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 サルタナ 08

彼がこの兵団内でどういう位置付けで、そしてどういう肩書きを持っている人なのか私はいまいち分かっていなかった。






壁外調査を終え一見は普通の生活に戻ったわけだけれど、もちろん全てが元に戻るわけもない。
見知った顔を何人も見なくなった。

だけどそのことに対して怖いくらいに周りが触れないので、ここではいつまでも哀しむことを良しとしていないのだと感じる。


これが、もし。
死んでいたのが自分だったとしても。


今回の遠征で運悪く死んでいたのが自分だったとしても、次の日には皆が普通の生活に戻るものだと言われている気がして。

割り切るべきなのだ。
きっとそうして何年もこの兵団が続いてきたのだから。


ふと。
この環境に慣れきれないのは自分だけじゃないのかと不安に感じた。
そう感じたのは周りの兵士の人間らしさが見えなくなった時で。
よくよく考えてみると、周りが人間じゃないなんて考える自分の方がおかしかったような気もする。

だから、誰かが何気なく「惜しいやつを亡くした」だとか「あいつも来たかっただろうな」なんて誰かを悼むような言葉が聞こえる度に、どちらも知らない人なのにひどくほっとした。
誰かが誰かを思い出しているのを見て嬉しいだなんて、変な話だ。


夢を託して死んでいくのも人であり、それを受け取り果敢に立ち向かっていくのもまた人間で。

どんなに非情に見えても皆内側では哀しんでいるのかもしれない。心の内までは失いたくない。
人が死ぬことに慣れたくない。


壁外調査のあとの少し静かになった兵団内で、これから続いていくだろう身心ともに過酷な日々を少しだけ憂きつつ。
あとはあまり考えないようにした。

考えてしまったらきっと、動けなくなる。








───上官室の扉を開けた先。



誰でもいいから渡してしまおうと三枚の書類を手にして、予想外の人物を目にして思考がどうでもいいことに走ってしまう。


彼のこの兵団での立ち位置は。
役職は、何なのだろうと。


刃物みたいな鋭利な双眸は作り物みたいに綺麗でもあるのに、瞳の色が分かりにくいほど引き絞られている。
眉間には皺が寄せられ、こちらを見下すことはせずに気怠く睨むような表情が見えた。


もしかして。
もしかして彼は、とっくに目上の存在になっていたんだろうか。


その有能ぶりを買われて昇進したのかと考えが巡る。
あの壁外での活躍ぶりを見る限り有り得ない話ではない。


入団したのはつい最近だと思ったのに。

あの部屋で会った時、わたしはちゃんと敬語を使えていたかと急に心配になった。


『どの班長でも構わないから渡しておいて』、と急用に駆り出された友人の代わりに上官室にやって来たのはいいけれど、まさか彼がひとりで室内にいるとは思いもしなかった。

考えなしに扉を開けた私はそのまま固まってしまった。


実際の逡巡は一瞬で、私は自分の中ですぐに答えを導き出していた。
彼は自分の手の及ばない上の人なのだと。

人間的にも、この兵団内の地位という意味でも。

そして彼も私のことなんて覚えてもいないだろうと高を括って。
けれど、その威圧的な目線からは目を逸らしたくて仕方がない。


その、よく言うと色素が薄い人形のようなお顔は、私が言葉を発しない分だけ更に凄味を増していくような気がした。


こうじっとりと見られれば嫌でも頭が真っ白になってしまう。
この空気をどうにかしなければと思えば思うほど更に冷や汗が増した。



野良猫と初めに思ったはずなのに、その二つの眼を見ていると今は大きな蛇に感じられるのだ。



ということは。
睨まれる私は取るに足らない蛙…?
と、ここではっとして、その眉間が更に寄せられる前に口を開いた。



「あ、あの…。
この書類を五班の班長に渡したいんですが。
どちらに置いたらよろしいでしょうか?」



丁寧に、失礼のないように。

そう願った私の言動は、悲しいことに彼の意にそぐわないものだったらしい。


見る間にその表情が更に険しくなってしまったのだ。
最早、逃げたいという気持ちしかない。



「……貸せ。
そいつに渡しておいてやる」



早々に興味が失せたような彼は、ふい、と私から視線を外してそう呟いた。
表情とは違いその声は静かで抑揚がない。

その手だけがこちらに少し伸びてきて、上向きに静かに開かれた。
差し出されたその手に慌てて書類を置いてみる。


「お願いします…。あ…、それでは、失礼します…!」


口早に返してその場から逃げるように立ち去った。
いや、彼から見れば充分逃げていたかもしれない。

あ、お礼を言えばよかった…!


去り際の彼の顔は見えなかった。


怒らせると怖い、なんて誰が言い出したんだろう。
怒っていなくても充分怖い。



  


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