び放題じゃないの」
「私を何だと思ってるんですか貴女は」
「部下が大好きでおかしくなっちゃいそうなおかっぱ捜査官」
「あ、罵倒し返されてる?」
「罵倒と認めたな」
「あっ」
「あっ、じゃねー!!」

 私はジョッキを置いて、代わりに宇井の頭をふん掴まえた。首にがっちり腕を回してヘッドロックの体勢に移る。勿論本気の力でやったりなんかしていないけれど。「苦しい、苦しいって」大して苦しくなさそうな笑い声をあげて、宇井は私の腕をぺちぺち叩く。
 一体なんだこれは。励ましてやろうという私の気遣いを何だと思っているんだ。労わらねばと同僚心で接していたのに独り身をアレコレ言われるとは。宇井、お前だって独り身じゃあないか。
 ……でもまあ、いつもこんな感じで有耶無耶に愚痴大会はお開きになるから、良いのかもしれない。
 失言のぶん、と宇井が私におごってくれたので有難く甘え、店先で別れた。

「じゃあ、頑張りすぎない程度に頑張ってねー」
「いつも有難うナマエ。そっちこそ頑張ってください」
「あいよー」

 そういえば作戦近いって言ってたよね、私は管轄違うから応援しかできない。その作戦に大好きな伊丙さんも先発隊で参加するそうじゃないか。本当に優秀だなあ、前に一度見たことがあるけれど、何かかわいくて癒しオーラ出てる子なんだよね。宇井じゃなくても可愛がるか。私も宇井の立場だったら可愛がるわ。無駄にプリンとかあげちゃう。宇井の話から察するに、良くも悪くも伊丙さんは純粋らしい。特に有馬特等に関しての反応は群を抜いてる。まあ、すごいもんな。CCGの死神。死神っていうか見た感じ白神だけど。私も将来年寄りばあさんになるまで生きるとしたら、あの有馬特等のようにきれいな真っ白い白髪になりたいよ。
 あれ、そういえば有馬特等ってどうして髪白いんだろう、染めてるのかな。
 ピロリンとスマートフォンから聞こえたチャイムで私の思考は遮られた。見てみると宇井からのメールだった。『いつも有難う、多分またよろしく頼みます』と。なんて律儀な人だろう。これだから嫌いになんて絶対になれない。

「いや本当、居心地良い相手だなぁ――……」

 ――程なくして行われた作戦。
 ――失われたもの、者。
 ――積み重なる不幸、不運の数。
 それらが私の大好きな友、宇井郡を別人のように変えてしまうなんて、この時は思いもしなかった。
 だから私は今でも、彼からの誘いを待っているのだ。また愚痴りたい、ちょっと話聞いてくれますか、今日の夜飲みに行きませんか、なんて言いながら、彼が苦笑交じりで来ることを。
 新たな王が率いるCCGでの不安を、以前の宇井とならば分かち合えただろうか。
 いい加減、この仕事を続ける苦しみを一人で抱えるのは、キツイ。

『また飲み行こうよ、宇井』

 初めて私から送った飲みの誘いに、今のアイツが返事をくれるわけが無かった。
 ――友達の役にすら立たないしょうもない人間。
 そんな想いが、尚更私を苦しめるだけ。
 天使でも悪魔でも良い。この際、縋るものは選ばない。
 どうか宇井が以前のように笑えるようになる方法は、何処かにありはしないかと祈らずにはいられなかった。
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