*7月上旬(IH東京都予選から2週間後くらい)
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深い深い海のような人がいた。一度溺れたが最後、二度と海面には上がってこれないような、そんな深海。そんな彼に、オレは心底惚れていた。
あの瞬間にこの恋は始まっていた
ひゅう、と風が吹く。台風が近づいているとか何とかと今朝のニュースは騒いでいたけれど、そういう類いの風ではない。温かな風だった。
現在オレがいる場所は、海常高校A棟――普通科の学生が使う教室がある棟である――、因みに時間帯は放課後だ。何故放課後にこんな所にいるのかと言えば、期末テスト期間である為に放課後の練習が禁止されていて暇だからだ。今日はあまり勉強しようと思えなかったので、何となくここに来た次第である。
今日は確か夜に仕事が入ってたなぁ、とぼんやり思いながら柵に腕を組んで顎をのせる。じっと遠くを眺めてみても、住宅や小中学校がある程度で、あとはそのもっと奥にキラキラ光る海があるくらいだ。しかもその海は、丁度今日の撮影を行う場所である。
今日の撮影のテーマは果たして何だったか。確か夏の花火男子とか何とかと聞いた気がする。ただ海辺で男子学生が友人達と集まってワイワイ花火をする、というだけのありふれたテーマだ。今日はそんなイメージの為、人数も多いと聞いた。同じ事務所の先輩、他の事務所の同期等、最近雑誌にもよく取り上げられるような豪華なメンバーらしい――まあ、もっとも、中でも断トツ且つ不動の人気を誇る(らしい)オレがメインになるだろう、とマネージャーが言っていたが――。
でも正直、オレにとっては他のモデルなどどうだっていい。ルックスが良いからといって、特に何かがあるわけではない。見た目のかっこよさなんてたかが知れている。本当のかっこよさというのは、一瞬で他人を魅了してしまうようなものだろう。…そう、例えば、青峰っち、みたいな。
オレが青峰と出会ったのは中二の春。オレの後頭部にバスケットボールをぶつけてくれやがった青峰が、ボールを回収に来たのがファーストコンタクトだった。その時帝光バスケ部が強豪であることを思い出し、何となく体育館を覗いた。そしたら、青峰が有り得ないスピードで敵を抜きゴールを決めたのだ。その様子を見て、オレは一瞬でバスケ…いや、多分、青峰に魅了された。青峰と一緒にバスケがしたくなって、直ぐ様入部を希望したほどに。
実際、青峰は――ルックスの問題ではなく(いや、まあ見た目も結構いいんだけど)――かっこよかった。誰にも真似できないスタイル、バスケを何よりも愛する気持ち、バスケを心から楽しんでる笑顔。彼に魅了されない者などいないだろう。彼のような人を、真にかっこいいと言うのだ。
そんなことを考えていたら、無性に青峰とバスケがしたくなった。そんな気持ちを振り切るように頭を振る。どうせ出来やしないのだ。望んでても仕方ない。それに、この後には仕事もある。バスケをしている暇はない。
そろそろアパートに戻って仕度をしないとまずい。シャワーを浴びて急いで準備をしなければ、マネージャーが直ぐに迎えに来てしまう。何となく名残惜しく思えたが、オレは屋上をあとにした。
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撮影が終わり、現在21:00。共演者達やカメラマン達も全員帰り、オレは一人、海辺に残っていた。マネージャーにアパートまで送ると言われたが、オレはそれを断り静かな海を眺めていた。
何となく離れがたかったのだ。それはあの、放課後の屋上にいた時のような気分だった。海から目を離せなかった。海を眺めていると、青峰みたいだと思った。昼間のキラキラと輝く様は、昔、ただ無邪気にバスケをしていた彼のようで。今の飲み込まれそうな深さは、現在の、最強の座に静かに佇む彼のようで。そんな気がして、目が離せなかったのだ。
何故だか無性に、青峰に会いたくなった。
さっきは一緒にバスケがしたいと思ったのに、今はただ会いたい。海の様子の違いだろうか。不思議なものだ。
でも、そんなこと今はどうでもいい。青峰に会いたい。会って、側にいたい、隣にいたい、触れたい。そして出来れば、触れて欲しい、抱き締めて欲しい。
随分と強欲なものだ、と自嘲して、溜め息をつく。どうせ会えやしないのだ。望むだけ無駄だ。オレはもう一度溜め息をついて、海に背を向ける。一歩踏み出そうとして、出来なかった。驚きで、動けなかった。だって振り向いたらその先には、会いたくて会いたくて仕方のなかった、けれど今ここで会えるはずのない人がいるのだから。
「青峰っち…」
小さく呟くと、彼は「何だよ」と素っ気なく言葉を返した。
制服姿ということは、家に戻らずに来たということだろうか。まだ夏に入ったばかりだ。しかし、夜になれば当然冷えだす。ベストくらいは着てないと寒い。それなのに青峰は長袖のYシャツを着ているだけだった――まあ、中にTシャツは着てるだろうが――。いくら高体温とはいえ、寒くないのだろうか。
「あの、青峰っち、」
「あんだよ?」
「寒く…ないんスか?」
「あ?あー…言われてみりゃ…ちょっと肌寒いか?」
「っスよね…」
やはり、高体温でも肌寒いようだ。そもそも夜の海にシャツだけで来るのがおかしいのだが。
青峰は高台から降りると、ゆっくりとこちらに歩を進める。
「そーゆーお前はどうなんだよ?」
「え?」
予想外の質問だ――いや、そもそも青峰がここにいること自体予想外なのだけれど――。あの青峰が他人を気遣うような言葉をかけるなんて。昔の彼ならまだしも、今の彼からは想像もつかなかった。
驚きで目をパチクリさせていると、呆れた青峰が「だから、」と口を開いた。
「お前こそ、んな格好で寒くねーのかよ…」
「あー…」
…なんて、冗談だ。本当は知っている。彼がどんなに暴君化していっても、根っこのところは変わらない。不器用だけれど、優しい。そんな彼が、オレはやっぱり大好きだ。
青峰もちょっとはオレのこと気にかけてくれるらしい。少しばかり嬉しくなって、思わず口角が上がる。心がフワフワするようだ。
「オレは平気っスよ?」
そう言って微笑むと、青峰は「ふーん」と訝しげにこちらを見る。別に嘘はついてない。ただ、もう少し温もりが欲しいかな、とは思うのだが。
いつの間にやら目の前まで来ていた青峰が、オレの手をとる。ゆっくりと絡まる指に、青峰らしくない、と思いつつもドキドキする。
「あ、あの、」
心臓の音は聞こえないふりをして、きゅっと指に力をいれる。視線が下を向いてしまうのだけは、突っ込まないで欲しい。
「あ、青峰っちは、どうして、ここに?」
まず最初に聞くべきことを今更だが問いかける。動揺してつい聞く順番を間違えたが、まあ、答えは変わらないのだろうから構わないだろう。
青峰はほんの少し視線をさ迷わせたが、直ぐにオレに向き直る。まっすぐな瞳。またオレの心臓がドキリと高鳴った。この人、どれだけオレを惚れさせる気なのだろうか。
「何となく」
「………へ?」
何なんだこの人は。どう考えたって、何となくでこんな所にこんな時間に来るわけないだろ。はぐらかしたいのか。
「お前、さっきっからそればっかだな、『え?』だの『へ?』だの」
「え。だって、青峰っちが、訳わかんないから…」
素直に思ってることを伝えると、大きな溜め息をつかれた。次いで、青峰は頭をガシガシと掻いて口を開いた。
「本当に、何となくなんだよ」
「だから、その何となくっていうのが…!」
「何となくお前が、」
「…?」
「お前が、会いたがってるような気がしたんだよ」
何だそれ。何だそれ。何だそれ。何なんだこの人は。
オレが会いたがってる気がしたからといって、わざわざ東京から神奈川まで、こんな時間に来るなんて。馬鹿じゃないのか。…でも、かっこよすぎる。
思わずじっと彼を見つめた。相変わらず、その瞳は真っ直ぐとオレだけを見ている。見惚れる。
少しずつ縮まる距離。あ、キスされる。そう思った時には既に0距離になっていて、唇が重なっていた。目の前には青峰のドアップ。ゆっくりと瞼を下ろす。ぐっと手に力をいれられて、そのまま浅瀬に押し倒される。
うわぁ、服濡れた。びしょびょで帰るのとかやだな。でもまあ、いっか。何かあったら青峰に責任とらせればいいんだし。
ゆっくりと、今度は瞼を開ける。
――それに…
青峰のような海に抱かれてるようで、悪い気はしない。しかも、目の前にはオレの愛する青峰と、キラキラと輝く星空。キレイだ、と不覚にも思ってしまった。
一度離れ、もう一度触れる温もりに、愛しさが込み上げる。何度も同じ行為を受け入れる。重ねれば重ねるほどに愛しくなる。ああ、オレってこんなにも青峰が好きだったんだ。
やっぱり、青峰は海みたいだ。だってオレ、こんなにも青峰が愛しい。会えば会うほど、触れれば触れるほど、オレは青峰を好きになっていく。それはまるで、深海に沈んでくように、溺れるように。
ねえ、青峰っち。アンタ、ほんとに深海みたいだよ。でもね、深海にも底はあるんだよ?知ってる?でも、多分アンタには底はないよ。だってオレ、どこまでもアンタに溺れてる。それこそ、出会ったあの時から。無邪気に笑った顔も、不器用な優しさも、バスケを愛する気持ちも、傲慢な態度ですら、大好きで。でも何よりも、オレに触れる温もりが、一番愛しい。
「黄瀬、」
「ん?」
とろとろと心が溶けて、瞳が揺れる。どうしようもなく幸せだ。
「好きだ」
真っ直ぐとオレだけを写す瞳は、深海のような色をしていた。
「…うん、オレも……」
そっと青峰の首に腕を回す。ちょっとだけ力を入れて、抱き締める。
「オレも…好き、大好き。愛してる」
やはりオレは、心底、深海のような青峰っちに、惚れているようだ。
あの瞬間にこの恋は始まっていた
(きっと出会ったあの瞬間から、)
(オレは彼という海に溺れていた)
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無辜様に提出。素敵企画に参加させていただき、ありがとうございました!