△ サルタナ 13
そのとき彼の言った“調査まであまり時間がない”という言葉通り、それからすぐに次回の壁外調査の日程が知らされた。
それまでの限られた期間の中で、二週のうち一度程はその少し強面の整った顔を見ていたと思う。
個人訓練の話を持ちかけてきた彼はその夜確かに『流石に一人で巨人を倒せとは言わない』と言ったはず、だったのだが。
実際に彼の言うように動いてみると、可能であれば先回りして膝の筋肉に切り込むだとか、視力を奪うだとか、切り伏せることを前提としていることにすぐに気がついた。
いや、気が付かない方がおかしい。
その切り込みにしたって手首の振りが浅いだとか、切り口の角度が甘いだとか。
彼はその言葉こそ言わないけれど、どう考えても隙あらば頸の肉を抉り取れ、と言っている様にしか聞こえない。
その意図をそこかしこで感じられるのだった。
私の壁外調査での討伐数を持って、この試験的な訓練の出来具合を上に報告でもしそうな勢いだ。
…実際そうなのかもしれないけれど。
手取り足取り教えてくれるわけではない。
私の方もそうはされたくなかったのでそこは助かった。
彼からまず大まかな指示があって、それに私が従う。
その指示というのも「あの辺りに15m級がいると思ってやってみろ」とか「頸はこの辺だ」だとか、ものすごく投げやりなので最初はかなり戸惑った。
そうして、ぎこちなくなりながらも自分なりに剣を振る。
それを見ていた彼がものすごく簡潔にだけれど感想を言ってくれる流れになった。
かなり実戦的で参考になるのは間違いない。
エルヴィン分隊長にただ命令されたと言うだけなのに、彼がその責務を真っ当に果たそうとしている姿勢に驚いたものだ。
当初はろくに助言もしてくれないのではと半信半疑だったので、彼の意外ながらも真面目な一面にこちらも精一杯応えようと…するのだが。
「…だから、そうじゃないと言ってるだろうが。
一度あの生臭ぇ口に食われないと分からねぇか?」
色々な意味で見直したというのに。
この人は如何せん、口が悪い。
こちらも彼のアドバイスに合わせようとするのだけれど、彼の超人的な運動神経についていこうとすること自体がそもそもの間違いなのだ。
流石に彼のレベルでやれとは言われないが、それでも何度も同じところで手こずる私に彼の一言は重い。
彼からしたら意地悪しようと思って言っているわけじゃないのは分かる。
けれどやっぱり棘がある…気がする。
面倒臭いなら初めから教えるべきではないし、教えてくれる気ならもう少し歩み寄るべきだと思い始めてしまった。
初めのうちは彼の荒い言葉を黙って聞いていた私も、段々と彼の言動に慣れてくると、負けず嫌いの性分がそろそろと顔を出してしまうのだった。
そして、つい。
「……食べられたら死んじゃうじゃないですか。
言われてることは分かります。
でも出来ないものは出来ないです!
他の新兵のことも考えるなら、もう少しレベルを下げてもらわないと難しいと思います」
いけないと思いつつ言い返してしまうのだった。
彼は頑固そうに眼を細めてから口を開く。
「新兵の方はあとで考えておく。
当面の問題はお前だ。
言っても出来ないなら、お前が自分でやり方を見つけるしかねぇだろうが」
彼の方も、何度か言い返すうちにすっかり私の態度の変化にも慣れた様だった。
私の技術の向上を第一に、または名目に…、そこから新兵の育成に役立てる事柄を試行錯誤する。
その繰り返しだった。
「ここはそもそもがちょっと難しいです。
討伐数ゼロの兵士に一発目で巨人の動きを止めろって、それが実践出来るなら討伐出来てます…」
こんな風にただの憎まれ口になってしまっても、驚いたことに彼は真正面から受け止めてくれるのだった。
超人的な能力があるからといって彼はそれを全く奢りに思ったり振りかざしたり、偉そうにしたりしない。
人それぞれの分相応があることをしっかりと理解してくれている様だった。
彼には変に誤魔化すより、正直に出来ないことは出来ないと相談した方が話が早いと気付いたのは訓練を始めてからすぐだった。
「だから、方法は何でも構わないと言ってる。
動きを奪える場所にしろよ。
急所くらいは分かるだろうな?」
対人と対巨人はかなり異なるものだと思っていたけれど、彼の独特な観念を聞いていると大まかな部分は似ていると思えてくる。
彼の癖というものもあるらしい。
対巨人の攻略法にはしっかりとした理由と持論があって、それは今までの彼の経験から作り上げられているようにも聞こえた。
実際の人間同士の小競り合いで目を潰したら卑怯だけど、身長差がある場合は仕方ないのだから巨人にも有効、だとか。
手足の腱も人間の場合は切られれば即戦闘不能に陥るが、それも巨人の場合には引き倒す為や引き剥がす為に斬りつけても回復してしまうので、ごく短時間のみならば有効、だとか。
それらは彼の地下街での経験も活かされているのかな、と思ってしまう。
彼独特の逆手持ちも強要されることはおろか、彼自身の口から触れられることは無かった。
──────
「今日はもう遅い。
……戻るぞ」
壁外調査が間近に迫ったある夜、もう何度目かの訓練を終えて地面へと降り立つ彼を追う。
訓練場から宿舎へ戻る時の彼はこちらを待っている風でもないけれど、かと言って足早にこの場から去っていくこともない。
こちらがいつも通り後ろから歩き出せば、自然とその背を追うことになってしまう。
付かず、離れず。
声をかけることにも、今はもうほとんど戸惑うことも無かった。
「…あの」
小さく声を掛ける。
返事はなくても、しっかり聞いてくれている。
そんな気がした。
男性兵舎と女性兵舎へは少し先で分かれ道だ。
「どうして逆手持ちなんですか?」
彼について知らないことが多すぎる。
はじめの頃に比べると会話が出来るようになったけれど、このひとは人一倍自分の事を話さない。
いくら言い合いをしてみても共に時間を過ごしても、その真髄にはどこまで行っても近付かない気がしていた。
彼の過去だとかここに留まる理由だとか、今の私にはまだどれも聞けないことばかりだ。
聞いたら、それも受け止めて答えてくれるんだろうか。
気付けばもう少し先だと思ったはずの分かれ道に差し掛かっていて、煉瓦道を縁取る黒い木々のシルエットが揺れる。
この質問も聞くべきでは無かったのかと少し後悔し始めたとき、やっと抑揚のない声がした。
「……それで慣れてるからな」
静かに落とされた声は、向こうを向いたままの彼から聞こえた。
一瞬だけ立ち止まった彼の影が、月に照らされて足元に伸びる。
まだ、その声にどんな感情が含まれているのか私には到底聞き取ることは出来ない。
逆手持ちに慣れるような人生って一体どんなものだったんだろう。
それはきっと、のどかな田舎で果物ナイフを持つだとかそんな次元の話ではないことだけは、なんとなく感じられた。
カツリと靴音が響いて、近付いたと思った彼の影はまたすぐに離れていった。